大人では?

森口氏は、さまざまな方法について紹介していますが、ここで紹介したプログラムは、特に、実行機能に問題を抱えている子どもに対して有効のようですが、研究によっては、最も有効だとされている心の道具プログラムでも、効果があまり見られないという報告もあるようです。また、いずれも現在のところ、短期的には有効性が認められていても、長期的な影響は今後の検証が必要であるとされています。

では、大人の実行機能は鍛えられるのでしょうか。森口氏は、最後に、大人の実行機能が鍛えられるのかについて考えています。

実行機能が必要なのは子どもだけではありません。大人も毎日さまざまな場面において実行機能を使っており、実行機能がうまく働かないと人生の岐路に立たされることもあると言います。なかなか食欲を抑えられない人、気分が落ち込んだときに頭を切り替えられない人など、実行機能を鍛えたいと思うことも少なくないでしよう。大人を対象にした研究も進められていますし、実行機能は筋肉のようなもので、使えば使うほど鍛えられると考える研究者もいるそうです。

実際に、訓練を施して、実行機能が伸びていることを示す研究は多数報告されているそうです。ただし、個々の研究を基に実行機能が鍛えられると判断するのは危険だと森口氏は警告します。子どもの研究と比べて、大人の研究は非常にたくさんなされています。そのため、さまざまな研究結果を総合して分析するメタ分析という方法を使った研究を森口氏は考察しています。

ザールラント大学のフリーゼ博士らは、33の実行機能にかかわる研究結果をメタ分析したそうです。この分析には、感情の実行機能とかかわる研究が多く含まれています。この研究では、利き腕ではない手を使って、歯を磨くなどの日常生活を送ること、すぐに使いそうになるスラングを使わないこと、などの訓練が含まれています。この研究の結果、大人の自分をコントロールする能力は少しですが鍛えられることが示されているそうです。特に、女性よりも男性で効果が強いようです。フリーゼ博士らは、女性と比べると、男性のほうが衝動的であるため、訓練の余地があるのではないかと述べています。

思考の実行機能についてはどうでしょうか。こちらについては、さまざまなメタ分析がなされていますが、一例として、シドニー大学のバーニー博士らの分析は、48の思考の実行機能の研究をメタ分析しました。ここでの研究は、主にコンビュータを用いた反復訓練で高齢の大人の実行機能を鍛えようとしています。その結果、こちらもわずかながら、訓練の効果が見られているそうです。また、運動とコンピュータを使った訓練のどちらが有効かを調べたメタ分析では、コンピュータを使った訓練のほうが有効であることも報告されているそうです。

これ以外にも、思考の実行機能で必須となる目標の保持を鍛える研究も多数なされているそうです。同じくコンピュータを使った訓練で、わずかではありますが思考の実行機能を鍛えることができるようです。このように、大入でも実行機能を鍛えることは理論上可能だと森口氏は言います。

実行機能の鍛え方

5歳頃にかけて、独り言が減っていきます。「これなんだろう」など発話として表出していた独り言が、発話として出なくなるのです。つまり、子どもの独り言とは、本来考えるために用いられる言葉を発声している状態です。特に、難しい問題に取り組んでいるときに独り言が出やすいようです。私たち大人も、難しい仕事を与えられた場合、ついつい独り言を言ってしまうことがあります。子どもも、言葉として出すことによって、問題を解こうとしているようです。そして、独り言を多く発する子どもほど、実行機能や難しい問題を解く能力が高いと言われています。「独り言を使った行動をコントロールする」というプログラムでは、この点を重視します。たとえば絵をかいたり文字を書いたりする際に、まず、教師が独り言を言いながら活動するお手本を見せ、独り言を言って活動するよう指示します。その後、子どもたちに実際に活動させる際に、独り言を言うように奨励するのです。このように独り言を奨励することで、実行機能は向上するのです。

④ 劇を行う

最後に、、ごっこ遊びです。子どもたちは、グループで、どのような劇を行うかの計画を立てるように指示されます。たとえば、「あなたがお母さんで、私が赤ちゃんのふりをしよう。私が風邪をひいたので、あなたは私をお医者さんに連れて行って。あなた(別の子)がお医者さんだから、お薬をあげてね」というようなシナリオを立てたとします。このシナリオに子どもたちが賛成した場合、実際にその劇を行います。劇をすることによって、友達内でルールを共有し、友達からの期待を理解する必要が生じます。また、これによって、自分の行動を否応なくコントロールする必要が出てきます。友達と共有したルールに反するような行動はできないのです。たとえば、お母さん役の子どもが、お薬を出してはいけません。

