なぜ必要か?

「平成28年 国民生活基礎調査」によると、日本の子どもの貧困率は約14%だと言われています。7人に1人の子どもが、貧困ライン以下の生活をしていると言われるようになり、「子どもの貧困問題」「教育格差」は、日本でも切実な課題となっています。この子どもの貧困は、一生の財産になる「非認知能力」を獲得する機会を奪い取ってしまいます。しかし、この日本における子どもたちの貧困は、アメリカなどの低所得層の多い地域の子どもたちに匹敵するような問題なのでしょうか?ヘックマンが研究した地域による非認知能力の効果の中で、例えば就学前教育を受けた子どもたちが40歳までの逮捕歴が5回以上かどうかというデータについて、いくら日本でも貧困率が高いからといっても、そんなことは身近な問題ではありません。

では、非認知能力は、貧困や逆境にさらされている子どもたちだけに必要なのでしょうか?また、逮捕歴が少なくなることが目的なのでしょうか?今回の幼稚園教育要領や保育所保育指針の改訂の中では「非認知能力」の大切さや、その力の必要性を強調しています。それは、決して、非認知能力の大切さが、ヘックマンの研究対象に対してだけではなく、これからの時代、例えばAIが進む時代に対して、必要な力となるからです。これからの時代は、何をどれだけ知っているか、何をどれだけできるのかという価値観が変わってくるのです。

そして非認知能力を育まれる機会を逃した子どもは、大人になった後に仕事や生活面でより多くの機会を失う可能性が高いからです。そして、それらの力の獲得には、単なる家庭の問題だけではなく、保育園・幼稚園や学校、地域社会で、周囲の大人たちがどのように子どもと接するかによっても大きな影響を受けるということをタフ氏は言っているのです。そのことを踏まえて、タフ氏の紹介した取り組みを参考にすることが必要です。そして、その内容は、ただこの能力が必要だと強調するのではなく、「どうすれば非認知能力を伸ばせるのか」という具体的な方法論について、2年にわたって新しい研究や事例を取材しているからです。そして、その対象年齢は、小学校以降が多いのですが、その内容は乳幼児期に大切なものも見えてきます。

・幼少期の親子関係のストレスをどうすれば和らげることができるのか?

・問題行動のある子どもがいるクラスをどうすればいいのか?

・自信のない子どものモチベーションを高めるには、どんなフィードバックが有効なのか?

など、幼児期の問題として受け止めることができるのです。また、その内容は、保育者、教師の在り方の見直しでもあるのです。

なぜ必要か?” への8件のコメント

  1. 物質的な豊かさが幸せの象徴とされてきた時代から、精神的な豊かさへの移行期であるかのような現代ですが、その時代によって求められるものの異なりを考えてきました。その答えとなるのは「何をどれだけ知っているか、何をどれだけできるのかという価値観が変わってくる」という視点であることを感じます。知っている情報の多さではなく、その情報を使って人とより多くのコミュニケーションをとり、その情報を使って目の前の人たちと問題を解決し、その情報を使ってより良い社会を築こうすることに価値が置かれていることは感じています。そして最後の「内容は、保育者、教師の在り方の見直しでもある」という言葉が印象に残りますね。主体性を尊重しようとしてきたけど、実は子どもは生まれながらにして主体的であったのだ、我々大人の一方的な価値観で子どもの主体性を妨げてきてしまっているのだというコペルニクス的発想のように、子どもの見方、まさに子ども観の見直しがされていることを強く感じます。

  2. あるデータによると、保育所を退職する一番の理由は、人間関係の困難さ、だそうです。個人が大切にされてきました。個人主義ということが言われてきました。少子化になると「個人主義」を言わずとも、一人ひとりが強調され、大切にされてきました。ナンバーワンにならなくてもいい、オンリーワン、などという言い回しは極めて象徴的です。そしてその過程で失われてきたのが、関係性の構築、つまり、互いに助け合ったり、協力し合ったり、あるいは他者の気持ちに寄り添ったり、察したり、そうした心情です。人類はそもそも関係性の中で生きてきた。一人や個人では生きられない種。指針が「非認知能力」を強調するようになったのもこれからの時代に対する危機感がその根底にあるような気がします。藤森先生は20数年前から子どもたちの中における関係性の構築ということを言ってこられました。その必要性が全世界で認識されはじめています。大人と子どもの関係、そして何よりも子ども同士の関係の構築こそが彼らの非認知能力の発達において大切なことだと思うのです。

