日常的な行動や問題

私たちの脳はついつい高カロリーのものに反応してしまうようですが、現代の日本のように食料に比較的恵まれている社会では、高カロリーのものを選択することは必ずしも良いことではないようです。高カロリーのものを選びたくなる傾向をコントロールすることで、肥満や栄養の偏りを防ぐ必要があるというのです。

実行機能が高ければ、目の前にある食べ物や飲み物などの誘惑に負けないような生活慣をつくることができます。それが積み重なることによって、健康維持ができるのです。

食欲の次は、性欲について森口氏は考察しています。性欲も私たちの脳のなかに組み込まれている生理的欲求であり、ときに抗うのが難しいものの一つです。その難しさは、古代より、宗教、規範、法によって性欲にかかわる不適切な行動をさまざまに抑止しようという試みがあったことからも明らかだと彼は言います。

しかし、この性欲に負けてしまうことで、人生を狂わせる例は枚挙にいとまがありません。食欲の場合、一度くらい自分の食欲に負けること、たとえば誘惑に負けてラーメンを食べてしまうことは、それ自体が人生の大きな損失になるということはありません。一方、性欲が恐ろしいのは、これに負けてしまうと、社会的立場を失ったり、家族を失ったりすることに直結してしまいかねないことだというのです。

性的刺激は、私たちに強い誘引力を持っています。男性は特に視覚的な性的刺激に反応しやすく、性欲を抑えることに失敗しやすいので、要注意だと森口氏は言います。マーストリヒト大学のロドリゲス=ニエト博士らの研究によると、性的な刺激を見ないようにするためにもある種の実行機能が必要であるようです。

テレビやインターネットなどを通して、政治家や芸能人が、浮気や不倫スキャンダルで政治生命や芸能生命に大きなダメージを受けるという話はよく聞きます。浮気以外にも、実行機能の低い男性も女性も、見境のない性的行動をしてしまったり、避妊具を使用しなかったりということが報告されています。誰と性的行動をするかなどはもちろん当人の自由でありますが、望まない妊娠をすることによって、自分の人生の択肢の幅が狭くなることもありえるのではないかと森口氏は言うのです。

さらに、性的欲求を制御することができず、さまざまな罪を犯してしまうこともあります。性的犯罪など、被害者や当人の人生はもちろんのこと、さまざまな人の人生を狂わせしまう可能性すらありというのです。

これ以外にも、幸福感や精神的な健康とも自分をコントロールする力は関係すると言います。タバコやドラッグなどに依存するようになる等々、青年期から成人期においてさまざまな問題に実行機能はかかわってくるというのです。この点も、ユトレヒト大学のデ・リッダー博士らの分析を始めとするさまざまな研究によって示されているそうです。

タバコの値段が高くなったことや、タバコを吸える場所が減ったことなどにより、我が国における喫煙率は、年々減少しています。厚生労働省の統計によると、40年前の男性喫煙率は約73%、女性の喫煙率は約15%でしたが、2017年の喫煙率は男性約30 %、女性10%弱と、特に男性で大幅に下がっているようです。とはいえ、やめられない人がいることも事実ですし、喫煙者のなかには本来禁煙とされているところで喫煙をする人などもいます。

このように、私たち大人の日常的な行動や問題に対して、実行機能は非常に影響力を持っていることが、これまでの研究から示されているのです。

優れた経営者

自分をコントロールすることが得意ではないスティーブ・ジョブズも、彼の大いなる野望、大いなる目標を達成するためには、どのような苦労も厭わず、時には心にもないおべっかをつかい、頭を切り替えて、一度追い出されたアップルに戻り、仕事にすべてを注ぎ込んだのです。

スティーブ・ジョブズは、成功する経営者とそうではない経営者の違いを、「目標を達成するために、どのような苦難にも耐えることができるかどうかだ」と述べているそうです。

スティーブ・ジョブズの目標とは何でしょう。それは、利益の追求や会社を大きくすることだけではなく、テクノロジーと芸術を結び付け、誰も生み出したことのないカッコイイ製品や作品を作り、世界を変えることでした。

