高い期待

成績の悪い7年生の生徒たちに、自分にとってのヒーローについて作文を書くように言いました。作文は担任によって添削され、普段どおり、余白に疑問点や提案が書きこまれました。対照群の付箋紙にはごくあたりまえのつまらない説明を、処置群の付箋紙は、高い期待を寄せていること、また、生徒がきっとその期待に応えられると確信していることを示すメッセージを書きました。

生徒たちは、添削されて付箋紙の貼られた作文を受けとり、成績をあげるためにコメントに応じて作文を書きなおすかどうか選ぶ権利を与えられました。クラスのなかで、白人の生徒たち、彼らは、人種のステレオタイプによって教師から不利な判断をされる心配がない生徒たちでしたが、彼らのあいだでは、「高い期待」の付箋を受けとって書き直した生徒はわずかに増えたものの、効果はごく小さかったそうです。しかしアフリカ系の生徒たちのあいだでは、処置群と対照群のあいだに大きな差が現れたのです。ただの「フィードバック」の付箋を貼られたグループでは、書きなおした生徒は17パーセントだけでしたが、「高い期待」の付箋を貼られたグループでは72パーセントにものぼったそうです。2回めの類似の実験では、生徒全員が再提出を求められ、「高い期待」の付箋を受けとったアフリカ系の生徒が書きなおして取った点数は、ただの「フィードバック」の付箋を受けとった生徒よりも15点満点のうち2点以上高かったそうです。いい換えれば、「高い期待」の付箋紙に書かれたメッセージは、たったの一文でしたが、書きなおそうという気持ちを引き出しただけでなく、実際に作文の質も高めたのでした。

この目覚ましい結果の裏にあるものはなんなのでしょうか?後にコーエンとともに結果を再検討したイェーガーはこう考ええいます。付箋紙のメッセージは、生徒の頭のなかに鳴り響く闘争・逃走のアラームを決定的なタイミングで切ったのではないか。生徒が教師の添削を脅威として、自分に対する非難や偏見のしるしとして受けとめ、反応しようとしたまさにその瞬間に、付箋紙のメッセージがべつの見方を与えたのです。添削は攻撃ではなく、もっとうまく書けるという信頼の表れだと思わせたのです。

イェーガーは、返却する課題すべてに「高い期待」の付箋紙をべたべた貼りつければいい、といっているわけではありません。教師は変化を起こすチャンスをつかまえて、学校を脅威の場所と思っている生徒と接するときにコミュニケーションの方法を変えることで、彼らが感じている脅威をやわらげることができるということなのです。これがイェーガーの結論なのです。声の調子を変えるといった比較的小さな変化だけで信頼を築ける生徒もいるかもしれません。付箋紙の研究からもそれはうかがえます。しかし、ストレスの高まった瞬間だけでなく、つねに闘争・逃走反応の起きた状態がつづいている生徒の場合には、つながりや帰属意識を持たせるために、もっと徹底した介入が必要になるようです。

シカゴ大学の経済学者、イェンス・ルドヴィグは、同大学の犯罪研究所のディレクターを務めており、ここ数年「ビカミング・ア・マン」BAMと呼ばれるカウンセリング・プログラムの研究をしているそうです。このプログラムは、シカゴの49の学校、おもに低所得地域の高校で実施されているそうです。

高い期待” への9件のコメント

  1. 教師自体にというよりも、学校自体に拒否反応が出ているときの対応は、非常にシビアにならざるを得ない状況です。まるで、ピーマンが嫌いすぎて食事自体が嫌になるように、そこから信頼を回復させる、自ら学ぼうとする気持ちへと引き上げるというのは容易ではないと思っていました。しかし、付箋に書かれた1行のフィードバックの効果によって、学びに対して前向きになっただけでなく、実際に質も高めたといのは驚きですね。そんな短期間で質が高まるということは、質というのはスキルではなく、まさに非認知能力のような環境の産物であることを強く感じざるを得ません。声のトーンを調整したり、タイミングのよいコメントをしたりなど、適切な介入方法は子どもによって様々でなくてはいけないことを感じます。

  2. 期待されたらがんばろう、と私も素直に思います。その意味では、処置群に属する「アフリカ系の生徒たち」と一緒だな、と妙な共感を覚えました。「闘争・逃走反応」は場の雰囲気を決定的に悪くしますね。負けられない、とか、あぁこの集団ではやっていけない、去ろうなどという心理が働いている状態は決して幸せとは言えないでしょう。米国の低所得層が多く暮らす地域においては、この「闘争・逃走反応」が若者たちの間に充満しているのでしょう。今もかつてもそうでしたが、一部の富裕層を活かす政策や体制が実施されている社会では、こうした感情が底辺では渦を巻いているのでしょう。日本でも同じような状況があちこちで出始めているようです。7人に1人は貧困家庭の子どもであると近年の日本では言われます。このままいけば、この7人に1人はやがて6人に1人とか5人に1人になってしまいます。そして闘争・逃走反応が横溢した若者が増えていくでしょう。何とかしなければなりません。

