子どもを愛すべき?

斎藤氏は、そもそも、母親は自らの子どもを愛すべきである、という主張も、人類の歴史の中で普遍的なものではないと言います。狩猟採集民族の伝統的社会の中には、環境の厳しさによるのかもしれませんが、子どもが生まれたらまず育てるか否か、つまり育てないという判断もあり、その場合は子どもが遺棄されるのですが、それをまず決めるという文化もあるそうです。また、中世フランスでは、ある階級以上の家では、子どもは自分で育てないで里子に出すのが当たり前だったようです。20世紀前半のイギリス貴族も、子どもを嫌いだと公言し、日常的には子どもをそばに置かずに乳母や家庭教師に育てさせたといいます。

日本でも江戸時代には乳母の文化がありました。さらに、育児書は、今では母親向けのものが多いですが、ヨーロッパでも日本でも昔は父親向けに書かれていたといいます。誰がどのように子どもを育てるのかは、時代や文化によって大きく変わりうると言うのです。

ここで、斎藤氏は愛着理論に触れています。愛着理論とは、精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した理論で、子どもの精神的健康には、乳児が特定の人物に対して形成する特別な情緒的結びつきである「愛着(アタッチメント)」が重要だとするものです。愛着の対象人物と自分との関係についてのイメージが三歳頃に確立し、それがその子どもの他者との社会的関係のもととなり、成長後も社会性に影響を及ぼす、と考えます。三歳児神話の理論的背景の一つといえるでしよう。子どもの発達には養育者との愛着の形成が重要だという事実は、疑う余地もないと思うかもしれませんが、それだけを絶対視すべきかどうかは、再検討されつつあるようです。

愛着理論は、20世紀後半から広く知られるようになりますが、ボウルビィが理論を提唱するに至った背景の一つは、動物行動学者のコンラート・ローレンツが刷り込みというインプリンティングという現象を報告したことがあります。アヒルなどのヒナが、孵化後一定時間内に見た動くものに接近欲求を持ち、追従するという現象です。未熟な状態で生まれるヒトにも、自分を保護してくれる対象を生後すみやかに認識、記億し、近接を求めるという生得的な傾向があるとボウルビィは考えました。

二つ目の背景は、ルネ・スピッツによるホスピタリズムの発見です。ホスピタリズムとは、劣悪な施設環境で育った子どもたちが、気力・覚醒レベルの低さ、社会的反応および感情表出の欠落などを示すことです。第二次世界大戦により、孤児が増加しましたが、孤児院では、栄養状態、衛生状態には問題がないにもかかわらず、心身の発達が遅れ、二歳になる前に亡くなる子が多数いました。こうした心身の問題は、養育者とのコミュニケーション不足によるものだと考えられました。

三つ目の背景は、ハリー・ハーロウが行ったアカゲザルの代理母実験です。ハーロウは、出生直後の子ザルを母親から引き離し、布製と針金製の代理母を与えて育てました。ミルクが出る出ないにかかわらす、子ザルは布製の代理母にくっついていることが多く、また恐怖を感じた時には、布製の代理母にしがみついて安心感を得ようとしました。この研究結果は、それまでの、養育者との関係は空腹を満たすという生理的な充足がもととなって形成されるという考え方を再考させるものでした。

これらの背景と、幼少期に親と別れるなどして十分な愛情を受けられなかった子どもたちが窃盗などの社会的問題を起こしているのを目撃した自身の経験から、ボウルビィは、幼少期における養育者との接触を含むかかわりが、子どものその後の発達に大きな影響を与えると考えるに至ったのです。

子どもを愛すべき?” への7件のコメント

  1. 斉藤氏の、母親の子どもへの愛は「人類の歴史の中で普遍的なものではない」という主張を聞いて驚きましたが、今の世の中を見ていても「そうかもしれない」と思うのは、親による児童虐待件数の増加や「子どもが好きになれない」といった育児に悩んでいる母親たちの言葉からです。これもバランスなのでしょうが、子ども=愛しなくてはいけない存在という社会的価値観が強すぎる事による弊害というものもあるのかもしれないとも感じました。中世ヨーロッパにおける乳幼児の絵画表現などを見ると、決して可愛らしい存在として思われていなかったことがわかると以前学びましたが、「ある階級以上の家では、子どもは自分で育てないで里子に出すのが当たり前だった」というように、育児は母親ではなく身分の低い人の役割という価値観があったのですね。今ある育児の価値観が、ヒトの歴史上全て同じであると思ってしまうのは危険なようですね。