ほんの少しの色みや形の違いにこだわり、周囲の不満にも耳をかさず、カッコイイ製品や作品を作るために、他のすべてに優先し、仕事に打ち込んだ、その結果として、いくつものイノベーションを起こすことができたのです。

スティーブ・ジョブズ以外にも、京セラの創業者である稲盛和夫氏や、パナソニックの創業者である松下幸之助氏も、自分をコントロールする力の重要性を説いているそうです。森口氏は、優れた経営者には、やはり実行機能が備わっているのだろうと言っています。

仕事以外に、実行機能は健康面にもかかわっていると森口氏は言います。たとえば、ユトレヒト大学のデ・リッダー博士らの分析によると、実行機能が高い人は、肥満になりにくことが示されているそうです。

森口氏自身、ラーメンやビールは大好物のようですが、これらを摂取し続けると、体調を崩しやすくなるのは想像に難くないと言います。ラーメンは週に一度まで、ビールは連日飲まないようにする、などのルールを自分に課して、自分をコントロールしているそうです。必ずしもうまくいかないこともあるそうですが、自分の体型や体調を維持するためには自分をコントロールする力は必須だというのです。

特に、肥満が深刻な社会問題になっているアメリカでは、実行機能と肥満の関係が幾度となく示されているようです。一般に、私たちは高カロリーのものに対しては高い価値を置くことが知られています。これは、私たちが狩猟採集民であった遠い昔まで遡ります。そのような時代においては、現代とは異なり、なかなか食料を手に入れることができませんでした。

生き抜くためには脂肪等を蓄える必要があり、脂肪分を含む高カロリーのものに価値を高く置いていたのではないかと考えられています。狩猟採集時代においては、高カロリーのものに価値を置くことは大切なことだったのです。

そのため、私たちは、どうしても高カロリーのものを選びたがります。もちろん個人差はありますが、お肉とサラダであればお肉、ケーキと寒天であればケーキのほうに価値を置く人も少なくないのは当然かもしれません。私たちの脳は、狩猟採集民のときから、それほど大きくは変わっていないと考えられており、私たちの脳はついつい高カロリーのものに反応してしまうようです。

コントロールする力の強さ、弱さ

自分をコントロールする力の評価のチェック項目の中で、最初の4つは自分をコントロールする力の強さを、後のチェック項目は、弱さを点数化しているそうです。

日本の大学生と学生以外の一般の方を対象に行ったテストでは、大学生の平均点は約36点、一般の方では約40点だったそうです。

このテストの何が大事なのかというと、こういったテストで調べられる自分をコントロールする力、すなわち、実行機能は、日常のさまざまな行動とかかわっているからだと森口氏は言うのです。そこで、彼は、実行機能が、日常のどのような行動とかかわっているかについて紹介しています。

まず、実行機能と仕事の関係について見ていきます。たとえば、顧客とトラブルがあったとき、同僚や上司・部下といざこざがあったときに、私たちには、ときには自分の気持ちを抑えることが必要です。問題の解決という目標のために、感情や欲求を抑えて、粘り強くやりとりをすることで、問題解決の糸口を探らなければなりません。

たとえば、管理職には実行機能が必要だと言います。シンガポール国立大学のヤム博士らの研究では、実行機能の低い上司は、顧客とのやりとりに疲れて自分を抑えきれずに部下を罵りやすかったり、仕事の付き合いで消耗しやすかったりして、うまく仕事を管理できないことが報告されているそうです。

もちろんこれは全体的な傾向です。実行機能は低そうだけど、仕事ができる人がいるかもしれません。そのような例はもちろん存在します。

ただ、ある二人の人が、他の能力にはあまり差がなくて、実行機能にだけ差がある場合に、実行機能が高い人のほうが仕事でいい成績を残しやすいということだというのです。

実際に、仕事の遂行には自分をコントロールする力が重要であるようです。一例としてアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏を森口氏は挙げています。スティーブ・ジョブズ氏に詳しい人でしたら、笑ってしまうかもしれないと言います。なぜならば、彼は、自分をコントロールすることが苦手な人として有名だからです。

