実績重視型

チャーター・スクール運営者のネットワークである「エンビジョン・スクールズ」は、サンフランシスコの四つの学校でPBLを戦略の柱とした教育をおこなっているそうです。四校とも、生徒の大半が低所得層のアフリカ系やラテンアメリカ系の子どもたちだそうです。エンビジョン・スクールズの共同設立者、ボブ・レンズは、2015年に出版した著書『学校を変える』のなかで、階級によってディ-パー・ラーニングの効果がちがうのではないかという多くの人々の懸念に言及しています。「私たちの教育を説明すると、疑いのまなざしを向けてくる人は実際にいる。PBLは資金も基礎知識もたっぷりある中流以上の子ども向けの贅沢であって、学力格差が大きい状況で不利な側にいる子どもたちは基礎的なスキルを強化するためにやるべきことがたくさんあるのだから、創造的な課題なんかで時間を無駄にしている余裕はない、というのだ」レンズはこれに異議を唱えています。「私たちが提唱する実績重視型、プロジェクト型の教育を受けるにあたり、準備ができていない子どもにも、先へ進みすぎている子どもにも、私は出会ったことがない」

相次いであがってきているエビデンスを見ると、レンズのいうとおりだとタフ氏は言います。ディーパー・ラーニングは、うまく取りいれれば貧困層の生徒たちにも大きな利益をもたらすのではないかと考えているのです。先述のように、提携校は低所得層の生徒たちの成績を大幅に上げています。エンビジョン・スクールズの卒業生は、大学でも粘り強く学業をつづけている割合が高いそうです。しかし、学校そのものが新しいので、まだ予備的なデータではあるそうですが。そして2014年にAIRという米国研究所がおこなった、カリフォルニア州とニューヨーク州の生徒の成績に関する研究では、ディパー・ラーニングを取りいれた学校に通うことで、教科内容の知識や標準テストの得点にも好影響があることがわかったのです。それは、研究対象となった生徒のうち五分の三が低所得層の子どもたちで、彼らの得点は低所得層以外の生徒たちの得点とおなじくらい伸びたのです。

ディーパー・ラーニングは、KIPPといわれる「ナレッジ・イズ・パワー・プログラム」や非効率学校である「アンコモン・スクールズ」、「アチープメント・ファースト」といった、最貧困層の子どもを対象とした教育で標準テストの成績を目覚ましく向上させた有名なチャーター・スクールの初期の評判と関連づけて考えられ、「言いわけなしの哲学」を植えつけるものと思われることも多いそうです。それは、これらの学校は当初、厳しい規律を強調し、服装、教室での態度、廊下の歩き方にいたるまで、厳格な規則に従うよう生徒たちに求めたからです。こうした学校の多くには、入念なアメとムチのシステムがありました。しかも、大半はいまもあるようです。それが生徒を管理し、モチベーションを高めるための中心的な戦略だったのです。

しかし最近になって、「言いわけなしの哲学」の学校とディーパー・ラーニングの学校のあいだのくっきりした線がぼやけはじめたと言います。2015年の秋、コネチカット州ニューへイヴンにあるアチープメント・ファーストの設立時の学校のひとつである「エルムシティ・プレパラトリー・エレメンタリー・スクール」は、全体的なカリキュラムの見直しをおこなったそうです。それまでの信念や実践を改め、体験学習と生徒の自律性に重きを置くかたちに変えたのです。

実績重視型” への6件のコメント

  1. 時代の変化とともに、社会の様々な物が変化していくとずっと思っていましたが、それも決してそうではなく、変わらないことを良しとする場所もあることを知りました。そこからちょっと進み、やはり、時代とともに変化はしなくとも、ずいぶん後から仕方なしに変わっていかざるを得ないところがある気がします。はっきりしているは、仕方なしに変わるよりは自ら変えることのほうが「楽しそう」ということです。本文には『「言いわけなしの哲学」の学校とディーパー・ラーニングの学校のあいだのくっきりした線がぼやけ始めた』とあり、その地区の教育水準が底上げされ始めたことを示しているかと思います。日本の各都道府県、そして各市町村も、実績事例を読み取り、まずやってみてから徐々にこの風土にあったシステムに合わせていくというスタンスが楽しく仕事ができる要素かなとも感じました。

