正解な子育て

「正解は一つじゃない 子育てする動物たち」という本には、「『進化』で子育てをよみとく新しい試み」という帯封がついています。それは、この本が単に様々な動物の子育てを紹介するだけでなく、そこから、私たち人類の子育てを見つめ直そうとする試みがあるのです。この本の監修者である長谷川氏は、あとがきにこう書いています。

「本書の執筆者たちは、動物の行動を研究する科学者として、少し異なる視点から子育てについて考えられる材料を提供しようと試みています。こうして、さまざまな動物の子育てをずらりと並べて見てみると、ヒトという動物の特徴が浮かび上がってきます。」とあります。人類は、どのような生き物で、そのためにどのような子育てをしてきたのか、そして、どのような社会を形成していくための基礎的な力を育んできたのかを考えるきっかけを作ろうとしているようです。長谷川氏、このことをあとがきではこう言っています。

「ヒトは社会生活をする動物です。脳が非常に大きいので、こんな大きな脳を持つ子どもを育てるのは、大変な仕事です。大人がいろいろと複雑な仕事をこなす生活をしているので、そのような大人に育て上げるまでの期間も長いのです。この大変な子育ては、母親のみ、父親のみ、といった片親でできるものではなく、両親のみでできるものでもありません。ヒトの子育てには、血縁・非血縁を含めた多くの他者の協力が必要なのです。これが、ヒトの子育ての原点です。」

それが、なぜ母親信仰が強くなってきてしまったのでしょうか?母親だけの子育てを大切にするのは子どものためだという人がいますが、実は、貨幣経済が浸透し、産業化が進み、都市化が進んで職住近接が壊れ、「専業主婦」という存在が出現してきたことで、時代に即した子育てに関する固定観念の数々も生み出されてきたのではないかと長谷川氏は言うのです。もちろん、子どもにとっては、母親の存在は大切ですし、子育ての中心であることは確かです。しかし、それも社会からの支えがあってこそであり、様々な他人との協力の上で成り立っているのです。

編者代表で、上智大総合人間科学部准教授である斎藤慈子氏は、「はじめに」の中でこう書いています。「子どもを育ててみて、驚いたことがあります。人類は有史以降、何千年も子どもを産み育ててきているはずなのに、未だに科学的に解明されていないこと、正しい方法はこれだ、と断定できないことがたくさんあるのです。逆に言うと、ヒトの子育てに唯一無二の正解はなく、ある程度の幅に収まる育て方であれば、子どもは問題なく育つ、個々の子どもによって正解は異なる、ということではないでしょうか。」

しかし、現代の子育てには、「すべし」が蔓延していることを危惧しています。少子化、核家族化が進み、幼い子どもと接する経験がほとんどないまま親となり、社会的なサポートも少なく、孤独な子育ての中で、今のお父さん、お母さんは、インターネット上にあふれる情報の中の無数の「すべし」に翻弄され、苦しんでいるような気がするというのです。

本書は、昨年の2019年10月31日に発刊されていますので、そこで紹介されているのは、比較的新しい研究です。そして、いろいろな動物の子育てを眺めてみて、進化という視点から子育てをとらえなおしてもらうことを目的につくられたそうです。ヒトの子育てに関するところだけ、紹介しようと思います。

正解な子育て” への6件のコメント

  1. 前々回のブログのコメントで紹介しました「NHKの「ダーウィンが来た」」では動物たちのさまざまな子育ての仕方を観ることができます。片親だけで育てるパターン、雄雌協働して育てるパターン、親プラス親族などと一緒に育てるパターン、あるいは親も親族もなく子ども自ら育つパターン、さまざまです。子育ての側面から「ヒトという動物の特徴」を捉えようとする試みには興味を惹かれますね。「ヒトの子育てには、血縁・非血縁を含めた多くの他者の協力が必要」ここはまさにポイントですね。親だけでなく、親族だけでなく、地域の人々の協力で子どもを育てる。乳児を預かってその育ちに寄り添う保育所やこども園の存在意義を改めて認識したところです。乳児の預かりに関して保育所やこども園が必要悪のような捉えられた方をすることがあります。特に三歳児神話や母親絶対信仰の強い方々にそうした傾向があるような気がします。有機的関係性の中で存在する地域社会がなくなっている今日、保護者の就労支援施設とはいえ、保育所やこども園の今日的意味の重大さこそ正当に認知して欲しいと思うのです。

  2. 人は社会生活をする生き物であるといった捉え方から、子育て環境に必要な要素が「社会」であることが理解できます。「ヒトの子育てには、血縁・非血縁を含めた多くの他者の協力が必要なのです。これが、ヒトの子育ての原点です」というように、単数ではなく複数による協働的営みが人を存続させ、成熟させてきたようですね。昨今では、協力・協働といったものがキーワードにもなっているように、そういった能力や環境としての機能が失われていることは感じます。「協力しよう!」ではなく、協力せざるを得ない環境を意図的に構築したり、発展した科学技術を応用したコミュニケーション手段を積極的に用いて、社会で子育てをする「人の原点」の再認識が必要だと学びました。

  3. 「保育に正解はない。でも、それはその子どものことを思って入ればこそ」と保育を始めたときに先輩保育士に習ったことでした。子育てには「いまだに科学的に解明されていないこと、正しい方法はこれだと断定できないことがたくさんあるのです」という言葉を見たときに思ったのは、それは人を育てるには「社会」があったからなのだろうと率直に思いました。同じ人々と出会い、さまざまな経験をいただくことができなければ、ある意味で思うモデルにはなりません。しかし、時代、地域、社会、環境によってその出会いは一つとして同じものはありえません。傾向は見えたとしても、同じものは不可能であるとすれば、完璧な正解は「無い」と言えるでしょう。つねにbetterを探すしかありません。常に進化が求められます。その頃の子育ては今は正解とは限らない。保育においても柔軟性が求められるのはそういったためなのでしょうね。

  4. 一人で子育てするというのは簡単なことではないと思います。学校が休校になり、嫁が産休中で家にいたので、長男も学童にも行かずに家にいるのですが、ずっと一緒にいると、どうもお互いうまくいかないみたいです。どうしても叱ってしまう、そして、そのストレスからか長男に吃音が再び出てきてしまっているのです。
    このことからも一人で子育てしていくことの難しさを感じますし、もはや無理難題なのではないかと思います。将来、社会に出ていくことになり、人類史にも1人で子育てしていた、ということはないということを学びました。我が家の中を見ていてもそのことをひしひしと感じました。

  5. 大人と関わるということもそもそも正解がないのですから、自律しておらず、さらには我慢も十分にはできない子どもという存在を相手にすることに正解があるわけがないのでしょう。こちらが最善を思ってしたことも、子どもにとっては悪手だったり、こちらが悪手だと思って後悔したことも、実は子どもからしたら最善だったということもあるのが子育てでだからこそ面白くおくが深いのでしょう。まあ私はまだ子育てをしたことはないのですが。

  6. 「現代の子育てには、「すべし」が蔓延していることを危惧しています。」方法はいつでも人間を助けてくれたように思います。ですが、現代、子育てにおいては、方法論は人間を苦しめてしまうかのようです。おばあちゃんの知恵袋のような優しさを持った方法論はいつの間にか語り継がれなくなり、時代に合わせたものが多く生み出されていきました。この時代に合わせた、というのが厄介なのかもわかりません。時代は常によくなっているものの、人間の不満が尽きない限り、それに合わせた何かが生まれはしますが、それが果たして何に由来されているのか、掘り下げてみた時に真実たらしめるものなのか、怪しいものも沢山あるように思えるからです。

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