ブリティッシュコロンビア大学のダイアモンド博士らは、ここで紹介した四つの活動を、1年ないし2年間幼児を対象に実施しました。その結果、別のプログラムに参加した子どもよりも、思考の実行機能が向上したそうです。保育活動のなかに取り入れることで、子どもの実行機能が高まるようです。

心の道具プログラムの効果検証が世界中でなされており、ある程度有効であることが示されているそうです。これ以外の活動についてはまだまだ検証が途上ですが、有望とされているのがモンテッソーリ教育だと森口氏は言います。イタリア人の医学博士であるマリア・モンテッソーリが提唱した教育方法で、当初は障害児に対して行われていたのですが、健常児にもその範囲を広げ、20世紀初頭から伝統的な教育方法とは異なる幼児教育の一つとして始まりました。モンテッソーリ教育といえば、独特の教具や異年齢教育が取り上げられることもありますが、最大の主眼は子どもの自主性を重視するという点だと森口氏は言います。教師や親などに外発的に動機付けられるのではなく、子ども自身で、考え、決断することが推奨されます。

モンテッソーリ教育を受けている子どもと、通常の幼児教育を施されている子どもの実行機能を比較した、ヴァージニア大学のリラード博士らの研究があるそうです。この研究では、モンテッソーリ教育を受けていた子どもは、通常の幼児教育を受けている子どもよりも、思考の実行機能に優れることが明らかになっているそうです。実行機能は、子どもが自主的に目標を達成するための力ですから、やはり自主性を育むことが大事なようです。

心の道具

「心の道具」というプログラムの研究にはいくつかの重要な活動があるのですが、森口氏は、そのなかで、重要な四つの活動について詳しく紹介しています。

①         物理的な道具による外的な補助

幼い子どもは、まだ自分をコントロールすることはできません。そういう場合に、親や教師などによる支援的なかかわりが重要になってきます。支援の一つとして、物理的道具を使うことで、コントロールしやすくする方法があります。大人でも自分のスケジュールを自分の記憶力だけでは覚えきれませんが、手帳やスマートフォンなどの外部記憶装置を使って、記憶の補助をします。このプログラムでは、絵を使って子どもの実行機能を支援します。子どもが二人でペアになって、一冊の絵本を交代で読んでいくという活動を例にすると、このようなことになります。子どもは、どちらも自分が絵本を読みたくて仕方がありません。実行機能が必要な状況になります。その際に、片方の子どもには口の絵を、もう片方の子どもには耳の絵を渡します。口の絵を持ったほうが話を読み、耳の絵を持ったほうは聞き役です。途中で絵を交代し、役割も交代します。うまく自分をコントロールできない子どもも、絵という道具を与えられて、役割がはっきりすると、うまくコントロールできるようになります。この活動を繰り返すなかで、そのうち絵が必要なくなり、聞き役が絵本の内容について質問するなど、より発展的な活動に推移していきます。

②         友達の行動をチェックする

人の振り見て我が振り直せと言いますが、子どもは、友達の行動を見ることで自分の実行機能を発達させます。この活動も、友達とペアで行います。たとえば、友達が物の数を数える活動をしている場合に、子どもは友達がその活動を正しく行うことができているかをチェックするように求められます。チェックシートのようなものを渡され、逐次チェックしていきます。この活動では、友達が正しく活動を行うことができているかをチェックし、この活動を振り返り、深く考えるようになります。すなわち振り返り訓練が含まれているのです。これによって、自分がその活動をやるときに、しっかりと考えて取り組むことができるようになります。このようなくせをつけることで、実行機能も身についていきます。

③         独り言を使った行動をコントロールする

子どもの独り言はほほえましいですが、この独り言は、子どもの発達のうえで重要な意味を持っていると考えられています。私たちが何気なく使っている言葉には、他の人と話すという役割の他に、考えるという役割もあります。私たちは日常的に、頭のなかで考えるために言葉を使っています。「今日の夕飯のおかずは何にしよう」とか、「明日会社休みたいなあ」などのように、自分だけのために使う言葉があります。こういう自分のためだけの言葉が、ポロッと独り言として口をつくと恥ずかしい思いをすることもあります。

