最もストレスの強いのは

ネグレクトのような状態では、子どもは養育者とくっつくことができません。養育者に慰めてもらうこともできません。最初は自分で感情や行動をコントロールできない子どもが、養育者の助けも得られなければ、感情をコントロールするという感覚を得ることはできないのです。その結果として、ネグレクトの家庭で育つと、実行機能の発達に間題を抱えてしまうというのです。

身体的虐待や心理的虐待よりもネグレクトの方が悪影響を及ぼすのも、ここに理由があると言います。身体的虐待であれ、心理的虐待であれ、養育者は子どもにかかわっています。かかわり方自体は間違っているものの、なんらかの関係性はあると森口氏は言います。一方、ネグレクトの場合は子どもにかかわらないのです。この違いが大きいのだと森口氏は分析します。

無論、身体的虐待や心理的虐待も、子どもの脳や心の発達に深刻な影響を与えることには変わりないので、決してこれらがいいと言っているわけではないと彼は言います。ただ、子どもの実行機能にとってもっともストレスが強いのは、誰もかかわってくれない、ネグレクトであるということだと念を押しています。

このネグレクトは、特に、母親の学歴とかかわりがあると言います。父親の育児が増えているとはいえ、日本においては子育ての中心は依然として母親だと言います。そして、中学校卒業などの最終学歴である母親は、そうではない母親よりも、子どもとの関係性を築くことが得意ではないことは繰り返し示されているそうです。

もちろん学歴で全て決まるわけではありませんし、アタッチメントの関係性を築けるのは母親に限らないと彼は言います。父親の育児参加が進まないわが国ですが、父親でもしっかりとアタッチメントの関係性が築けるのです。また、里親が子どもにかかわることで実行機能が向上したことからも、子どもがアタッチメントの関係性を形成するのは里親でも問題ありません。教師や保育士などとも子どもはアタッチメントの関係性を築くことができます。最も重要なことは、特定の大人が、責任を持ってしっかりと子どもとかかわり、安心できる場所を提供するということだと森口氏は言うのです。

ここまで、ネグレクトや虐待などが子どもの実行機能の発達に及ぼす影響を紹介してきました。つまり子どもが養育者としっかりと安定した関係性を築くというのが、実行機能を育むための最も重要かつ根本的なものだということです。

この根本をしつかりと押さえたうえで、他に何ができるのかという点を森口氏は紹介しています。最も研究が進んでいるのが子育ての質です。子どもの発達に影響力があるのは、支援的な子育てと、管理的な子育てです。支援的な子育てとは子どもの自主性を尊重しようという子育てであり、管理的な子育てとは親が子どもを統制するような子育てです。

子どもが自分で洋服のボタンを外そうとしたり、靴ひもを結ぼうとしたりしています。もう少しがんばればできそうですが、でも、時間がかかりそうです。ある親は、いら立って子どもの代わりにボタンを外すでしよう。別の親は、親が代わりに外すのではなく、外すためのヒントをそっと教えてあげるかもしれません。たとえば、ボタンが穴に入るように、ボタンの持ち方を教えたりするでしょう。後者のようなかかわりを、支援的な子育てと言います。

最もストレスの強いのは” への8件のコメント

  1. 今年度の卒園式が終わりました。ある方のお祝いメッセージは、いろいろな人と関わることが好きだ、という気持ちを頂き続けるよう卒園児に希望されておりました。今回のブログを読みながら思い出しました。実行機能はエグゼクティブ・ファンクショニングですから、私たちが社会存在として生きていく上でまさにエグゼクティブ、立身出世にとって必要不可欠と言える機能です。関わりの大切さ、このことがこの上なくわかるのです。ネグレクトは無視することです。「身体的虐待であれ、心理的虐待であれ、養育者は子どもにかかわっています。」虐待ですから良いわけがありません。当たり前です。それでも「かかわって」いる。一方ネグレクトは「誰もかかわってくれない」ということになります。なかなか実感が持てませんが、虐待にしろネグレクトにしろ、人を幸せから遠ざけることに違いはないでしょう。こうしたことをいろいろな人に伝えていかなければならないと最近強く思います。さもなければ、国が亡びるとさえ感じます。おおげさですかね?

