支配的指導

各国での日本の授業の進め方で評価が高いのは、グループ活動だと言われています。教師から一方的に教わるのではなく、一人で考えるのではなく、グループの中で話し合い、そして、子どもの方から答えを見つけていくという方法です。これに比べてアメリカの教室では、分母の異なる分数の足し算という新しい単元に入るとき、ふつうは問題を解くのに使える公式を教師が頭上のプロジェクターに映しだすことからはじめ、生徒はそれを書き写し、覚えて、次につづく問題を解くのに使うのです。教師は頭上のプロジェクターで例題をいくつか最後まで解いてみせ、生徒はそれを見て、聞いて、その問題をノートに書き写します。それから教師は生徒たちが自分で解くようにと、先ほどやってみせた例題とそっくりな練習問題を与えます。スティグラーとヒーパートが『日本の算数・数学教育に学べ』に書いたところによれば、この指導法の前提は、生徒たちが新しい手順を吸収するのは「何回も練習すること」によってであり、「練習問題は先に進むに従って、まえの問題よりも少しむずかしくなる」と言います。アメリカの教師の指導の原則では、「練習はまちがいのないように、成功確率の高い状態でおこなわれるべきであるとされます。混乱や不満は、従来のアメリカ式の見解では、最小限に抑えるべきなのである」。

スティグラーのチームは何百時間もの録画データを活用して、こうした文化的な傾向にしつかりした数字をあてはめました。日本では、数学の授業時間の41パーセントが基礎的な練習、つまり次から次へと問題を解くことに使われていました。しかし、44パーセントはもっと創造的な活動にあてられていました。新しい手順をあみだしたり、知らない問題に知っている手順を使ってみたり。これに対してアメリカの教室では、生徒の時間の96パーセントが反復練習に使われ、新しいアプローチについて思案する時間は1パーセントにも満たなかったのです。

アメリカで支配的なこの指導方法を用いれば、日本の生徒たちか強いられる困惑や苦労、不快感は与えずに済むかもしれませんが、ロン・バーガーがいうような「性格をつくりあげるチャンス」も取りあげてしまいます。規律を守らせるためのいっさい許容しない方針が、貧困層の子どもたちをむしろ学校から遠ざける方向へ働いたのとおなじように、従来のアメリカの教育の多くの要素が、子どもたちを成功から遠ざけているのだとタフ氏は言うのです。

このような人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。欧米では、教師からの指導が中心になっているのです。この事実を私は知った時に、今までの保育カリキュラムは、欧米で考えられたものが中心で、特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。しかし、この研究が小学校以降を対象にしていますが、実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです。そんなこともあって、「見守る」という考え方は、なかなかアメリカでは受け入れにくいのでしょう。

 

支配的指導” への9件のコメント

  1. 日本の学校教育の成功の一つに「班活動」が貢献しているということを何かで読んだ記憶があります。小グループにおける互助活動は、確かに、欧米におけるほぼ100%の教師主導のやり方とは異なりますね。数学の授業における日米の違いの例が今回のブログで紹介されています。なるほど、と思いました。半分は先生主導であっても残り半分は生徒たちの自発的な取り組みによる日本式は、「グループの中で話し合い、そして、子どもの方から答えを見つけていく」という知識の定着度合いが高まる方法なのでしょう。「人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。」そしてこのことが「性格をつくりあげるチャンス」に繋がる。集団における学習の仕方が個人の性格形成に影響を及ぼす。考えてみるとすごいことです。「特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。」そしてアメリカの手法に基づく評価スケールにもそのことが色濃く反映されているわけですから、日本式の子ども同士の学びの良さは自ずと評価対象外になる、ということも明確になりました。

  2. アメリカの失敗に対する見方が次の文から読み取れます。「練習はまちがいのないように、成功確率の高い状態でおこなわれるべきであるとされます。混乱や不満は、従来のアメリカ式の見解では、最小限に抑えるべきなのである」。確かに、目の前に起きた事象に対して必要最低限の損失で乗り切るための方法を学ぶというのは賢いやり方かもしれません。しかし、教育という場はまさに、本文の「人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきた」ことを社会を通して知るための場所であるべきだと感じました。学校の最上位目標は「自律」であるべきであり、それは社会でより良く生きていくためであることを忘れてはいけないと、これまでにも学びました。目的と手段を取り違わないようにすることが大事であると、強く再認識しています。

