実行機能についてのまとめ

森口氏は、最後に、当然のことながら、実行機能以外の力も大事だということを強調します。実行機能が大きく成長する3歳から6歳くらいの時期は、さまざまな能力が成長する時期です。記億力や頭の回転の速さなどのIQと直接関連するような能力から、他者の気持ちや考えを慮る力、何が良くて何が悪いかを判断する力、他人と協力する力、コミュニケーションする力、空気を読む力など、実行機能以外の非認知スキルが成長する時期です。実行機能だけが成長するわけではありません。

これらの力がそれぞれ成長するなかで、子どもは学力や人間関係を発展させることができるのです。ただ、実際の子育てをしていると、何もかもを考えるのは難しいと思うと彼は言います。もし一つだけ注目するとしたら、実行機能に注目してほしいと言います。自分をコントロールする力、すなわち、実行機能は成功の秘訣なのだと森口氏はまとめています。

私は、森口氏の実行機能についての考え方、その書を読むことで、実行機能の大切さがわかると同時に、なにが現在わかっていることなのか、その中で、なにが現在研究途上であるのか、何が今までの考え方の見直しがされるべきかが少しわかってきた気がします。実行機能といって、単純に我慢する力であるというとらえがちですが、しかも、だから子どもには我慢させることが大切であるという勘違いがみられます。やはり、子どもの自発的な行為がそれを促すのです。ですから、子どもの自発性を損なうようなかかわり方は、子どもの実行機能にも負の影響を与えると考えられているのです。

その負の影響の中で、やはり誤解を生じているものに、支援的な子育てがいいといって、子どもが一度欲求をコントロールできたからと、褒美をあげたり、やみくもに子どもを褒めればいいという考え方です。子どもの発達において、褒めたりご褒美を与えたりしすぎることによる負の影響が知られているからです。トマセロ博士らの研究では、1歳半くらいの乳児の親切な行いが褒美を与えられることによって減少することが示されているそうです。1歳から2歳くらいの子どもは非常に親切で、見知らぬ人であっても進んで手伝ったり助けたりします。子どもは、最初はそのこと自体を楽しんでこのような行為を行います。褒められたりご褒美をもらったりするために行うわけではありません。ところが、手伝うなどの行為をした後にご褒美をもらえると、子どもは自ら進んで手伝わなくなります。つまり、最初は自発的に行っていた行動が、ご褒美をもらうことによって、ご褒美をもらうことが目的化してしまい、自発的に行わなくなったのです。子どもは自分のために自分を制御するのであり、人に褒められるためにがんばるのではないからです。子どもが自主的にやっていることに対しては、見守るようなかかわり方をすることが重要になってくるというのが森口氏の見解のようです。

家庭では、親と子どもは一対一ですが、幼稚園や保育園では一対複数ですが、このような集団の子どもに対して、どのようなプログラムなら実行機能を鍛えることができるのでしょうか。まず、幼稚園もしくは保育園に通うこと自体が子どもの実行機能を下支えする可能性が最近の研究から示されているそうです。その中で、ごっこ遊びの重要性を言っています。ごっこ遊びでは、友達内でルールを共有し、友達からの期待を理解する必要が生じます。また、これによって、自分の行動を否応なくコントロールする必要が出てきます。友達と共有したルールに反するような行動はできないのです。また、子どもは、友達の行動を見ることで自分の実行機能を発達させると言います。

やはり、集団での生活にも意味があるようです。

実行機能についてのまとめ” への7件のコメント

  1. 保育に関係する学者や現場の園長さんたちによる対談記事を読んだ時、“guided play“という概念に出くわしました。直訳すると「誘導された遊び」ということになるでしょうか。倉橋惣三の誘導保育のことを言うのでしょうね。現場は子どもたちの遊びを誘導しなければならないと誤解するでしょうね。子どもの自発性を大切にすると言いながら、やはり誘導してしまう。実行機能を我慢する力と大人が解釈して子どもに「我慢させ」てしまう。あるいは「褒美をあげたり、やみくもに子どもを褒めればいい」ということになりかねません。見守る、なのにただ見ているだけ、の保育をしてしまったり。だから、放任だと、誘導保育論者から非難され。まぁ、私は、子どもが安心安全に遊べているのなら、放任しているほうが比較的良いと思っています。様々な環境を設定して、後は子どもたちに任せる。放任ではなく、委任。子どもの存在を丸ごと信じるから委任できる。誘導には子どもへの信が少し足りないような気がします。