  2. 「言いわけなしの哲学」とはうまくいったものですね。こういった問答無用のルールが出来上がっていくと、そのルールのできた意図や内容といったものは忘れ去られていくでしょうね。よく私はマナーについてそのような例を出すのですが、「いったいなんのため?」ということが分からなくなることはあまり意味のないことのようにも思います。それは現在の学校の成績主義的なところにもいえるのでしょう。それこそ、松下村塾など、「学習」をしていたところは「学ぶべき目的」がはっきりあったように思います。「言いわけなしの哲学」の学校とディーパー・ラーニングの学校、その在り方は前者は外発的な動機付けであり、後者は内発的な動機付けに、生徒のモチベーションを上げる根底があることが分かります。結局のところは、生徒をどういった存在として捉えるかに大きな違いがあるように思います。

  3. 日本でも普通に聞こえてきそうな「学力格差が大きい状況で不利な側にいる子どもたちは基礎的なスキルを強化するためにやるべきことがたくさんあるのだから、創造的な課題なんかで時間を無駄にしている余裕はない」という発言。「言い訳なしの哲学」の「厳しい規律を強調し、服装、教室での態度、廊下の歩き方にいたるまで、厳格な規則に従うよう生徒たちに求め」る。これも何だかどこかで聞いたことがあるような。「体験学習と生徒の自律性に重きを置く」などと主張しようもなら、学校が荒れる、とか生徒の学力が下がる、などという批判の声も聞こえてきそうです。それでも「ディーパー・ラーニングは、うまく取りいれれば貧困層の生徒たちにも大きな利益をもたらす」のだと私も思います。「貧困層の生徒」のみならず普通一般の生徒たちにも有益な気がします。AIの登場は従来型の学習パターンを変えていくはずです。その際大切になるのは、自分たちの興味関心好奇心に沿って課題を追求していく姿勢でしょう。AIの力が大いに役立つはずです。

  4. 最近思うのですが、10年前に藤森先生に出会い、その時に藤森先生がおっしゃっていたことがその通りになってきている、そして、他の乳幼児施設や学校も変わりはじめているように思います。学校や他の考えをもっている園に行くと、そのことを特に感じるようになりました。それは、そのような、藤森メソッドともいうのでしょうか、そのような社会環境に、周りがなっていっているのであるのだと思いますが、「ぼやけてきている」という表現からアメリカでもそんな風に、はっきりとした境界線がなくなっていることを感じました。そのことが人間をよくしていく方向になっているのだと、そう思っています。

  5. 飴と鞭で子供を操り管理するというのはいってみれば虐待のそれとシステム上は似ているのではないでしょうか。虐待で恐ろしいのは共依存関係であり言い訳なしの哲学を持つような学校の生徒と教師にも似たような心理作用が働いてしまうのではないかと心配になります。教師という存在の意味を今一度よく考え直し、子供にとってどんな存在でありどのような立場や接し方で子供と関わるのが最善かを考え直さなければいけませんね。

  6. 日本で現行の教育方法を改善することに力が入らないのは、今の教育形態以外の教育を見たことがないから、そして、今のままでいいと思っている人が圧倒的に多いからなのではないかという気持ちになります。今の教育形態でも優れた人が排出されている現状もあり、そして今の教育形態から排出された優れた人が現行の教育形態を良しとして変えない、ということもあると思います。新しいもの好きの日本人のように思うところですが、こういうところは頑なであったりして、いかにも日本人の気質を表した現状が繰り広げられているということを改めて感じてしまいます。

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