  3. 日本においては、予習復習が非常に重要視されています。そして、そのほとんどが繰り返しの基礎的な練習です。どちらかというとアメリカ的な形で一般的には行われていることが多いように思います。結果的に人と一緒に活動するということよりも、個々の成績ばかりが取り上げられ、結果として自分と人とを比較するという構図が出来上がっているように思います。班活動というのはそういった側面から見ても、違った意識が生まれてくるように感じます。まさに、欧米式からイエナプランや寺子屋方式に見方が見直されてきているように感じます。「規則を守らせるために許容しない方針が、かえって子どもたちの成功を遠ざけている」このことは日本においても、未だ根強くある傾向だと思います。しかし、それは結果として社会にとっていい傾向であるとは言えないことを最近のニュースや若者を取り上げた番組を見ていても感じます。「人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性」というものは誇るべきものでもあります。しかし、これをより社会に生かしていくためには成績や学歴といったもの以上に本来の「社会」というものを忘れてはいけないというのを改めて感じました。

  4. そもそも学校の目的は何なのでしょう、というところから考えてみれば、勉強ができるようになるためのものであるのか、社会に出る時に必要なものを学ぶところであるのか、ということを考えたら、やはり日本では後者となるのではないかと思います。アメリカではどうなんでしょうか。そこのところが気になりましたが、これから我が子と向き合っていく中で、目的と手段の違いをしっかりと区別することが必要であるんだなと思いました。そして、それは乳幼児を保育している中でも同じことであり、常に考えながら行動していかなければならないことのように感じました。

  5. 自由の国アメリカでそのような教育体制がとられているのは驚きでした。ただそれでも学ぶ人の母数が多いことや飛び級が可能なこと、個人的に学びを深めることができる環境があることなどが学びの歩みを止めていないことの所以でしょうか。これから先もしもアメリカが大きく転換し日本のような自ら考え答えを模索する時間を増やした教育やさらにそれをアップデートした教育を国の基準としてもうけたときどのような人材が生まれるのか期待がもてますね。

  6. アメリカで教育者による一方的な指導方法が盛んなのは、子ども社会が学校でなく家庭にふんだんにあるからではと想像してしまいましたがどうなのでしょうか。映画やテレビの中でしかアメリカを知らない無知な意見なのですが、それでも日本の大学よりアメリカの大学の方が教育水準が高いことを思うと、教育方法というより、子どもたちのおかれている環境が日本と異なるのではないかと想像してしまいます。その中で必要な学びや遊びは満たされていて、だからこそそのような教育に子どもたちは柔軟に対応していっているのではないでしょうか。しかしだからといって、支配的な指導方法が最善であるとは全く考えません。やはり子ども社会が子どもたちにとって必要不可欠であることと、日本には日本の、アメリカにはアメリカの見守る教育が必要なのではないかと思いました。

  7. 「アメリカの教室では、生徒の時間の96パーセントが反復練習に使われ、新しいアプローチについて思案する時間は1パーセントにも満たなかったのです」これには驚きました。そこまで反復練習の割合が多いのですね。というより、ほぼ反復練習ですね。そして、子ども同士から学ぶという意識がないということも分かりました。「実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです」とあるように、日本は欧米の影響をなんとなく受けてしまうような雰囲気がありますが、自国の強みといいますか、日本人の文化といいますか、大切にしてきたものを忘れずにまたさらに進化していきたいですね。

  8. アメリカと聞くと常に最先端を行うようなイメージがありましたが、教育については反復練習をすることに力を入れていることには驚きました。「練習はまちがいのないように、成功確率の高い状態でおこなわれるべきであるとされます。混乱や不満は、従来のアメリカ式の見解では、最小限に抑えるべきなのである」となると、AIが代わってできてしまうのではないかと思います。日本での班行動は、協力や助け合いが自然とできるような取り組みなのでしょうね。その楽しさや難しさを、経験するなかで、自分の意見だけが答えではないんだという気づきになりますね。最適解をみんなで見つけるのが日本はうまいのかなと思いました。

  9. 小学校の時に班活動を行っていましたが、実は海外からは高評価だったんですね。確かに生徒同士で話し合うことで、色々な意見が出て、学びが多かったのかもしれません。アメリカの指導の原則を聞いて、日本とはそもそもの考え方が違うぶん、藤森先生が言われるように「見守る」という考え方は受け入れ難いのかもしれません。先生の講演でもアメリカの場合は見守っていたら犯罪にはしってしまう恐れがあると聞いて納得しました。しかし、だからと言って子どもたちの成功を遠ざけてしまうのは、おかしいと思います。子どもの育ちは世界共通であるため、原理原則は大切にしないといけないと思いました。

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