子どもにおいて言葉には、まず、他の人と話すためという役割があり、成長とともに考えるためという役割も持つようになります。1歳から2歳頃にかけて、子どもが話し始める頃、言葉は純粋に何かを伝えるために使用されます。「あれとって」とか、「あれなあに」など、親や周りの他者とのコミュニケーションのために言葉は使われます。それが、成長とともに、子どもは考えるための言葉も発するようになります。周りに誰もいないのに「これなんだろう」とか、「これすきなうただ」などと発するようになります。他の人と話すための言葉と、考えるための言葉が、両方とも言葉として出てくる時期です。後者が独り言です。

幼児教育・保育の質

幼児教育や保育の質はさまざまです。では、幼児教育や保育の内容や質が子どもの実行機能にどのような影響を与えるのでしょうか?近年は、幼児教育・保育の質をさまざまな形で測定する試みがなされています。ここでは、森口氏は、その中で実行機能との関係が示されている幼児教育・保育の質について紹介しています。

イリノイ大学シカゴ校のゴードン博士らの研究グループは、三つのカテゴリーからなる幼児教育・保育の質評価を行っているそうです。一つは、園のハードウェアにあたる部分です。園の広さや備品などが含まれています。二つ目と三つ目はソフトウェアにあたる部分で、二つ目は教諭・保育士による子どもの健康や衛生に関するかかわり方です。たとえば、トイレットトレーニングや睡眠などをうまく導けているかが評価されます。三つ目は、子どもとのやりとりにあたる部分で、うまくコミュニケーションを取れているかなどを含んでいます。

訓練された観察者が、幼児教育・保育の様子を見て前記の三つの質を評価し、子どもの実行機能などの発達とのかかわりを検討したそうです。その結果、二つ目と三つ目の幼児教育・保育の質が、子どもの実行機能とかかわることが示されたそうです。つまり、子どもの健康や衛生に関するかかわり方が上手く、子どもとのやりとりが円滑な幼児教育施設では、子どもの実行機能が育まれやすいのです。

健康や衛生に関するかかわり、たとえばトイレットトレーニングなどは、大人側にとっても子どもにとっても忍耐の連続です。便座に座りたくないという気持ちを抑えて座ることなどにより、子どもの実行機能は育まれるのだと考えられると森口氏は言います。また、子どもとのやりとりについても、支援的な養育行動の効果と同じだと森口氏は考えています。このように、教諭・保育士のかかわりは、子育てで重要だった部分と通じるところが多いと彼は言うのです。ただ、もちろん、幼稚園や保育園ならではのものもあります。それが、集団の子どもにかかわるという部分だと彼は言います。家庭では、親と子どもは一対一ですが、幼稚園や保育園では一対複数です。このような集団の子どもに対して、どのようなプログラムなら実行機能を鍛えることができるのでしょうか。

集団活動のなかで、現在世界で最も注目されているのが、「心の道具」というプログラムです。そのため、森口氏は、それについて少し詳しく紹介しています。このプログラムでは、子どもたちに道具を使わせることで実行機能や読み書き能力を高めようとするものです。ここでの道具は、物理的な道具も含みますし、心理的な道具も含みます。

心理的な道具とは、言葉や遊びなどのことを指します。たとえば言葉は私たちの考えや行動を支えています。言葉を使わなくても私たちは考えることができますが、言葉を使うことで論理的推論などの複雑な思考が可能となります。このように、言葉を「道具」として使うことで、私たちの実行機能は支援ができると言われています。

幼稚園・保育園の影響

四つのパートから構成された保育プログラムの活動を通じて、自分の身体や感情についてしっかりと認識し、そのうえでそれらをコントロールできるように学ぶことを目的としているそうです。これらの前後に、感情の実行機能と思考の実行機能を測定したそうです。その結果、マインドフルネスは特に感情の実行機能に非常に有効であることが示されたそうです。感情をコントロールすることを目的としているので、これは当然の結果と言えるかもしれないと森口氏は考えています。また、思考の実行機能も一部の子どもでは向上したそうです。

この方法はタイの子どもに向けられたものなので、このままのやり方が日本の子どもに当てはまるとは限らないかもしれませんが、マインドフルネスは有効だと森口氏は考えています。森口氏は、いくらマインドフルネス訓練を保育園で実施したとはいえ、それは、一人一人に行なった訓練で、個々の子どもを対象にした実行機能の向上訓練について考えてきたのです。そこで、彼は、では、保育や幼児教育などの場で行われる、集団活動についてはどうかを考察していきます。

