人間関係という道具箱

コーチは教師たちに、「ポジティブな感情に満ちた雰囲気」をつくり、「自律性を求める生徒の気持ちを敏感に感じとる姿」を示す戦略を伝えた翌年、処置群の教師に教わったクラスの生徒は、バージニア州の評価でほかのクラスの生徒よりもずっとよいスコアをあげたそうです。全州で上位50パーセントの位置にいたクラスが、上位41パーセントの位置まで上がったのです。この結果は、シカゴ学校準備プロジェクトであるCSRPに登録した4歳児の変化と似たものでした。CSRPの実験同様、バージニアの教師たちも教科指導に関する訓練は受けておらず、生徒に対してポジティブな反応を示す方法だけを教わったのです。そしてここでも、生徒への接し方が変わるにつれ、教室の雰囲気が改善し、テストの得点も伸びたのでした。

ターンアラウンド・フォー・チルドレンについてタフ氏が最も面白いと思っているのは、BAMとは異なり、人間関係という“道具箱”だけでなく学習指導という“道具箱“として、教室での本題、つまり教えることと学ぶことも使っている点だと言っています。2015年の春、彼はブロンクスの第45中学校を訪れたそうです。ターンアラウンドが一年間活動してきた、最貧困地域の公立学校です。最初の数カ月は、ソーシャルワーカーが差し迫ったニーズのある生徒を特定して心のケアのサービスを受けるよう促し、一方、教室運営のコーチは教師の指導に集中したそうです。コーチは教師に対して、生徒への期待や守ってほしいルールをきちんと伝える方法、規則違反には相応の結果が伴うことを周知させる方法、対立を鎮静化させる方法などを指導しました。しかしその後、校内がある程度おちつくと、コーチらは「協同学習」を奨励することに焦点を合わせました。これは学習の過程に生徒の参加を求める教育学のアプローチです。講義の時間を減らし、ワークシートでの反復作業も減らし、小グループでの活動に時間を使って、問題を解いたり、討論をしたり、長期間かけて何かをつくるプロジェクトに何人かで取り組んだりするというものです。

ここで用いる“道具箱”は、私は保育にも使えると思っていることが、私が最近提案していることです。それは、“人間関係”を使った共同学習です。そして、これを行う上での困難さには、それは、自律性を重視するという点で、同様なことが見られます。ターンアラウンドのコーチの話では、第45中学の多くの教師にとって「協同学習」を受けいれるほうが、新しいクラス運営の戦略を取りいれるよりも難題だったと言っています。学習にあたって自律性を重視するというのは、管理をゆるめる、つまり教室の手綱を引き渡すことでもあるからです。最貧困地域のほかの教員とおなじく、第45中学の教師たちも、ここほど荒れた学校では支配的で断固とした管理が教室におちつきと秩序を保つ唯一の方法であり、手綱を引き渡すなど混乱を招くだけだと信じていたからです。ターンアラウンドのコーチらは、何カ月にもわたる研修や、教室の観察、一対一の対話などを通して教員を説得しました。自律性を経験させ、学習にみずから深く関わるチャンスを生徒たちに与えることで、教室の空気は乱れることなく、むしろおちついたものになるのだと納得させたのです。

人間関係という道具箱” への6件のコメント

  1. ひとつのツールとしての「人間関係」を使うことによって、自律性を育ませて深い学びにつながるというのは、実際にやってみて子どもの姿を目の当たりにしている人なら理解できますが、「荒れた学校では支配的で断固とした管理が教室におちつきと秩序を保つ唯一の方法であり、手綱を引き渡すなど混乱を招くだけだと信じていた」というように、これまでの通説とされてきたもののみを信じている人たちにとっては、大きな勇気を必要とすることでもあると感じています。そして印象に残ったのが、共同学習をする前段階として「コーチは教師に対して、生徒への期待や守ってほしいルールをきちんと伝える方法、規則違反には相応の結果が伴うことを周知させる方法、対立を鎮静化させる方法などを指導しました」など、導入の大切さを実践して初めて、共同学習が効果的になるのだろつなぁと理解しました。乳幼児施設に置き換えれば、話す力や聞く力、自己責任によって招くリスクとの付き合い方、または相手は自分と同じことを考えていないという前提を多様な関わりから日々学んでいることなどでしょうか。