  3. 臥龍塾のブログを日々読んでいくことで、現在の日本の状況や社会を実感として感じることや保育というものがどのような位置づけで社会に貢献しているのかということを考える機会が増えてきました。それまではこれまでの画一的なものでしか保育として捉えていなかったように思います。しかし、こういった見方や考え方に触れると乳幼児期というものは非常に重要であり、すぐにでも取り掛からなければいけないほど、社会のスピードが早いというのを感じます。そして、時代の移り変わりとともに求められる人材も大きく変わっていきます。しかし、結局のところ、本質として必要な人材というのは本来の「人間」と言われる生き物の不易な部分だということを知りました。うまく文明と不易の部分とがバランスが取れることが重要なのだということを感じます。保育に携わるものとして、こういった社会の中でどういった子ども観を持つことが必要なのかよく考えていきたいと思います。

  4. 昔の人たちは「非認知能力をつけよう」と思って近所の子どもやきょうだいと遊んだり、ケンカしたり、生活していたということはないんだと思います。そして、高度経済成長期において、非認知能力はその大切さを感じられることなく、ひっそりと人間を支えていたことが想像できます。それが、今日の時代の変化により脚光を浴びることになり、非認知能力の欠如によるものかもしれない「歪み」みたいなものが表面化してきています。そんな風に思っている自分自身も足りないな、と思う時があります。乳幼児について考えていくことがそっくりそのまま自分自身のことを考えることにつながっているように感じています。

  5. 社会が大きく転換しているにも関わらずなぜ保育を含めた教育の現場は大きな転換をしないのでしょうか。私が友人と政治のはなしをした時のことですが、私は現在の与党の方針には断固として反対なのですが友人は今の政党の方が、今の安倍晋三さんの方が、昔よりよっぽど良いと言ったのです。その理由はただ1つ、新しいことに挑戦するから、だそうです。どんなに失敗してもどんなに我々国民に試練が降りかかろうとも挑戦している姿勢が好きなんだ、とのことでした。保守派と銘打ちながら革命をおこし続ける安倍政権にこんな見方があるとはまさに目から鱗でした。

  6. 「非認知能力を育まれる機会を逃した子ども」ドキッとなる言葉です。保育士という仕事がこの点に責任を負うことを思うと、それを育まれる機会の創出については真剣に考えねばならないという気持ちになります。一保育士の思いでそれが実現可能であればいいのですが、保育は集団で行うことであり、担当制であっても園の方針があり、その職員集団の風土が現状と変わらない保育を継続させる雰囲気を作ってしまいます。やはり園全体の取り組みであると同時に、園のトップがそれについて真剣に取り組む必要があるように思えてきます。

  7. 非認知能力がいかに社会の中で生きていく上で重要かは明らかですね。何かを知っていることだけが重要ではなく、多くの人の中でどううまく生きていくか、人との関係で挫折した時にどう立ち直っていくか、困難なことが訪れた時にどう対処していくかということが人生をよりよく生きていくためには必要なことですね。それらの能力が非認知能力になっていくのですが、では、では「どうすれば非認知能力を伸ばせるのか」ということがやはりまだまだはっきりしていないように思います。ですが、かねてより藤森先生が言われているように、やはり重要なのは子ども集団、子ども同士の関係性を生み出す環境、大人の関わり方であると私も確信しています。

  8. 私には二人の息子がいますが、二人が社会に出て、仕事をするのは今から約20年後です。その頃は今より変化しているでしょうし、それこそAIが想像以上に進化しているでしょう。藤森先生の講演やブログを聞いたり、読んだりしている分、不安ではあります。こうした事実を教育現場の先生はもちろん、子を持つ親は感じているのか気になります。入園前見学でお子さんを預けようと考えている親御さんに園内を説明する時に、必ずAIの話から、非認知能力、そして子ども同士の関わりを私なりに説明させていただきます。反応はどうか分かりませんが、日々の保育はもちろん、外部への発信で乳幼児施設の役割というのも伝えることで、意識は変わるのかなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です