そもそも幼稚園や保育園に行くこと自体が子どもの実行機能の発達にとって重要な意義があると森口氏は考えています。特に、この点は、家庭に間題がある子どもにとって顕著であると言います。以前、家庭環境が子どもの実行機能に与える影響について見てきました。貧困層やネグレクトがなされている家庭では、それ以外の家庭よりも、子どもの実行機能が著しく低いことが示されていました。これは、子どもがストレスを経験することが多いこと、しっかりと関係を築くことができる大人がいないことに起因していることを説明してきました。

そうだとすると、幼稚園や保育園において、子どもがストレスを経験せず、楽しく過ごすことができると、子どもの発達を支えられるかもしれないと考えられます。好きな教諭や保育士がいて、関係を築くことができれば、子どもは実行機能を育むことができるかもしれないというのです。実際、子どもは親以外に保育士とも、アタッチメントを築くことができます。特に、親との開係がうまくいかない場合でも、保育士とのしっかりとした関係性を形成できる事例が報告されています。

さらに、幼稚園もしくは保育園に通うことが子どもの実行機能を下支えする可能性が最近の研究から示されているそうです。東京大学の山口博士らの研究は、母親の最終学歴が高校卒業未満の家庭と、そうではない家庭の子どもが、保育園や幼稚園に行くことでどのような利益があるかを調べたそうです。母親が子どもに与える影響が大きいのは以前、森口氏は触れています。この研究では実行機能そのものは測定していませんが、多動性という、実行機能と関係する行動を測定しています。その結果、母親の学歴が高卒未満の家庭は、幼稚園や保育園に通うことによって、子どもの多動性が著しく減少することが示されているそうです。一方、母親の学歴が高卒未満の家庭以外では、幼稚園や保育園に通うことは子どもの行動にあまり影響を与えていなかったそうです。

このように、幼和園や保育園に通うこと自体が子どもの発達にとっては重要であるようだと森口氏は言うのです。

マインドフルネス

マインドフルネスでは、身体や精神に対して集中することや、また、今という瞬間に集中することを重視しているため、自分をコントロールする実行機能を向上させると考えられています。森口氏が、ここまで紹介してきた研究のほとんどが、欧米諸国など先進国において実施された研究です。これらの国々でも実行機能は重要だと思われますが、先進国以外の国々においても、実行機能の支援は喫緊の課題のようです。

タイの首都バンコクの隣のサラヤという都市にある、マヒドン大学分子生物科学研究所の研究者から、数年前に森口氏のところに連絡があったそうです。タイの子どもは実行機能に大きな問題を抱えている。この能力を育てるためのプロジェクトを開始したから、手伝ってくれないかというのだったそうです。タイといえば、徴笑みの国として知られているくらい、人々は穏やかで、治安もよく、観光客としては非常に過ごしやすい国です。森口氏の印象としては、タイの人々が実行機能に問題があるとは思えなかったそうですが、タイに行ったことがなかったこともあり、誘いに応じてタイを訪れたそうです。

そこで、先方の研究者から、衝撃的な事実を知らされたと言います。それは、研究者らの調査によると、タイの子どもの約30%が実行機能に問題を抱えているということでした。3人に1人の計算になるので、彼は非常に驚いたそうです。知り合いの研究者によれば、タイの子どもは、目の前の快楽に飛びついてしまい、勉強ややるべきことをすぐにおろそかにしがちで、特に、学校での授業が成り立たないということだそうです。また、違法薬物に早くから手を出す子どもが多く、国家的な問題になっていると言います。そのため、その研究者らは、政府や企業を巻き込んで、実行機能の発達の支援をするためのプロジェクトを開始しているそうです。知り合いの研究者らはタイ政府や企業などと連携して、学校の教師などを対象とした実行機能の勉強会をタイ各地で毎週のように開き、また、森口氏のような国外の専門家を毎年のように招いて、国内に実行機能という概念を周知しようと精力的に活動しているそうです。

森口氏らは、タイの保育園に入り、マインドフルネスが子どもの実行機能を向上させるかどうかを調べたそうです。マインドフルネスの訓練として、マヒドン大学の大学院生が、既存のトレーニングと、タイの僧侶たちが行っている瞑想とをブレンドして、新しいプログラムを開発したそうです。