  2. 「イエナプラン」をオランダ研修で見させてもらった時に、日本ではどのように受け止められているのかと見ていくとほとんどの意見が「自習なんてしたら遊ぶんじゃないか」といった意見や「なにもしなくなる」といった意見が多かったのを思い出しました。確かに「学校では支配的で断固とした管理が教室におちつきと秩序を保つ唯一の方法であり、手綱を引き渡すなど混乱を招くだけだと信じていた」という見方はどの国でも同じように捉えられているということが見えてきます。しかし、その裏には「規則違反には相応の結果が伴うこと」が生徒や子どもたち自身にある程度の「責任」があるという実感がない環境というのもあると思います。どうも「自責」というより「他責」になりがちなのはこういったところに問題があるのだろうと思います。そして、その裏には子どもは何も知識を持っていないから大人が導かなければいけないという「白紙論」が見え隠れします。子どもの「協同学習」を進めていくためには大人がつくる環境やもちろん乳幼児期からの積み重ねといった保育や教育の実践と大人の理解が重要になってきますね。

  3. 日本の公立学校にも導入して欲しいターンアラウンドの活動です。「ソーシャルワーカーが差し迫ったニーズのある生徒を特定して心のケアのサービスを受けるよう促し、一方、教室運営のコーチは教師の指導に集中した」私はこの教師指導への集中を評価したいと思います。先生たちはおそらく夏休みなどに多く研修に参加し、教授スキルを向上させようとしているのでしょう。しかし、そこは研修の限界です。研修を受けたその時は、向上心ややる気に燃えるでしょう。ところが翌朝勤務校に行き、教室のドアを開けて入った途端、研修前の日常に圧倒され、研修で得た成果を活かせないことになるのでしょう。それよりは「教室運営のコーチ」らによる具体的な現場指導のほうが、効力がある。そして提案されたことが「「協同学習」を奨励すること」。確かに教師たちにとってはハードルの高い提案だったでしょう。生徒たちの協同学習にとって教師たちはフォロワーになることを意味するでしょう。その仕方もよく分からないでしょう。そこでコーチによる「教室の空気は乱れることなく、むしろおちついたものになるのだと納得させ」。さて、教師たちはこのハードルをどう乗り越えるのか。

  4. 〝学習にあたって自律性を重視するというのは、管理をゆるめる、つまり教室の手綱を引き渡すことでもある〟というのは、一昔前までは考えられない学習方法であるのかもしれません。ですが、そのような方法で日々を過ごしていくことの大切さは自分たちは承知しているのではないかと思います。時代が変われば求められる人材も変わり、教育も変化していく、ということは理解できていても、実際に実践していくことは難しいものだというのも理解できます。改めて、教育というものの難しさ、自分たちがしていることがどのような意味を持つものであるのか、というものを考えました。

  5. 教師という名の権力で子供を縛る、つまり恐怖で子供を縛り押さえつけるのは確かに楽でしょう。言うこともよく聞くでしょうし外面は良く見えます。現に私は教育に恐怖は必要なものだとも思っています。ただ恐怖だけでしか子供を動かせない教育者は三流以下だとも思います。使いどころや使い方を見定めなければそれは教師のための教室になってしまうからです。保育者が友達や親の代わりではなく保育者であるということの意味を恐怖だけでない尊敬や信頼で確立できるよう模索しています。

  6. 就学後であれば人間関係という道具箱を用いた指導方法の成果が、テスト等の得点から数値化されて目に見えてわかると思います。それでは、テストをカンニングし放題にしてみたらどうでしょうか。それまでの取り組みも生徒同士のチームで行い、テストにもそれで臨む。うまくいけば全員で100点を取ることが可能です。社会へ出て、見て学び、技を盗み、自分のものにしていく人間の成長過程を想像すると、独力で、しかもライバルを設定させられながら進んでいくことは非効率のようにも思えてきますし、これからの時代の働き方や学び方でないようにも思えてきます。

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