  2. 昨今のキーワードのようにある「非認知スキル」の一部でありながら、その中でも重要度が高いのが「実行機能」であるということで、子どもたちがいかに自分をコントロールしようとしているかを指標とする保育が求められていることが理解できます。また、そんな実行機能ですが、他人から言われたことをただしているだけや、大人から褒められれば身につくという能力ではなく、子どもの「自発性」をもとにした経験や体験から育まれるという基盤を忘れてはいけませんね。そして、集団において実行機能を鍛えることができるプログラムとして「ごっこ遊び」がありました。他者と共有されたルールを守りながらのごっこ遊びは、当然楽しさだけではありません。自分がしたいことをするためには相手にそれをわかりやすく伝えたり、時には相手の機嫌もとったりするでしょう。ごっこ遊びというのは、自分の目的のために何をすればよいかを遊びながら身につけられる有効的な遊びであるということなのですね。

  3. 褒められたり、褒美をもらうためではなく、子どもが自発的に行うことに意味があるのですよね。ついつい躾という形にとらわれすぎてしまうこともありますが、我慢させれば実行機能が育つわけではなく、主体は常に子どもにあり、子どもは遊びを通して学んでいくことがわかります。その遊びの中でも、ごっこ遊びは友達とイメージを共有し、コミュニケーションをはかりながら遊ばなくてはいけません。普段何気なく遊んでいるように見えますが、子ども達は自分をコントロールしながら周りと調和をはかろうとしているのですよね。

  4. 非認知スキルがとても大切であるという話しは多くの方がしているのではないかと思います。その中でもとりわけ大切にして欲しい能力が「実行機能」ということになるのですね。そして、この実行機能は大人からの指示で育つのでもなく、誰かに誘導されてなものでもなく、自分から、自らことに向き合うことで育まれていくという根本を忘れてはならないことを再認識しました。実行機能を育むプログラムとして「ごっこあそび」があげられるのですね。自分の目的のために他人をどうするのか、どう伝えるのかなど、自分をコントロールする必要があるということに納得です。それも、子ども集団の中で行うものであるから意味のあるものとなるのだと感じました。

  5. どうも保育についてたびたび「我慢」という言葉を聞きます。「我慢」と聞いたときに多くの人が「我慢させるには」と言います。確かにそうなのですが、「自ら我慢する」という論点よりも「我慢させる」といった他律における議論のほうが多いようにも感じられます。自発的に我慢するようにするためには、大人こそ「我慢」が必要なのではと思うこともよくあります。「見守る」ということがなかなか定義としてはわかっていても、具体的に行うには大人はお節介してしまいがちです。「はじめは自発的に行っていた行動が、ご褒美をもらうことによって、ご褒美が目的化してしまい、自発的に行わなくなった」とブログにもありますが、それは「させよう」としてしまうからなのでしょう。そうではなく、本来からそういった能力は持っており、自発的、主体的にできるものと信じるように相手を見ていくことが求められるのだと思います。まさに「見守る三省」ですね。

  6. 保育の一場面のことなのですが、片付けをする際、片付けをしている子どもに対して保育者が、ありがとう、という言葉をかけているのに違和感を覚えます。自分達が使ったおもちゃを片付けているのだから、片付けが上手だね、綺麗になって嬉しいね、ならわかるのですが、ありがとうを使うのは当てはまらないような気がするのです。前述のことが正しいかは別として、そういった細かな言葉かけ一つ一つを意識しなければ、子どものモチベーションを下げてしまうことがあるのでしょう。

  7. 「だから子どもには我慢させることが大切であるという勘違いがみられます。やはり、子どもの自発的な行為がそれを促すのです。」実行機能をきちんと捉えないと、確かにこの部分を助長させるということは大きな懸念になり得るように思えてきます。トイレトレーニングの部分においてもそうでしたが、あくまで本人がそうしたい、となった場合において実行機能の成長が見込めるものなのではないでしょうか。
    「負の影響の中で、やはり誤解を生じているものに、支援的な子育てがいいといって、子どもが一度欲求をコントロールできたからと、褒美をあげたり、やみくもに子どもを褒めればいいという考え方です。」子ども集団の中に褒美、というのは殆んど存在しない、と改めて思います。純粋な気持ちのやりとりが殆どのように思え、大人から子どもへ、という関わりの時に存在するもののように思えます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です