若い頃にはLSDなどの薬物に手を出し、大学を中退し、自分の娘をなかなか認知せず、起業してからも周囲との軋轢を厭わず自分の思ったことは何でも口に出し、口論になると人を憚ることなく激怒したり、泣き出したりしてしまったそうです。社内外の人材を評価する際には天才か愚か者のどちらかであり、製品も優れた作品以外はすべてゴミだと評価するのです。

マッキントッシュやiPod、iPhoneなどの製品だけではなく、『トイ・ストーリー』などの作品を生み出し、天才的なプレゼン能力を駆使することでカリスマ経営者としてある種の偶像になった彼ですが、その人格に対する評価はかんばしいものではありませんでした。

森口氏も、『トイ・ストーリー』を作ったピクサー社の共同創業者であるアルビーイ・スミス氏と話をしたことがあるそうですが、スティーブ・ジョブズの経営者としての能力は高く評価するものの、人柄については評価していなかったそうです。

優先順位をつける

森口氏は、実行機能の別の側面について、こんな例を出しています。会社で、あるプロジェクトを任されているとします。プロジェクトの目的が、新商品を企画することです。

この目的を達成するためには、いろいろな仕事をこなす必要があります。たとえば、人員や予算を確保する必要があるでしょう。従来の商品との違いを明確にするために、既製の類似品を調べなければなりません。専門家の意見を聞きに行く必要もありますし、さまざまな書類作成業務もこなさなければなりません。

このときに大事なのは、プロジェクトをどのように遂行するかのプランを立て、どの仕事からこなすか優先順位をつけることです。いきあたりばったりで仕事をこなしていては時間がかかってしまいますし、非効率です。何が本質的に大事なことで、何が枝葉であるかを見極めなければならないのです。

また、状況に応じて柔軟に頭を切り替える必要があります。たとえば、企画していた新商品と類似した商品が競合他社から販売されることを知った場合には、プロジェクトの方向性を考え直す必要があるでしょう。自分の企画に自信があったとしても、類似品になってしまっては二番煎じとの評価は免れません。仕事へのこだわりは重要なことですが、いつまでも過去にこだわりすぎると、目標の遂行が困難になってしまいます。

このように、目標を達成するために、優先順位をつけたり、頭を切り替えたりするのも実行機能の大事な側面だと森口氏は言うのです。

セルフチェック

ここで、森口氏は、自分をコントロールする力をチックする表を提示しています。さまざまなテストが開発されていますが、そのなかでも比較的よく用いられているテストだそうです。

「1.全然あてはまらない」「2.あまりあてはまらない」「3.どちらともいえない」「4.ややあてはまる」「5.非常にあてはまる」の5段階で評価します。

つぎの項目でチェックした得点をすべて合計します。

・自分にとってよくない誘いは、断る

・誘惑に負けない

・自分に厳しい人だと言われる

・先のことを考えて、計画的に行動する

次にチェック項目についてすべて合計した数を54から引きます。その数と先ほどの数を足します。

・悪いクセをやめられない

・だらけてしまう

・場にそぐわないことを言ってしまう

・自分にとってよくないことでも、楽しければやってしまう

・もっと自制心があればよいのにと思う

・集中力がない

・よくないことと知りつつ、やめられない時がある

・他にどういう方法があるか、よく考えずに行動してしまう

・趣味や娯楽のせいで、やるべきことがそっちのけになることがある

ボールという誘惑

昨年は、ラグビーで日本中が沸き上がりました。森口氏は、実行機能について、このラグビーを例に挙げて説明しています。

2015年のラグビーワールドカップ以降における日本チームの躍進は記憶に新しいところです。それは、日本のラグビーはそれ以前にワールドカップで1勝しかしたことがありませんでした。1995年の第3回のワールドカップではニュージーランドを相手に17対145と最多得点差で敗れ、映画「インビクタス/負けざる者たち」でもこの大会の象徴的なシーンの一つとして扱われるなど、日本のラグビーは世界的にあまりインパクトがありませんでした。

