新しい分野

例外はあるにしても、100%遺伝子で決まるような人間の特徴なり行動があるとは、まともな科学者であれば言わないとミラー氏は言います。しかし、社会科学者やジャーナリスト、その他の人たちの中には、人間の性質や行動がほぼ100%環境によって形づくられると信じている人たちが大勢いると言います。社会科学者の多くは環境決定論者であり、人間の行動は100%個人の体験と社会的環境によって形づくられ、遺伝・生物学的要因が関与する余地はないと信じていると言うのです。ミラー氏らが生物学的な要因を強調するのは、それが環境要因よりも重要だからではなく、強調する必要があるからだと言うのです。

人間の行動には100%遺伝子で決まるものなどないように、100%環境で決まるものもないと言います。前者は誰もが認めるところですが、後者は十分認識されておらず、論争の的になっています。ですからミラー氏とカナザワ氏は、この本で生物学的要因に重点を置いているのだと言うのです。進化心理学は人間の本性を扱う新しいサイエンスであり、その視点は、人間の趣向や価値観、感、誌知、行動に対する生物学的、進化的影響を理解する上で、今のところ行動遺伝学の視点と並んで、最も有効であると思われています。また、進化心理学は社会科学と行動科学に取って代わりつつある分野だというのに、一般向けの進化心理学の人門書で、最近刊行されたものはあまりないそうです。

この分野では毎年興味深い研究が数多く発表されており、一般向けの入門書も逐次、内容を新たにする必要があるとミラー氏は言うのです。この書では質間と答えの形式をとり、日常生活でよく体験する事柄や社会現象、社会問題を取り上げ、進化心理学の立場から説明を試みています。進化心理学の視点を持ち込むことで、古くからある問題に新しい光をあてるのが、彼らのねらいだそうです。人間生活のあらゆる領域にみられる一筋縄では行かないさまざまな問題。進化心理学の視点がそれらを解く糸口になることを、実例をあげて示しています。

私は、保育という営みは、人類が生きてきた道を知り、そして、人類の今後の生き方を考えることだと思っています。そのためには、単に保育学からだけのアプロ―チでは、答えが見つからないと思っています。その点、進化心理学の視点は、何かしらのヒントを与えてくれるかもしれません。ただ、この本の内容は、配偶者選び、結婚、家族、犯罪、社会、宗教と紛争を項目ごとに取り上げていますので、ブログでは、内容の一部を紹介するだけになります。興味のある方は、本を読んでみてください。

まず、ミラー氏らは、進化心理学の議論で避けることが重要な二つの誤謬を挙げています。「誤謬」という言葉はあまり使いませんが、読みは「ごびゅう」で、意味は簡単に言えば「まちがい」という意味で、「真理」の反対語として使われます。よく心理学などに使われることが多いようですが、その時は、現象にのみかかわり,その現象が認知させるものにかかわらずに結論を急ぐことをいうようです。

進化心理学において、重大な二つの誤謬とは、1つ目が「自然主義的な誤謬」で、もう一つが「道徳主義的な誤謬」だと言います。

新しい分野” への7件のコメント

  1. 私は長らく環境論者とされ、こころ主義の皆さんから非難を浴びてきました。環境の前に「こころ」が大事なんだ、こころなくして私たちの社会は成り立たない、などと。私が環境を重視するようになったのは、自らの体験・経験がその背景としてあるからです。その環境如何によっては、こころなるものも溌剌としたり、荒んだり、するということを実体験しているからです。逆境といわれる環境にヒトが置かれたとき、おそらく過半数は、他者を思いやったり、社会を明るくしていこうとしたり、などと考えずに、自分が生きるために、他人より先に行動しなければならないと思うでしょう。新型コロナウイルス感染症によるパニックバインなどはその典型です。環境論者の私は、こころはあまり信じていませんが、遺伝子は信じています。鳶が鷹を生む、とか蛙の子は蛙、とか。自分自身の限界を感じることがよくあります。まぁ、年寄りになってきたので、もう焦ることはなくなりました。来世でがんばろうと思います。遺伝7割環境3割信者に最近なったきたかなと思います。遺伝に関して言えば、おそらく私の現今の生は、何世代にもわたるご先祖様の存在結果なのですから、環境を通して自らが体験経験したことが眠れる遺伝子を呼び覚まし、楽しくなったり、辛くなったりするのでしょう。いずれにせよ、生きていれば、いろいろな体験経験ができて、有意義だなと思うのです。