  2. 母親に限らずアタッチメントを構築できるという言葉は、虐待件数が増えている今の世の中に広く知れ渡らせなくてはならない言葉ですね。育児は母親でなくてはいけないといった先入観が、虐待を受けて育つ子どもを苦しめているかもしれません。また、育児においてアタッチメントという存在構築がもっとも大切でもあるかのような気がしてきました。それは身近な人に限らず、その子が負の状態になっている時に共感してあげられる大人なら誰でもよいのでしょう。そして、家庭のみの育児には限界があると、近年の社会問題がSOSを出していると藤森先生の著書から昔に学びました。今僕ににできることは、目の前の子どもたちに最善の利益をもたらす環境を用意し、その保護者にも有益な情報を発信することだなぁと感じました。

  3. アタッチメントを子どもとの間に構築するのに必要なものは〝特定の大人が、責任を持ってしっかりと子どもとかかわり、安心できる場所を提供する〟とありました。つまりは誰でもいいわけです。日本ではお母さんの育児に対する比率と言いますか、負担が以前として大きく、育児は母親がしなければならないという雰囲気があるんだと思います。ですが、もし、その雰囲気が虐待の原因にあるのであれば、改めなければならないものだと思います。
    そして、母親に限らず家庭だけで子どもを育てるというのはすごく難しいことなのではないかと思います。子どものためにも親のためにも乳幼児施設というのはあるということを伝えていかなければならないのではないかと思いました。

  4. 虐待も関わりのひとつ、なにかとても印象に残る言葉でした。他にもいじめや体罰など最悪な関わりであれそれがなくならないというところに関わりに対する人類の弱さであり強さが垣間見えるような気がします。そもそも孤独死というものが存在する時点で人というのは誰かと関わってなければ生きることすらできないんですもんね。自分は良質な関わりを生み出せるようこれからも学んでいきたいと思います。

  5. 応答的な関わりが求められるのは、そこに実行機能を育てる意味合いがあるからなんですね。確かに、身体的虐待においても、心理的虐待においても、関わり方自体が問題であっても、子どもとの関わりはあります。それに比べて、ネグレクトは関わり自体がないことが言えるというのはいかに人間にとってコミュニケーションが重要であるのかということがよくわかりますね。また、虐待においても、その関わりが問題になるのは親からの一方的な関わりにもあるということがわかります。大人からの関わりではなく、子どもからのレスポンスを受け取ることも重要になってくるということが分かります。支援的な子育ての基本となるところなのかもしれません。また、今回は学歴とアタッチメントの関係性も話されていました。全員が全員、該当することではないとは思いますが、そこには非認知的能力も関わっているように感じます。やはり子育てにおいては、知識至上主義的な考えに走る以前に、非認知スキルやコミュニケーションなど、人格形成にもっと目を向ける必要がありますね。

  6. ネグレクトを受けると、必要な刈り込みが行われず、シナプスが常に放って置かれた状態になるのではと想像します。何か苛立つような、ソワソワしたような気持ちを想像するのですが、そのような環境下では落ち着く感覚など感じたこともないかもわかりません。虐待でも関わってはいる、という解釈はとても印象的で、体に傷をおってもそれよりも心に受ける傷の方がその痛みは深いということなのでしょうか。この自粛期間が子どもたちに与えた影響について、考えさせられてしまいます。

  7. 関わりがない、関わりを持たないということが最もストレスがたま理、悪影響があるのですね。子どもからしたら「関わりたい」と思っているはずですね。そういったサインも出しているんだと思います。それに対して、反応をしない、もしくは分かっているのに反応をしないというのは、子どもにとってこれほど辛いことはないと思います。私たち保育者は決して、そのような態度をとってはいけませんね。「最も重要なことは、特定の大人が、責任を持ってしっかりと子どもとかかわり、安心できる場所を提供するということだと森口氏は言うのです」とあるように、アタッチメントは親以外とも築くことができるとあります。このことがとても重要ですね。子どもはまさに社会で育てていくということが大切ですが、様々な人と信頼関係を結んでいくということもそういうことでもあるのかもしれないなと思いました。

  8. 子どもにっては「関わる」というのは本当に重要なことだということが理解できました。親や保育者だけでなく、子ども同士であったりと人と関わるという事が子どもに限らず、人間において必要不可欠なことですね。ただ文章の中に「特定の大人が、責任を持ってしっかりと子どもとかかわり、安心できる場所を提供する」とありますが、これを勘違いして担当制が良いと思ってしまう人もいるようにも思いました。

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