プログラムは大きく二つから構成されます。毎日やる短い活動と、週に3回、各40分間の保育プログラムの一部としてやる長い活動です。これを8週にわたって続けたそうです。前者は、毎朝1~3分間、自分の呼吸に対して集中するという活動です。もっともポピュラーなマインドフルネスの活動です。

保育プログラムは以下の四つのパートから構成されました。

・注意力:呼吸に注意を向け、少しでも気が散りそうになったら、呼吸に注意を向けなおします。

・感覚:自然に感謝し、味覚や嗅覚などを存分に発揮させます。

・運動:自分の身体感覚について学び、身体をどのようにしたらコントロールできるかを学びます。

・感情:感情について学び、感情をコントロールする方法について学びます。

音楽や美術

玉川大学の石原博士らの研究は、6歳から12歳の児童を対象に、テニスの経験の長さと、思考の実行機能の関係を調べたそうです。その結果、特に男子において、テニスの経験の長さと、思考の実行機能が関連していることが明らかになっているそうです。運動とスポーツについてまとめてみると、スポーツが難しい幼児には単純な運動をすることが、小学生以上の子どもにはスポーツが有効な方法だと言えそうだと森口氏は考えています。ただ、皆が運動を好きなわけではありません。楽器を弾いたり、絵をかいたりすることが好きな子どもも多いでしよう。こういった活動は実行機能に影響を与えるのでしょうか。

東大生の子どもの頃の習い事としてビアノが挙げられることも多く、なんとなく音楽は子どもの成長に良いという印象を森口氏はもっていたようです。実際の研究でも、子どもの知能や記億の発達に音楽が有効であることが示されているそうです。ロットマン研究所のモレノ博士らの研究では、4歳から6歳の幼児が参加し、二つのグループに分けられました。一つは、音楽を通じた訓練を受けるグループであり、もう一つは美術を通した訓練を受けるグループです。どちらのグループも、1日1時間の訓練を、休憩1時間挟んで二度、週に5日、4週にわたって訓練を受けました。

音楽の訓練は、主に、リズム、ピッチ、メロディなどの音楽の基本的な特徴を区別したり、学習したりすることの他に、音楽に関する概念や理論を学んだりするなど、多岐にわたる内容でした。もう一つの美術を通じた訓練を受けるグループは、形、色、線などの美術の基本的な特徴を区別したり、学習したりしました。どちらのグループも、訓練の前後に、IQと実行機能のテストをされ、これらのテストの成績が訓練を通じて向上するかどうかが調べられました。

その結果、美術訓練を受けたグループは、IQも実行機能もほとんど変化がありませんでした。一方、音楽を通じた訓練を受けたグループは、IQと実行機能が向上したそうです。森口氏らのグループの研究結果も、音楽プログラムが幼児の思考の実行機能を向上させることを示していたそうです。音楽を通じた訓練は、森口氏の個人的には、非常に有望な方法だと考えていると言います。それは何より、子どもが音楽を楽しみ、他の子どもと一緒に取り組むことができるためだと考えています。ただし、実行機能が主体的に行動をコントロールする力であることを考えると、どんなに有効な方法でも、子どもがいやいややるような方法ではあまり効果は出ないでしよう。

森口氏は、ここまではゲーム、運動、音楽と日常的な活動について紹介してきましたが、次に、非日常の世界について考えています。子どもに限らず、ビジネスマンにも人気のあるプログラムが「マインドフルネス」です。マインドフルネスとは、瞑想やヨガなど、自分の身体や精神、呼吸などに注意を向ける活動のことを指します。森口氏らは最近、タイの共同研究者らと、マインドフルネスが子どもの実行機能を向上させるかを検討しているそうです。マインドフルネスは、宗教を思い起こさせるかもしれませんが、現在一般的に用いられているものは特定の宗教や宗派に基づいたものではないそうです。ラジオ体操やヨガのようなちょっとした活動だと考えて方がいいと言っています。