  2. 普段乳幼児が集う施設で仕事をしている私は、時々「子どもは嫌い」という大人と出会うことがあります。子どもが好きな私は、一瞬我が耳を疑ってしまいます。子ども嫌いな大人が相当数存在していることを知ってまたまた驚きです。「イギリス貴族も、子どもを嫌いだと公言」「育てないという判断もあり、その場合は子どもが遺棄される」・・・こうした歴史的事実を知ると、子ども嫌いの大人の存在を認めざるを得ませんね。「三歳児神話の理論的背景の一つといえる・・・愛着理論」。この愛着理論から発したと思われる「担当制」保育。私自身、何とも合点がいない部分を多く持つ保育だと思っています。「乳児が特定の人物に対して形成する特別な情緒的結びつき」と言いますが、現場では、大人が乳児に「特別な情緒的結びつき」を得ようとしているかのようです。子どもの情緒が安定するとか何とかと言いますが、ホモサピエンスの今日まで至る足跡を辿るならば、特定の人物、特別な情緒的結びつき、果たしてどうかと思わざるを得ないところがありますね。このアタッチメント、大人が主体になれば煩悩ですし、子どもが主体になれば、生命の維持ということになるのでしょう。

  3. 我が子をかわいがるというのも歴史的にみていくと、必ずしもそうではないというのにも驚きましたが、考えてみれば、現代でも虐待なんかはその典型でもあるし、虐待ではないかもしれませんが、我が子のことをどう思っているか分からないような大人もいることに気づきます。そのような人も受け入れていかなければならないということになるんですね。
    むしろ、自分の考えを押し付けていたということになりかねないということにも気づきました。やはり、決めつけるというのは危険なものだという認識を持ちました。
    また、自分の中の視野が広がった気がします。

  4. 今回のブログのような、実母以外の養育でも養育者との安心感のある暖かな関わりが子どもにとっては大切ということはわかります。ただそれとは別に赤ちゃんには実母を見分ける力も備わっているようで、いくつか別の母乳を湿らせたガーゼを提示すると実母の母乳が染み込んだガーゼを選ぶといっような実験もあるそうで、何が子どもにとっての最善かというのはまだまだ完全に解明するのは難しそうです。

  5. 私たちがいかに先入観を持って育児をしているかということがよくわかりますね。イギリス貴族社会において「子どもが嫌い」ということが公言されていたり、日本においる乳母の文化など、歴史的に見ても、「母親だから育児」という先入観は今の時代とはまた違ったものであるということが伺えます。今の社会、「育児=母親の役目」という考え方が当たり前になってきていますが、その反面、「育児ノイローゼ」や「産後うつ」、「虐待」「ワンオペ」など、母親が抱える育児に関する問題が数多くニュースになっています。それだけ、今母親の育児負担ということが大きいのでしょう。そして、その裏には「母親なんだから」という自分自身に向けられたプレッシャーもあるのかもしれません。そうして、自分自身に向けられた自他ともにあるプレッシャーは今の社会大きいだろうと思います。先入観をもって物事を見るのではなく、社会全体も当事者意識を持って、育児家庭を理解し、協力し下支えしていく必要があるのだろうと思います。こういった意識は歴史からも学びますね。

  6. 母親の代替のように保母さんという仕事が生まれた、その背景を知るかのようです。自粛要請における最近の厚生労働省の保育所の扱い、というのでしょうか、それを思い出すのですが、ブログを読んでいると不勉強ながら最先端にいるような感覚で、そのことを思うと、今だに時代が止まったままでいるような気持ちになります。本当に最近の研究について何も知らないのでしょうか。もしくは、知っていながら従来のシステムから動けないのか。どんなものでも最新の研究というものがある中で、教育だけが止まっていました。それが、この度の件で、大転換を起こすのではないかと、静かにワクワクしてしまいます。

  7. 愛着理論の背景を知ることができました。なかなか極端な背景をもとにして出来上がったものなのかなという印象を持ってしまいました。それぞれの人の解釈によって考察が変わっていくものだったりするのでしょうか。「誰がどのように子どもを育てるのかは、時代や文化によって大きく変わりうると言うのです」という言葉が印象的でした。小学生の頃に、大河ドラマで「春日局」という乳母の存在を知りました。こんな小さい頃から他人に育てられるんだという軽い衝撃のようなものがあったのを覚えています。これは時代や武士の事情がかなり影響していることではあると思いますが、もう少し、様々な人の支えて育てる存在であるという認識は現代に必要なことなのかもしれませんね。

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