ところが、2015年の大会では、決勝トーナメントには進出できなかったものの、優勝候補の一角である南アフリカ相手に勝利するなど、好成績を収めました。五郎丸歩選手など、優れた選手がいたことも事実ですが、やはり注目されるのは、ヘッドコーチであるエディ・ジョーンズ氏の存在だと言われています。

エディ・ジョーンズ氏のどのようなコーチングが良かったのかという点に関してはさまざまな専門的な批評がなされているので森口氏はコメントを控えていますが、彼が創り上げた日本代表チームの規律の良さについて言及しています。

ラグビーにはさまざまなルールがありますが、たとえば、選手が密集している接点において、倒れている選手がボールに触ってはいけないというルールがあります。自分が倒れている、けれどもボールが目の前にあるという状況を想定してみましょう。ラグビーでは相手チームのボールを奪うことは最も重要なプレーの一つなので、当然目の前のポールに手を出したくなります。ここでのボールは選手にとって禁断の実なのだと森口氏は解説します。

もちろん倒れていながらポールに手を出すことが反則であることはわかっています。しかし、ラグビーの試合中は、極限状況です。頭に血が上った状態で、冷静な判断ができるとは限りません。そのような際に、ついつい欲求に負けてしまい、ポールに手を伸ばすという反則を犯してしまうことがあります。ラグビーの最大の目的は、相手チームに勝つことですが、反則はその目的を阻害することになります。

日本代表チームが素晴らしかったのが、こういった反則がほとんどなかった点だと森口氏は言います。厳しい練習を通じて、体力はもちろんのこと、自分をコントロールする力も鍛えられたのではないかというのです。目の前にある誘惑を断ち切り、クリーンなプレーをしました。反則が続くと、そのチームはうまくリズムに乗れません。同じく2015年のワールドカップの日本とサモアの試合における、サモアチームはまさにそういった例だというのです。

このように、目の前にあるボールという誘惑に抵抗する力、それによって将来的なチームの勝利という利益を得られる方法を選択する力が、実行機能なのだと森口氏は言うのです。

また、実行機能は、誘惑や欲求に抵抗する点だけではなく、別の側面もあると言います。

欲求

目の前のコップ1杯のビールという選択は、自分にすぐに小さな喜びや快楽を与えてくれます。一方、数分後のジョッキ1杯という選択は、少し後により大きな喜びや快楽を与えてくれます。二つの選択肢を与えられたときに、どちらを選ぶのかが、自分をコントロールする力を表しています。

女性も、男性も、子どもも、大人も皆、それぞれの立場で、さまざまな誘惑と戦い、自分をコントロールしています。森口氏は、あるサラリーマンの一日を想定しています。

「朝から配偶者に嫌味を言われ、落ち込んだ気分で一日が始まります。気持ちを切り替えるために甘いパンを食べたいところですが、血糖値が高いので、糖分控えめのパンにしておきます。ようやく家から出たものの、次は満員電車です。隣の乗客の肘がおでこをかすめようともいちいち喧嘩していられませんし、優先席が空いて座りたいなと思っても、そこを必要とする人がいるので、立ち続けます。

会社に到着し、仕事にとりかかろうとしたら、上司がやってきて、別の仕事を優先してやってくれと言ってきました。一言くらい言い返したいところですが、ボーナスの査定に響くと思い、じっと耐えなければなりません。

食事においても、誘惑との戦いはつきものです。楽しみの昼食でも、大好きな食べ物、ラーメンやパスタではなく、比較的カロリーが低いとされるビーフンをコンビニエンスストアで購人します。せめてコーヒーでも飲みたいところですが、今月のお小遣いはあまり残っておらず、泣く泣くあきらめます。

