カリキュラムの見直し

2015年の秋、「エルムシティ・プレパラトリー・エレメンタリー・スクール」は、全体的なカリキュラムの見直しによって、それまでの信念や実践を改め、体験学習と生徒の自律性に重きを置くかたちに変えました。86パーセントが無料の昼食もしくは補助金の受給資格があるエルムシティの生徒は、自分で自分のスケジュールを管理し、以前よりも自分の興味に従って学ぶようになったそうです。勉強する科目も自由に選べるようになりました。毎日の「人生を豊かにする」コースとして、ロポット工学、ダンス、テコンドーのクラスなども用意されているそうです。二カ月に一度、エルムシティの教員は生徒を二週間の「遠征プロジェクト」に連れていきます。生徒たちはそこで一つの科目を深く学ぶのです。ときには農場、博物館、史跡などを訪れ、校外で長い時間を過ごすこともあったそうです。

タフ氏が、2015年12月に、アチープメント・ファーストの共同設立者、ディシア・トールと話をしたときには、エルムシティの試みはまだ数カ月前にはじまったばかりで、管理者も教員ももっと慣れなければならない、といっていたそうです。トールも関わるカリキュラム見直しチームの面々は、デシとライアンのモチベーションの研究に多大な影響を受けているようです。先述のとおり、三つの決定的な内発的動機づけである、「自律性」「有能感」「関係性」を重視する考え方です。トールはこう言っているそうです。「アチーブメント・ファーストにとっては、“自律性”がいちばんむずかしい項目です。以前は、生徒たちにとって何が最善かは私たちが知っている、と思っていました。だから重点的に取り組む項目を子どもたち自身に選ばせるのは、私たちにとっても、ちょっとした挑戦でした」と言っているのです。しかしこれまでのところ、試みはうまくいっていると言います。生徒たちは厳しいことで有名なエルムシティの教育をいまも受けていますが、以前よりモチベーションも熱意も増し、勉強に熱中しているそうです。

WHEELSやポラリスのような学校を訪ねると、そこに通う生徒たちの未来だけでなく、低所得層の子どもたちへの新しい教育の可能性、逆境の科学的な分析に基づくアプローチがさらに広がっていく可能性についても、希望を抱かずにはいられないとタフ氏は言います。ABCのコーチや、オール・アワ・キンの保育所のメンターが、乳幼児が育つ環境についての新しいアイデアを辛抱強く広めていくところを観察していても、おなじような希望を感じると言います。

しかし現実には、タフ氏が紹介したようなアイデアはまだ主流ではなく、このような支援は非常に稀なケースであると言います。アメリカ国内で低所得層の子どもたちが通う幼稚園や学校の多くは、エデュケアやポラリスのように運営されてはいません。彼が紹介したような、子どもの幼少期に焦点を合わせた組織の数は、割合としてはまだ小さく、多く見積もっても数千の子どもや家族を支援しているにすぎないと言います。また、彼が説明してきた学校や教室への介入は、国内の貧しい子どもたちのほんの一部に届いているだけであり、教育界の支配的な文化に抵抗している状態だと言います。主流派は、貧困のなかで育つ子どもたちのモチベーションを高めて勉強をさせるために、いまとはべつのよりよい方法があるかもしれないなどとは、ほとんど考えもしないのです。

カリキュラムの見直し” への6件のコメント

  1. 「エルムシティの生徒は、自分で自分のスケジュールを管理し、以前よりも自分の興味に従って学ぶようになった」「勉強する科目も自由に選べるようになりました」という文を読んで、大学入学して間もないころの記憶が蘇ってきました。これまで、ただ言われた授業をなんの違和感もなくやってきた影響からか、どんな授業が自分には必要で、自分は何か好きなのかわからなくなり、当初は大学の授業選択が非常に難しかった覚えがあります。今思えば、なんてことはないのですが、当時は自律性もなく、他の人は何を選んでいるのだろうとか気になっていたのでしょう。ルールは守らなくていけないものですが、そんなルールを作るという選択肢もあることを、幼い頃から学べれば面白いですよね。今とは異なるカリキュラムが、子どもたちの未来をより良くすることができるという希望を抱くためには何が必要なのでしょう。それこと、グリットやコミュニケーション、自律性や社会性といったものであり、逆に今の時代は大人の非認知能力が問われているのかもしれませんね。

