行動を変える、考え方を変える

第二に、私たちは行動を変える必要があるとタフ氏は言います。逆境に育つ子どもたちのためによりよい環境をつくりだすプロジェクトは、根本的には個人の仕事であると言います。つまり、日々低所得層の子どもたちのために働いている教師、メンター、ソーシャルワーカー、コーチ、それに親は、大々的に法律が整うまで待つ必要はありません。きよう、あした、あさってのうちにも行動を起こせば、それが子どもたちの成功を助けるというのです。タフ氏が今まで説明してきた研究が明らかにしているところによれば、子どもたちの人生の軌跡は、大人にとってはたいして重要でもないように見える些細な物事から変わりはじめているのです。親の声の調子。教師が付箋紙に書くメモ。数学の授業のやり方。難題に直面した子どもの話を聞くために、メンターやコーチがほんの少し余分な時間を取ること。こうした個人的な行動が強力な変化を生むこともあるというのです。そして個々の変化が国じゅうで共鳴することもあるというのです。

第三に、私たちは考え方を変える必要があると言います。タフ氏が提示してきた支援の研究を読んでいると、デークの詳細にとらわれやすくなります。サンプルの規模とか、標準偏差とか、回帰分析とか、データは確かに重要です。しかしときには、こうした研究をおこなった個々の人間のことを考えるのも役に立つと言います。ロシアの狐児院や、ジャマイカの貧困地域や、シカゴの高校や、クイーンズの誰かの家の居間まで出かけていって、「私は子どもたちの助けになりたい。私たちはもっとうまくできるはずだ」と発言した医師、心理学者、ソーシャルワーカーたちがいたことを思いだしてほしいとタフ氏は言います。

こうした研究者たちの出したデータが利用できるのとおなじように、彼らの行動そのものもひとつの例として役に立ちます。もしコミュニティ内、あるいは国内で苦しんでいる子どもたちがいるならば、何かできることがあるはずだと言います。それが研究者らの仕事の大前提でした。子どもたちへの援助をどう届けるのが最善か、知るべきことはまだたくさんあると言います。研究者たちがおこなっている仕事を私たち自身も引きつぎ、広げる必要があると言います。自分で何かしら手を打つ必要があることは、すでにわかっているのですから。

逆境にある子どもたちを手助けして困難な環境を乗りこえさせるのはむすかしいと言います。たいていはひどく骨の折れる仕事を伴うからです。気が滅入ることも、気力を挫かれることも、腹立たしいこともあるかもしれません。しかしそれが個々の子どもや家族の暮らしのなかだけでなく、私たちのコミュニティ、ひいては国全体に莫大な変化を生むことは、研究結果から明らかです。その道のプロであることを選んだかどうかにかかわらず、私たち全員にできる仕事です。研究者たちがしてきたように、もっとうまくできるはずだと、まずはしっかり認識すること。最初のステップは、それだけだとタフ氏は最後に言います。

行動を変える、考え方を変える” への5件のコメント

  1. 「逆境に育つ子どもたちのためによりよい環境をつくりだすプロジェクトは、根本的には個人の仕事」というタフ氏の言葉を聞いてみが見が引き締まる思いです。政策が変わることを期待して、それまで何もせずにぼーとしていれば良いということではありません。子どもたちに関わる全ての大人が、あと伸びする学びの基礎となる力を育むための日々の小さな環境を変えることが、子どもの未来をより明るいものにさせることは、なんとなくわかっていましたが、それはわかったつもりになっていただけであり、具体的な、子ども同士での学び合いや付箋でのフィードバックという小さな認承、そして、生活困難世帯へのアプローチなど、一人でも多くの社会での暮らしを楽しめる存在育成が、我々の役割であることを教えてくれました。

  2. できるところから始める、学ぶたびにそう思います。園に見学に来る先生たちにもそのことを伝えます。何ができたか、そして次は何をするのか。子どもたちは日々成長していきます。変わっていきます。その成長変化に対してより良い環境はどうやったらできるのか。失敗したらどうしようか、ダメ出しをくらったらどうしようか、などの心配をするより、そう、案ずるより産むがやすし、と言いますね。まずは、行動する勇気を。そして「考え方を変える」こと。「私は子どもたちの助けになりたい。私たちはもっとうまくできるはずだ」管理職にいる人の場合「私は先生たちの助けになりたい。私たちはもっとうまくできるはずだ」という考え方。共生と貢献。ここでもこのことが思い浮かべられるのです。「もっとうまくできるはずだと、まずはしっかり認識すること。最初のステップは、それだけだ」とのタフ氏の言。いただきます。

  3. 「もっとうまくできるはずだと、まずはしっかり認識すること。」なるほどと思いました。どこかこれまでの保育の内容は停滞していたような気がします。毎年、同じように行事をし、それに追われていくうちに一年が終る。といった繰り返しをしていることも少なくありません。そして、それが子どもたちの人生においてどれほどの影響や価値があるのかというのを考えたとき、小学校に向けてというように短いスパンで捉えることも多くあります。まずは、もっと広く幅の広いスパンでの見通しや願いを込めて保育や教育に当たるということも必要なのかもしれません。形や行動として見やすい表面的なカリキュラムではなく、深く根付く根本的な「学習の基礎」は成績ではなく人格形成にこそ意味があるということにもっと目を向けていくことが求められているように思います。何事にも原理原則を中心に考えていくことが重要なことですね。

  4. 「私たちはもっとうまくできるはずだ」と思うことが、逆境に立たされている子どもたちにも多大な影響を与えていくということでした。その自信をもつのは、並大抵のことではできないことでないか、と自分は思ったのですが、どうなんでしょうか。上には上がいて、進めば迷い、失うものはその自信であるように思います。もしかすると、「ともに」という姿勢を忘れているのかもしれません。
    一つの好転で物事が全てうまくいきだすようなこともあります。どんなに迷っていてもできるものからしてみること、まずは行動してみることを心がけていきたいですね。

  5. ゾーン保育という言葉が先行し、その意味合いにまで至らずにその保育が展開されているかもわからないという話を耳にしたことを思い出し、なるほどもしかしたらそれは100匹目の猿現象のようなもので、見守る保育 Fujimori Methodが最早現象となって、今の現状に留まることをよしとしない人たちの元へ現れるようになってきているのではないかとすら思えてきます。この共鳴がいつしか世界的共鳴になっていくことも本当に夢でないことを改めて感じながら、目の前の自分のできることをしっかり実践していくことこそ、最短の近道なのではないかと思えます。

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