ディーパー・ラーニング

ELの提携校に広くゆきわたり、ターンアラウンドのコーチが指導のなかで強調する学習指導のテクニックは、こんにちの教育研究の主流である、一般的な用語でいうと、より深い学習という意味の「ディーパー・ラーニング」ともつながっているとタフ氏は言います。この動向は比較的新しいもので、「生徒中心の学習法」と呼ばれることもあるそうです。アメリカの先進的な教育研究に端を発するものだそうですが、ビジネス界のリーダーたちがもつ現代的な問題意識も背景にあると言われています。それは、アメリカが伝統的に培ってきた公教育のシステムと、現代のアメリカ経済が労働者に求める能力のあいだには壊滅的な溝がある、という考え方です。教育手法が確立した一世紀以上前には、経済の側面から見た公立学校の役割は、事務仕事やくり返しの多い機械的な仕事をすばやくきちんとこなせる工場労働者を生みだすことでした。しかし、ディーパー・ラーニングの提唱者らが論じるところによれば、いま、この21世紀に労働市場が必要としているのは、まったく異なったスキルであり、現在の教育システムではこれを伸ばすことができないのです。それはたとえば、チームで仕事をする能力、人前でアイデアを提示する能力、効果的な文章を書く能力、深い分析思考をする能力、ある状况で覚えた情報やテクニックを見知らぬ新しい問題や状況に対して応用できる能力などです。こうしたスキルを伸ばすためには練習する機会が必要なのですが、現状では、ほとんどの学校でその機会が得られないと言います。ディーパー・ラーニングの提唱者たちが奨励するのは、以下のような教育です。

・探求型の指導:教室で、教師がただ講義をするだけでなく、生徒に議論をさせること。

・プロジェクト型の学習:生徒たちが、たいていはグループで、仕上がるまでに何週間、何カ月もかかるような複雑な課題に取り組むこと。

・実績重視の評価:生徒たちを期末試験の得点で判断するのではなく、彼らが一年かけて築いた実績、プレゼンテーション、文章、芸術作品などで評価すること。

ディーパー・ラーニングの原則にのっとって運営されている学校には、同級生からの批評や、改良を歓迎する気風があるようです。作業に取り組む生徒はたいてい、教師やクラスメートからたくさんのフィードバックを受けて改良を重ね、一年をかけて完成させます。批評を受けてくり返し改良したり、長期にわたる課題に粘り強く取り組んだり、実際にやってみたうえで感じる不満に対処したりすることによって、生徒たちの知識や知力が伸びるだけでなく、非認知能力、カミーユ・ファリントンの言葉でいえば「学業のための粘り強さ」、もっと一般的な言葉でいえはグリット、レジリエンスもまた伸びるのです。

これに懐疑的な目を向ける人々も大勢いるそうです。熟練教師の手によって教室でおこなわれるプロジクト型学習には高い効果があるかもしれませんが、未熟な教師が安易に用いると失敗する、というのが懐疑論者たちの懸念のひとつだそうです。価値ある授業にするためには、プロジェクトを綿密に計画し、注意深く生徒をサポートし、正確な情報に基づいて授業を進める必要かあります。そうでないと、PBLは栄養のないカロリーのようなもの、生徒の知識を増やすという大きなゴールとは無縁なただの気晴らしになってしまいます。

ディーパー・ラーニング” への6件のコメント

  1. 探求型、プロジェクト型、実践重視の評価とう、3つのディーパーラーニング法がありました。探求型に必要な議論は、日本人の苦手分野でもあるように感じています。自分の気持ちを押し殺して他者を持ち上げるという謙譲精神や自己犠牲精神は、他者とは異なる自分の意見を押し通すことを知らずのうちに、その力を弱めてしまいがちであると感じています。その際、重要になるのはゴールを見失わないということなのだろうなぁと感じました。つまり、議論の先には必ず今よりもより良くなるということ、こんなふうに終われたらいいよねと、みなでイメージすることが必要だと思いました。大人でも、議論というと尻込みをしてしまうのですから、子どもならなおさらと思ってしまいますが、子どもは案外平気なのかもしれませんね。

  2. かつて日本の文部科学省がやろうとして結局やめてしまった「総合的な学習の時間」が米国の「ディーパー・ラーニング」に似ているのかな?と思いました。「生徒に議論をさせること。グループで、仕上がるまでに何週間、何カ月もかかるような複雑な課題に取り組むこと。彼らが一年かけて築いた実績、プレゼンテーション、文章、芸術作品などで評価すること。」これを「ゆとり教育」の中で実現しようとして結局「未熟な教師が安易に用いると失敗する、というのが懐疑論者たちの懸念」や教職年数の多い教職員の抵抗等にあってぽしゃっちゃった、そんな感じですね。私は、ゆとり教育も総合的な学習の時間も賛成でしたが、・・・残念な結果に終わりました。21世紀に必要とされる学びの力は、「非認知能力、学業のための粘り強さ、グリット、レジリエンス」でしょう。これは本当に間違いないと確信しています。そのための子どもたちの学習環境そして遊びの環境とは何か、このことを私たちはそれぞれの立場において真摯に考え続けていく必要があると思っています。

  3. 現在の教育システムでは伸ばすことができないと言われている。「チームで仕事をする能力・人前でアイデアを提示する能力・効果的な文章を書く能力・深い分析思考をする能力・ある状況で覚えた情報やテクニックを見知らぬ新しい問題や状況に対して応用できる能力」。これらの能力は今、日本においても課題となっているものと同じですね。そのため、日本では「アクティブラーニング」を進めていますが、さて、どうなるのでしょうか。また、これらのことを進めるにあたって、それに関わる大人もよく考えていかなければいけません。これまでと違った人材を作っていかなければいけない。ということは、その先の社会も今と違うということを理解した上で、予測して変化させていかなければいけません。そのため、これまでの「当たり前」を崩し新しいものを見つけていくというか、認める柔軟さも必要とされます。これまでの教師が講義をするという形態から、生徒中心の学習に変化するというのはこういった目的がしっかりと明確に共通理解できていないといけないように思います。

  4. アメリカも昔と現在では、社会が求める人材が違っているということなんですね。そして、昔のままの教育ではどうにも経ち行かなくなっているから、新たな教育の指標として「ディーパー・ラーニング」ということなんですね。なんだか、後手に回ってしまっているような気もしますが、どうなんでしょう。
    これからの教育はやはり、非認知能力をどのように伸ばしていくのか、ということになるのだと思います。大人一人一人がそれぞれ立場があったりしますが、その立場から考えられることを、必要に応じてしていくことが必要になるんだと思います。

  5. ディーパーラーニングの中で私は特に実績重視の評価は取り入れるべきだと感じました。今現在の定期考査の結果重視の成績付けでは知識はついても学びに対する継続力や粘り強さは期待できないからです。学問にたいし時に真摯に時にクリエイティブに向かっていくには一年や半年をかけて積み重ね、さらにその積み重ねられたものを正当に評価されるという経験がその先これからの時代のニーズにあった力をつけていくのではないでしょうか。

  6. ディーパー・ラーニングへと子どもたちを、チームを導いていく上でフリーという立場が効率よく進行させていけるのではないかと思ったのは、担任を担うことでの諸業務がなく、また、経験によるところが大きいかもわかりませんが、それによって長期的な計画を建てたとして実行し易いのではないかと考えました。業務を分担することもチーム保育だからこその保育遂行であり、そういった分担こそむしろ子どもたちに様々な経験をと思う上でとても有意義なものになりはしないかと思いました。

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