  2. 「いまとはべつのよりよい方法があるかもしれないなどとは、ほとんど考えもしない」というのは初めて新宿せいが保育園を見に行ったときに痛烈に感じた印象でした。まさに「考えもしなかったです」しかし、だからといって「これまでの保育が良い」とも思っていなかったこともあり、惰性的に保育や教育の実践が行われているということはどこでもあることなのだと思います。こういった実践はそういったくすぶっている人たちにとっては一つの希望になるでしょうね。現在においても「主体性」というものの取り方は千差万別で、そこからの議論をしていかなければいけないときも多々あります。ここで言われている『三つの決定的な内発的動機づけである、「自律性」「有能感」「関係性」を重視する考え方』ということは難しいという人もまだまだ多くいます。こういった未だいる「主流派」との文化の違いの中で、本当にどういったことが「子どもの最善の利益」となりうるのかということをもう一度見直していかなければいけないのだと思います。

  3. 園の年長さんたちは小学校に行きたいと言います。なぜ?と問うと、勉強したいから、と答えます。園で子どもたちは学んでいます。読んだり書いたり写したりなぞったり計算したり・・・さまざまに学んでいるなと彼らを見ていて思います。それでも園にいることではなく小学校に行くことを選択します。なぜなら、勉強したいから。「自分で自分のスケジュールを管理し、以前よりも自分の興味に従って学ぶようになったそうです。勉強する科目も自由に選べるようになりました。」日本の小学校でもこうならないかなと思います。しかし、日本の文部科学省はそれを許さないでしょうね。「教育課程」は生徒の意志に関係なく組み立てられ、年間学校で何をするか、そしてどの学年ではどの教科内容のどこまで履修しなければならないか、そしてその履修は義務である、とくれば、生徒が自分で選んで興味をもって学ぶようなことにはならないのでしょう。学びの場を学校だけに期待してはいけないと思いました。家庭や地域やその他の場で子どもたちの学びたいという意欲を満たしていかなければないと思いました。

  4. 自分は今の保育園に入る時からこの保育をしていました。ですので、この保育しか知りません。ですが、常に考えていかなければならないことは、今の現状に満足してしまわないこと〝いまとはべつのよりよい方法があるかもしれないなどとは、ほとんど考えもしない〟ということであるように思います。自分たちが一番などとは思わないことで、謙虚に柔軟にことに当たる方が良いのではないかと考えました。

  5. 私の幼児クラスでの保育の理想の1つとして先生がいなくても生活できてしまうようなクラスであることが挙げられます。これは決して先生は助けないというわけではなく、困ったことがあってもある程度は子供達だけで解決し、本当に子供だけではどうしようもならないときだけ先生に頼るといったものです。これは自身がが有能感を持っていたり自律、自立しているという自覚なしにはなし得ないことですからそれらの養いかたというのは常に模索していきたいと思っています。

  6. 状況は違えどどの場所でも今目の前のことで手一杯であるし、新しい視点で現状を見ることはとても難しいことのようです。せめて組織のトップはそういう視点を持ち合わせていてほしい、そういう技術なのか、心のやりようなのか、人の上に立つ前に身につけるべきものがあることを改めて知る思いです。
    あと2ヶ月で今年度が終わろうとしています。この2年間は味わったことのない経験の連続でした。自分の未熟さを痛感したり、慢心したり、それでも前に進めたのでしょうか。もっと心の上がり下がりのない世界に自分の心を置くことが出来なければ、それは目の前のことで手一杯なことと同じだと思いました。

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