  2. 自分が行動する時のことを考えてみましたが、これまでの経験とその場の状況から判断することがほとんどだと思います。その行動が、実は全て遺伝子の影響であると自分の体を通して感じることはありませんが、実はそうでしたと言われた場合、では未来はすでに決まっている、なにを足掻いても決して変わることのない不変的なもののように感じてしまうかもしれません。環境は変えられても、遺伝子は変えられないからです。ヒトの行動が100%環境によるものであるというのも、親の行動に自分の行動が似ていると自覚したことがないため否定もできません。ヒトの行動に影響を与える科学的根拠を大事にしながらも、人類が辿ってきた道を省みることを、進化心理学や動物行動学、経済学や人類学など、さまざまなジャンルの知見から学ぶことが「保育という営み」であると学びました。

  3. 自分は保育士になり、学んでいく中で「保育」というのは全てのことに通じるものであることを感じています。といっても、まだまだ道半ばであることも同時に感じていますが、それもあって〝人類が生きてきた道を知り、そして、人類の今後の生き方を考えること〟という藤森先生の言葉が自分の中に響きました。この「保育」で得た学びは、たとえ将来違う職業につくことになったとしてもそのまま、もしくは同じように通じるものである気がするのです。そのように思っているので、今回の「進化心理学」もそのようなものの一つであるように感じています。生きていく上で困った状況に陥った時のヒントをまた多く得られるのではないかと期待しています。

  4. 環境がその人物を構成するか、遺伝子が構成するかクローンを使ってしまえれば一瞬で答えが出そうですが、なかなか倫理という壁がそれを許してくれそうにはありませんね。まあ、大枠は多くのか学者の予想する範囲に収まりそうではあります。ただ、その人物の本性や信念といった核を構成する部分が遺伝子であるのか環境であるのかは気になるところです。

  5. 「人間の性質や行動がほぼ100%環境によって形づくられる」とまでは思いませんが、環境による影響はかなり大きいのではないかとは感じています。特に保育をしていく中でも、組織づくりに関しても、環境というはかなり大きな意味合いがあるのを感じますし、人の動きと環境は大きく結びついているように思います。その中で、遺伝子というのはどういったことを意味するのかというのを考えていくと、それこそ「人間の本性」の部分に近いのかなとも感じます。人が根本的に持っている、どの時代でも大切とされてきた部分というのは遺伝子によるものがあるように思えます。こういった脈々と生存戦略の中で受け継がれてきたDNAと環境による連携によって人の時代や環境にあった社会がつくられているようにも感じるのです。保育は社会にはいる人間の初めの一歩であるというのを考えるとこういった遺伝子や環境といったものを意識しやすい分野なのかもしれません。だからこそ、「保育」という世界に凝り固まるのではなく、広い視野で物事を見ていくアンテナをもっていなければいけないのだろうと感じます。

  6. 「保育という営みは、人類が生きてきた道を知り、そして、人類の今後の生き方を考えること」子どもたちの見せる日々の姿は、もしかして過去の先人たちも見てきた姿なのかもわからないと思うと、何だか不思議な気持ちになります。見守る保育 Fujimori Methodで保育をする、子どもを育てるというのはそういうことで、子どもたちがこれまでに育ってきた最善の方法で育てた場合に見せる自然体な姿を表出させる保育法だと思うからです。そして、その掛け替えのない姿が時代に合わせて生きていけるよう、今後の時代の流れを読みながら環境を考えていく、子どもたちが飛び出していく社会に生きる力を備えて出ていけるよう、僕らの仕事があるのだと改めて思います。

  7. 「人間の行動には100%遺伝子で決まるものなどないように、100%環境で決まるものもないと言います」という言葉はあらゆることに当てはまりそうですね。子どもたちを見ていても、やはり生まれながらに個性を持っているように感じます。我が子を見ていても感じます。まだ保育園に通っていない時期に、興味のあるものとないものがどうしてはっきりしているのだろうと不思議に感じることがありました。そういう子どもによる違いは遺伝子的なものなのかもしれません。だからこそ、100%遺伝子で決まるものも、環境で決まるものもないというのはすごく理解できます。どちらでもないこういった視点は何かを見る上で大切にしていきたいポイントだなと思います。また「単に保育学からだけのアプローチでは、答えが見つからないと思っています」という言葉も印象的でした。この藤森先生の姿勢も先述のことにつながっているように思います。さまざまな視点から物事を見ることで、共通点が見えてくるのかもしれません。そして、それがある意味では本質でもあるのかもしれませんね。

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