欲求

目の前のコップ1杯のビールという選択は、自分にすぐに小さな喜びや快楽を与えてくれます。一方、数分後のジョッキ1杯という選択は、少し後により大きな喜びや快楽を与えてくれます。二つの選択肢を与えられたときに、どちらを選ぶのかが、自分をコントロールする力を表しています。

女性も、男性も、子どもも、大人も皆、それぞれの立場で、さまざまな誘惑と戦い、自分をコントロールしています。森口氏は、あるサラリーマンの一日を想定しています。

「朝から配偶者に嫌味を言われ、落ち込んだ気分で一日が始まります。気持ちを切り替えるために甘いパンを食べたいところですが、血糖値が高いので、糖分控えめのパンにしておきます。ようやく家から出たものの、次は満員電車です。隣の乗客の肘がおでこをかすめようともいちいち喧嘩していられませんし、優先席が空いて座りたいなと思っても、そこを必要とする人がいるので、立ち続けます。

会社に到着し、仕事にとりかかろうとしたら、上司がやってきて、別の仕事を優先してやってくれと言ってきました。一言くらい言い返したいところですが、ボーナスの査定に響くと思い、じっと耐えなければなりません。

食事においても、誘惑との戦いはつきものです。楽しみの昼食でも、大好きな食べ物、ラーメンやパスタではなく、比較的カロリーが低いとされるビーフンをコンビニエンスストアで購人します。せめてコーヒーでも飲みたいところですが、今月のお小遣いはあまり残っておらず、泣く泣くあきらめます。

ひと仕事を終えた後には一服したいところですが、タバコの値段は年々上がり続けるうえに、タバコを吸う場所を見つけるにもひと苦労するような世の風潮もあり、タバコを吸いたい気持ちを抑えつけます。夜には、眠けを抑えて残業です。世間的には時間外労働は制限されるようになりましたが、ときには残業が続くこともあります。」

このように、誘惑や困難に打ち勝つことは、私たちの日常生活で頻緊に必要とされます。シカゴ大学のホフマン博上の研究では、205人の大人にポケットベルを1週間持たせて、一日のさまざまな時間にポケットベルを鳴らしたそうです。そして、その前後で何らかの欲求を感じているか、その欲求をコントロールしているかどうかを尋ねました。その結果、研究参加者は、ポケベルが鳴った瞬間、半分で何らかの欲求を感じ、その多くの機会でその欲求を抑え込んでいると報告したそうです。これくらい、私たちは欲求を感じており、その欲求に抵抗しているのです。

最も多いのは食欲や睡眠欲だそうですが、それ以外にも、性欲やタバコ、はては、ソーシャルネットワーキングサービスでの承認すら私たちに快楽を与えてくれるので、その種の欲求もあります。

このような欲求に打ち勝つことができなかったらどうなるでしょうか。人間関係にしても、健康にしても、子育てにしても、想像しただけで恐ろしいと森口氏は言います。健康な社会生活を営むうえで、自分をコントロールする力が重要な役割を果たしているのです。

欲求” への6件のコメント

  1. サラリーマンの話がありましたが、まさに私の生活に似たような話ですね。誰しもが常に欲求をコントロールしながら生きていますが、社会では生きていけないでしょうね。必ずしも人は社会の中で生きており、自分の思い通りにはならず、うまく人間関係を調整しなくてはいけません。
    藤森先生の講演にあったように、0歳から集団のストレスの中で生活することで、それを当たり前だと思い、乗り越えて行けるような環境を作っていかなくてはいけないと思いました。

  2. 1日の中で、こんなにも自分をコントロールしている場面があるのだなぁと改めて感じます。世の中で、経済的にも自由に使える時間的にも豊かで恵まれた、いわゆる成功者と呼ばれる人というのは、この自分をコントロールする力に長けているイメージがあります。目先の欲求や快楽よりも、その先にあるより大きな見返りや喜びを手に入れる味をしめているかのように、誘惑から自分をコントロールしていくのでしょうか。それには、少なくとも先を見通す力を必要とすることは理解できます。その先をより具体的にイメージできるかという想像力も必要になるかもしれません。

  3. おそらく今生きて何等かのことをしてきた人々は大なり中なり小なり自分をコントロールして生きてきた人たちなんでしょうね。麻薬に憑りつかれた芸能人等が時々ニュースになりますね。中毒、アディクト。60年近く生きているとその時々で誘惑がありましたね。もっとも大変だったのがニコチン中毒、そしてアルコール中毒。いわゆるタバコと酒。ニコチン中毒から脱することはできましたが、アルコール中毒からはまだですかね。「ソーシャルネットワーキングサービス」中毒も気を付けたいですね。FBなどやっていると「いいね」ほしい中毒になってしまいますね。あるいは投稿中毒になってしまいますね。ゲームもやばいですね。まぁ、いざ止めなければならない時に止められるなら、そして健康を害さず健康保険証の世話にならなければ、いいとしたいところですね。それでも、世間は本当にストレスだらけ。それこそセルフコントロールにセルフコントロールを重ねないと生きていけません。平和で民主的しかも健全な社会を形成するためには実効機能の獲得が必要不可欠ですね。

  4. サラリーマンの欲求を我慢している事柄を上げてみていくと、意外といろんなところで欲求の我慢をしているのに気づかされます。大なり小なり、こういった欲求を我慢することは日常茶飯事であり、こういったことを「我慢しない」ということは社会で生きていくことは困難になってきますね。最近では、会社や企業、保育園や幼稚園にしても職員が定着せず、すぐに転職する人が多くなってきたと聞きます。企業側も働く人のつなぎ止めが難しくなっているという話を聞きます。以前テレビで見たように高学歴ニートという人も多くなっており、その理由が「怒られたくない」でした。もちろん、これまでの社会との変化や、組織形態のありかたの変化もあるでしょうし、よくなっていく分にはいいのですが、それでもこういった話をきいていると、「我慢」というところの変化や時代は変わってきているようにも感じられます。また、周りと調整するというのはなかなか苦手とする人が多いように思います。私も人のことは言えないのですが、これではいくら学があっても、社会に発揮できる人材にはなりません。本当に社会につながる力とはいったい何なのか、そのために保育や教育はどうあるべきなのか、毎回ブログを読むたびに自問自答しています。

  5. 読んでいて、こんなにも自分自身をコントロールする機会があるんだな、というのが率直な感想です。自分にも似たようなことがあることですんなりと理解ができます。
    ですが、これだけのことをしているのに、それができないとなると大変なことになりますね。それこそ、仕事どころではないし、勉強どころでもないのでしょう。仕事に行くまでにもいくつものコントロールする機会があり、その前の家の中でもそうであり…と人との関わりは常にそんなストレスにさらされるのでしょう。
    意外とみんなすごいことをしながら日常生活を送っているんですね。

  6. 人というのも所詮動物ですから、本来弱いものを淘汰しより強く逞しく、身内の反映を第一に考えて強きものが弱きものを従えて生きていく生き物のはずです。その証拠に勝つ喜びや、よりよい遺伝子を残そうとする心理は今もなお根強く残っています。にもかかわらず、より安全に子孫を残していくために集団を大きくしていこうとするとそこかしこにジレンマが生まれるというなんとも矛盾を抱えた生き物なのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です