好条件の学区

ディーパー・ラーニングを重視するこんにちの風潮の最大の短所は、貧困層の多い学校よりも裕福な地区の学校での導入のほうがはるかに進んでいる点だとタフ氏は言います。2014年、ハーバード大学教育大学院教授のジャル・メータは、「ディーパー・ラーニングには人種問題がある」という挑発的なタイトルの論文をエデュケーション・ウィーク誌のオンライン版で発表したそうです。メータは、人種と同様に階級も厄介な問題だと述べています。「歴史的に見ても、ディーパー・ラーニングは恵まれた人々の領分、すなわち好条件の学区で生活し、子どもたちを優良な私立学校に通わせることのできる人々の領分に属するものだった。富裕層の多い学校に通う生徒たちは将来の経営者層にふさわしい課題解決型の教育を受け、もっと階級の低い、貧困層の多い学校に通う生徒たちは工場労働のようなブルーカラーの仕事を反映した、決まりきった作業を与えられる。これは学校間格差の調査と、同一校内の調査の両方から判明した事実だ」と述べているのです。

メータは、こうした格差のいくつかは供給側に原因があると論文のなかで認めています。ディーパー・ラーニングのテクニックを取りいれることのできる人材や自由を持った学校は、多くが豊富な資金のある私立学校か、富裕な地域の公立学校なのです。しかし分断の原因の大部分は需要側にある、とメータは書いているそうです。低所得層やマイノリティの生徒の教育に深く関わる多くの人々が、当の生徒たちの親を含め、不利な状況にある生徒にとってディーパー・ラーニングが最善の方法であると信じていないのです。こうした懐疑論者たちは、昔はPBLというのは低所得層の学校で使われるお遊びの婉曲表現だったと指摘しているそうです。1960年代から1970年代にかけて、裕福な家の子どもたちが町の向こうで読み書き計算を習っているあいだ、貧しい子どもたちにレゴ遊びやぬり絵遊びをさせることをそう呼んだ時期があったそうです。懐疑論者たちが表明する懸念はまだあります。裕福な子どもたちは、深く広い基礎知識や言語力を家庭や地域社会ですでに身につけているからいいのですが、そうした知識を持たない子どもたちは、ますそれを伸ばしてからでないと、協同作業やプロジェクト型のアプローチの恩恵を受けられないのではないかというのです。

私は、この手法が貧困層の多い学校よりも裕福な地区の学校での導入に効果があったという点についてこう考えています。どうして、子どもたちに貧困層か裕福化によって格差が出たかというと、それは生まれつきの問題ではなく、生育環境による経験の質の格差があるからだと思います。ですから、これは、幼児期から取り組まないとだめだと思っているのです。知識を得てからではなく、思考するときのアプローチとして、協同作業やプロジェクト型が必要だと思っています。それは、非認知能力は、特に認知能力には、直接影響が少ないからです。 しかし、実際の取り組みでは、必ずしも低所得層には効果が少ないわけではないという反論もあるそうですが、その効果は、幼児期にも見られるのは確かだと思うのです。乳幼児期からの経験の質を私たちは吟味しないといけないと思います。

 

好条件の学区” への6件のコメント

  1. 経済格差、階級格差、共に子どもたちには本来関係ないはずです。裕福な家庭の子もそうじゃない家庭の子も保育園やこども園では一緒に楽しく過ごしています。子が属する家庭の経済度合いや階級の違いによって遊ぶところは違っていません。そうした格差を意識し始めるのはいつからでしょうか。おそらくは小学校の高学年以降のような気がします。中学年頃からかもわかりません。ならばそれ以前からそうした格差を気にせず過ごせる時期、徹底して経験体験しておかなければならないことがあるのでしょう。「思考するときのアプローチとして、協同作業やプロジェクト型が必要」である、この認識を大人たちはしっかりと抱いておくことが望まれます。特に園に従事する先生たちにはその使命感を抱いてほしいと思うのです。子どもたちが格差を意識し始める前に協同や協力、非認知能力やグリット、リジリエンスを体得できる環境の創造を心掛けて仕事に臨まなければならないと思うのです。