実行機能に与える影響

ジョージア大学のベスト博士は、四つの活動が思考の実行機能に与える影響を比較したそうです。一つ目は座ってビデオを見るという活動です。二つ目は、座ったままできるテレビゲームです。ここでは任天堂Wiiの「スーパーマリオワールド」を使っています。三つ目は、体を使うテレビゲームで、こちらもWiiなのですが、マラソンのゲームで、実際に走るかのような身体運動を伴います。四つ目は、少しだけ体を使うゲームで、ジョギングしたり動いたりするかのような身体運動を伴います。三つ目と四つ目は、一つ目と二つ目に比べて、運動の負荷が高いということになります。子どもは、それぞれの活動に参加した後に、思考の実行機能のテストを受けました。その結果、身体的な活動量が多い三つ目と四つ目の活動に参加すると、実行機能の成績が良いことが明らかになりました。運動は実行機能を向上させる効果がありそうだと森口氏は言います。

また日常的な運動習慣も長期的には実行機能の発達にとって重要なようです。たとえばエアロビクスのように複雑な運動も実行機能を向上させることが示されているそうです。エアロビクスの場合、ある運動と別の運動を切り替えたりするので、実行機能のよい訓練になるようです。子どもにダンスやエアロビクスなどを習わせるのも有効かもしれないと森口氏は言います。運動は、高齢者の研究などでは非常に有効な方法とされ、子どもへの応用が期待されているそうです。ただ、現代の子どもは、単純な運動というよりは、サッカーなどのスポーツを習い事にすることが多いかもしれません。

では、スポーツは実行機能に影響を与えるのでしょうか。実は、単純な運動よりも、スポーツのほうが実行機能を向上させるようです。特に有名なものとして、テニスとサッカーが挙げられます。そこで、テニスについて考えてみます。テニスは個人競技ですが、相手との長い戦いのなかで、自分の感情や行動を持続的にコントロールする必要があります。たとえば思い通りにボールを打てなかったときや、サーブが入らないときに、どうしてもいらいらしてしまいます。実際、テニスの試合を見てみると、プロのかなり高いランキングにいる選手であっても、ラケットを叩き壊したり、放り投げたりします。このようなときに頭の切り替えは必須だと森口氏は言います。

テニス界史上最強とも言われるスイスのロジャー・フェデラー選手は、今でこそスポーツマンシップにあふれ、試合中も紳士的な振る舞いで世界中にファンがいますが、若い頃はお世辞にも自制心がある選手とは言えなかったようです。子どもの頃は、集中力がなく、感情的でいつもエネルギーをもてあまし、何よりじっとしていられなかったようです。また、とにかく負けず嫌いで、相手にショットをきめられると、怒り出して、相手に負け惜しみを言っていたというエピソードも残っているそうです。フェデラー選手の母親から見ても自分をコントロールする力がない子どもに映っていたようですが、心理学者の力を借りて、自分をコントロールする力を身につけるよう試みたそうです。その影響があったのか、フェデラー選手の素行の悪さは鳴りを潜め、スーパースターの階段を駆け上がっていきました。最近の研究は、テニスの経験によって、子どもの実行機能が身につくことを示しているそうです。

訓練と振り返り

森口氏は、科学的に信頼できる方法を用いて実行機能を訓練した研究について紹介しています。まず、多くの研究者が採用しているのはひたすら練習をするという方法です。この方法では、コンピュータなどを用いて大量の練習を課し、その前後で実行機能が改善するかを調べます。彼は、コブレンツ・ランダウ大学のカバチ博士の研究を紹介しています。

まず、子どもに切り替えのテストをやってもらい、訓練前の子どもの思考の実行機能を調べます。当然、子どもはこのテストで多くのミスをしてしまいます。ルールを切り替えるときに、正しくルールを切り替えることができません。その後に、切り替えテストと同じようなゲームを用いてひたすら訓練します。ドリルみたいなものです。一定の基準に達したら訓練が終わり、その後に、もう一度切り替えのテストを子どもにやってもらいます。訓練前後でテストの成績が変化するかどうかを調べます。こうした訓練の結果、思考の実行機能の成績が、訓練後に向上することが示されました。

この方法はひたすら訓練を繰り返すことによって実行機能を向上させようとしていました。しかし、練習を繰り返すだけでは、あまり効果的ではないと考えられています。もう一手間加えた訓練方法を森口氏は紹介しています。教育現場では、子どもに対して学習内容を授業の最後に振り返ることを求めます。学んだ漢字や算数の公式などを振り返り、復習することで知識の定着が促されます。実行機能の訓練においても、このような振り返りをすることによって、訓練の成果が出やすいことが示されているそうです。森口氏は、切り替えテストを例にしています。ミネソタ大学のゼラゾ博士らの研究です。この研究では、訓練の前後に切り替えテストを与えて、訓練によってテストの成績が向上するかどうかを調べました。訓練では、テストと同様に、切り替えのゲームが子どもに与えられます。このゲームで子どもがミスをしたときに、ミスについて振り返らせます。形ルールで分ける必要があるのに色ルールで分けた場合、今どのルールで分ける必要があったのかを子どもに考えさせます。そのうえで、実験者がお手本を見せます。その後に実際に子どもに分けさせるのです。このようにして子どもに自分のミスについて振り返ってもらい、どういうミスをしたのかをしっかりと考えてもらうことで、子どものミスは大きく減少したそうです。振り返りを入れると効果的なようです。