  3. ただ、自己選択ができるだけの自由度があるからといって、成績が上がるというわけではないのですね。そこに「期待」があることで、ポジティブな考えになり、主体的に物事に取り組むようになるということが分かります。ここに大人の役割があるということが分かります。そこには考え方を押し付けるといった行為はなく、その反面、放っておくといったようなことでもなく、適切な距離感があるということが見えてきます。生徒において、主体的に取り組むような環境を作るために大人は期待を込めることは非常に大切なことですね。「白紙論」で考えると子どもは「できないもの」というのが前提です。これが前提では「信じる」ということにおいても、ネガティブな意識のほうが先にたってしまうように思います。こどもは自ら学ぶ力を持っていて、子ども自身にも人生があり、その「フォロー」として大人の役割があるということを考えて関わっていかなければいけないのですね。

  4. 自分で選んだこと、選択したことなら上達していくであろうと思っていたらそうではなく、そこに「期待」というものが必要になるんですね。その期待があることで「自分がここに必要なんだ」「ここにいていいんだ」というような帰属意識が生まれてくるのでしょうね。
    そこには、大人のような存在も必要ということになるのでしょうか。結局、その人に期待する人を考えた時に、その人を信じている人はその人に期待を寄せて関わるのだろうと考えます。その人の期待が本人に伝わった時にその期待に応えようとして、人は頑張るのですね。たしかに、何も期待されていないことを感じると、無理難題に立ち向かおうとは思いませんね。まずは「信じること」だと思いました。

  5. 期待をするというのは実はとても難しいことなんだと大学四年のバイトで最上級生となったときに気づきました。期待せず任せず全て指示をだし全て自分の経験則に基づいた最善でやれば失敗はしませんが後輩は成長もしません。以前先輩保育士と自分がどんな先輩になりたいかという話をしたときに、後輩の意思を最大限尊重して任せてあげられる先輩になりたいと答えました。もし後輩が失敗してもフォローしてあげられるような、成功したら手柄を全て明け渡してあげられるようなそんな接し方をしたいと思ってたことを思い出す内容でした。

  6. “教師は変化を起こすチャンスをつかまえて、”学校を脅威の場所と思っている生徒と接するときにコミュニケーションの方法を変えることで、彼らが感じている脅威をやわらげることができるということなのです”とあり、誉めてばかりではいけないが、必要な誉めるのタイミングを普段の姿から考えていく重要性を感じます。また、一声のタイミングによっても自己肯定感も高くなり、一段と何かへ期待をもち、取り組む姿勢というものが増えてくると思いました。期待が重圧にならないために、目の前にいる子どもの姿にしっかり目を向ける必要がありますね。

  7. 徹底した介入、という言葉に触れ、見守る保育 Fujimori methodの大人と子どもの距離感についてとてもよく似ていると感じました。見守れる子どもに育てる見守る保育 Fujimori method、見守れるようになるまでには、その子と距離を置けるようになる為に様々なアプローチが必要です。手取り足取り教えることもあるかもわかりませんし、行っていい場所・行ってはいけない場所、触っていいもの・触ってはいけないもの、などなど細かく伝える必要があるかもわかりませんし、そのどれもを子ども集団が伝えてくれる場合には、幾分か距離を置いて見守ることができるかもわかりません。ただ、やはり最初はその子がどのような発達なのかを知る為に介入するようなアプローチになってしまうでしょう。そういう意味でも子どもたちの転機に介入が必要であるという教育的アプローチ、とても共感出来ます。

  8. 『イェーガーは、返却する課題すべてに「高い期待」の付箋紙をべたべた貼りつければいい、といっているわけではありません。教師は変化を起こすチャンスをつかまえて、学校を脅威の場所と思っている生徒と接するときにコミュニケーションの方法を変えることで、彼らが感じている脅威をやわらげることができるということなのです』ということはまさに保育をしていくなかで大切なことだですね。保育の方法、技術ばかり先行するのではなく、やはり大切なのは子ども一人ひとりに応じた関わりであるということを改めて感じました。この子には今日はこう関わった方が良さそうだなというように日々の中でも子どもへの関わりは変化します。そのために子どもをちゃんと把握することも大切ですし、様々な大人が多面的に見ることができるチーム保育のような方法もまた大切になってくるのかなと思いました。

  9. ブログを読んでいて「褒める」について藤森先生の考え方と似ていると思いました。先生はよくプロセスを評価することが重要と言われているように、出来上がった作品や結果だけ評価してしまうと、本来重要であるそれまでの過程を疎かになってしまう可能性があるように、付箋もただ貼れば良いというわけではないですね。子どもの変化を見逃さず、その瞬間を狙って介入することで、オセロのように簡単に意識が変わる気がします。それは大人の社会でも同様なことが言えるような気がしました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です