  2. 子どもを取り巻いている生活の質を見直す過程で、乳児の脳の敏感な時期の話を思い出しました。感情、人間関係、言語、聴覚など、あらゆる能力が乳児期にこそ刺激をより多く求め、また情報を取り込む時期であるということは、その間の子どもの経験の質が非常に大事であると、藤森先生はずっと言われていたので、内容がすうっと入ってきました。つまり、ディーパーラーニングはもはや乳幼児期から遊びを通して取り入れられる内容であることは理解できます。学習指導要領でも「主体的・対話的な深い学び」の大切さが言われていたように、何を用意しているかだけでなく、子どもたちがどんな経験をしているのかを観察考察し、さらに考えを深め環境に落とし込んでいく過程が、これからなくてはいけない要素になるのだなぁと感じました。

  3. 社会科の教育実習に行ったときの担当教員の先生が言っていたことを思い出しました。その時、その先生は世界地図の国の穴埋めを毎回授業の始まりにしていて、「国の名前をそもそも覚えないと話にならない」と言っていました。そのときは、「そんなものなのかな」と思っていたのですが、今となっては、だったら、分からない国はどこかをみんなで調べながら知っていくほうが楽しいものになるだろうし、興味も沸くのではないかとも思います。そして、そういった教育の進め方こそ、アクティブラーニングなのだろうと思います。しかし、実際のところは限られた単元の時間の中でそこまでゆったりと授業をすることもままならないからこういった暗記から入る手段を取らざるを得ないのであろうと思います。
    「知識を持たない子どもたちは、ますそれを伸ばしてからでないと、協同作業やプロジェクト型のアプローチの恩恵を受けられない」というのは大人からのイメージや先入観であり、なかなかこれまでになり方法に踏み込むのも勇気のいることなのだと思います。しかし、実際問題、待ったなしの状況になっている状況にもあるように思います。そして、それは教育界だけではなく、保育界にも言えることですね。

  4. 裕福な子どもたちもそうではない子どもたちも、乳幼児施設では同じように遊んでいます。そこに差はないのですが、家庭にはそれぞれ差はあるはずですね。その差はどんな風に子どもには見えているのでしょうか。あまり考えたことのない視点ですが、きっと、大した差だという認識は大人より薄いのではないかと思います。であるのなら、その時期に学べることがそれぞれの立場であるのではないか、生まれの格差はどうにもなりませんが、その立場にしか学べないものがあるのではないか、そんな風に考えていくと、楽しいのかもしれません。

  5. 知識や知恵がないものほど偏見を持ちがちというのが勝手な持論なのですが、割りと当てはまっていると感じることが多々あります。予想だにしないことや自分のキャパを越える出来事が目の前で起こったとき、そんなこと起きるはずがないと否定する方が安全ですが、そこに飛び込めなければ新たな出会いはないと思えば飛び込まない手はないですよね。未来に発展も変革もないと信じる理由はどこにもないのですから。

  6. ディーパー・ラーニングが何か高級な教育方法のように位置付けられているようです。豊富な資源も現代のような情報量もない頃から行われていた教育方法であることを思うと、産業革命以降や軍隊を生成する為に創られた現行の教育方法の方がどちらかと言えば最近の教育で、ディーパー・ラーニングとはそれこそ子ども社会で育まれてきたことを取り戻そうというような教育運動に近いような感すら受けるところですが、新しいことに対して懐疑的な人、特に教育界や保育界などはそのような姿勢の人が少なくないように改めて思えてきます。「知識を得てからではなく、思考するときのアプローチとして、協同作業やプロジェクト型が必要」これは、生涯学びを得ていこうとする人間の土台づくりのようなアプローチであり、新しいも古いも高級も低級もなく、全ての子どもたちに必要なものであることを改めて理解します。

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