このようなプログラムは多くの研究者が採用しているそうですが、森口氏は、訓練のために大人しく座っていることができるだけでも、その子どもはある程度実行機能があるのではないかと考えています。彼自身は子どものときにじっと座っていることが苦手であり、授業中にもよく席を立っていたそうです。では、大人しく座っていることができない子どもに対してどのような訓練が有効なのでしょうか。

座っていることのできない子どもには、むしろそういう活発な性格を利用したらいいかもしれないと森口氏は助言しています。そこで、運動を通じた訓練方法が提案されているそうです。その一つである、小学生を対象にしたジョージア大学のベスト博士の研究を紹介しています。この研究では、四つの活動が思考の実行機能に与える影響を比較したそうです。

訓練のしかた

森口氏は、実行機能を鍛えるための方法を提案しています。

これまで、自分をコントロールする力である実行機能の育て方について見てきましたが、それは、遺伝的な要因も重要であるものの、子どもにおいては、子育てなどの環境的な要因が与える影響が非常に大きいことが示されていました。そうすると、実行機能を鍛えたり支援したりすることができそうだと森口氏は言います。国外では実行機能の低い子どもたちを支援する動きが広がっているそうです。では、どのような方法で実行機能を支援できるのでしょうか。

子どもの実行機能を訓練する研究はまだまだ途上だと言います。世界中の研究者が実行機能を向上させようとさまざまな方法を試みているそうです。森口氏は、現時点での最新の成果を紹介していますが、5年後や10年後には異なった結果が出ている可能性はあると言います。そこで、改めて、なぜ、研究者たちは実行機能の訓練にそれほど注目しているのでしょうか。

一つの理由は、子どものときの実行機能の高低などが、その子どもの後の学力や友人関係、大人になったときの経済状態や健康状態を左石するためだと言います。もう一つの大きな理由は、実行機能はIQなどよりは、支援や環境の影響を受けやすいと考えられるためだと言います。

実行能を鍛えるためにどのような訓練が有効であるのかは、科学的に調べることが可能だそうです。世の中には、子どもの能力開発を謳うかなりうさんくさい教育方法や塾まがいのものがあるので、この点を理解することは極めて重要だと森口氏は言います。たとえば、子どもが家で、ある英語を2カ月間聞き続けて、その後で英語のテストの成績が向上したとします。この場合、この英語のおかげでテストの成績が向上したのでしょうか。そうではないかもしれないと森口氏は言います。たとえば、子どもが学校で日常的に英語の授業を受けていたら、英語の授業のおかげでテストの成績が向上したのかもしれません。

こういう場合、いくつかのグループを用意し、そのグループにランダムに子どもを参加させることで、英語CDの効果だったかを調べることができます。たとえば、英語CDを聞くグループと、それと比較するグループを置きます。前者を実験群、後者を比較群とか対照群と呼びます。この比較群は、できるだけ実験群と同じような活動をすることが望ましいとされています。たとえば、英語を聞くグループとの比較であれば、何もしないよりは、英語以外のCDを聞くグループのほうが良いということになります。

ランダムというところが大事だと言います。研究者側が、成績が上がりそうな子どもを実験群、そうではない子どもを比較群に当てはめても意味がないためです。ランダム化比較試験と呼ばれます。比較群と比べて実験群のほうがより英語のテストの成績が向上していれば、英語の効第があったと結論づけることができます。逆に、両群で同じようにテストの成績が向上していれば、英語CD以外の効果だということになります。

このような方法を用いて有効だと言える方法こそ、科学的に信頼できる方法だと森口氏は言います。そこで、彼は、主にそのような方法を用いて実行機能を訓練した研究について紹介しています。最初は、個別の子どもを対象にした方法を紹介し、次に集団としての子どもを対象にした方法について紹介します。