ひと仕事を終えた後には一服したいところですが、タバコの値段は年々上がり続けるうえに、タバコを吸う場所を見つけるにもひと苦労するような世の風潮もあり、タバコを吸いたい気持ちを抑えつけます。夜には、眠けを抑えて残業です。世間的には時間外労働は制限されるようになりましたが、ときには残業が続くこともあります。」

このように、誘惑や困難に打ち勝つことは、私たちの日常生活で頻緊に必要とされます。シカゴ大学のホフマン博上の研究では、205人の大人にポケットベルを1週間持たせて、一日のさまざまな時間にポケットベルを鳴らしたそうです。そして、その前後で何らかの欲求を感じているか、その欲求をコントロールしているかどうかを尋ねました。その結果、研究参加者は、ポケベルが鳴った瞬間、半分で何らかの欲求を感じ、その多くの機会でその欲求を抑え込んでいると報告したそうです。これくらい、私たちは欲求を感じており、その欲求に抵抗しているのです。

最も多いのは食欲や睡眠欲だそうですが、それ以外にも、性欲やタバコ、はては、ソーシャルネットワーキングサービスでの承認すら私たちに快楽を与えてくれるので、その種の欲求もあります。

このような欲求に打ち勝つことができなかったらどうなるでしょうか。人間関係にしても、健康にしても、子育てにしても、想像しただけで恐ろしいと森口氏は言います。健康な社会生活を営むうえで、自分をコントロールする力が重要な役割を果たしているのです。

キレやすい

人間は実行機能をどのようにして身につけるのでしょうか?森口氏は、どう考えているのでしょうか?

森口氏は、人間はいつ頃から自分をコントロールできるのだろうかという疑問を高校生のときに持ったそうです。そのきっかけが、二つあると言っています。一つは、生物としての人間の特徴は何だろうと考えたときに、この能力が有力な候補なのではないかと思ったことです。人間に最も近い生物だとされるチンパンジーですら、自分をコントロールすることは得意ではありません。実行機能は、人間を特徴づける能力の一つではないかと思い、関心を持つようになったそうです。

また、森口氏は、人間はいつ頃この力を身につけるのだろうかと考えました。実行機能が人間の特徴であったとしても、生まれてきたばかりの赤ちゃんにこの能力が備わっているとは思えませんし、赤ちゃんどころか、若者ですらこの能力は十分に発達していないように思われたのです。

世紀末に、若者がキレやすいという社会問題がマスコミを賑わしました。1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件をはじめ、未成年者によるさまざまな凶悪犯罪が起き、当時未成年だった森口氏たちは、「キレる若者」というレッテルを貼られたのです。キレるということは、誘惑や困難に打ち勝つ力が足りないことを意味します。しかし森口氏は、実際のところは、マスコミが過剰に騒いだだけであり、直接の因果関係があるかどうかはわかりませんが、この問題から、自分をコントロールする力は、いつ頃、どのように成長するのだろうかという関心を持つようになったのだそうです。

彼は、大学生のときに発達心理学という学問に出会い、実行機能を研究テーマとして選びました。大学院生になってから本格的に研究を始めて、博士研究員から大学教員として働く現在に至るまで研究を続け、実行機能の成長過程を明らかにしてきたのです。そこで、彼は、その研究の一端を紹介しています。

まず、実行機能がどのようなものか、大人にとって身近な例を取り上げながら説明しています。次に、実行機能が子どもの将来を占ううえでどれだけ重要なのかについて詳細に解説しています。実行機能の重要性を理解してもらってから、人間がどのように実行機能を身につけていくのかを説明します。そして、幼稚園・保育園に通う時期から、小学校までの間に、実行機能が身につく様子と、その脳内メカニズムを説明しています。

その例として、マシュマロテストという実験があります。森口氏は、その例を、大人を対象に行うとして、こんな設定を示します。「あなたがとてもお腹を空かせたとき、または、とても喉が渇いたときに、そのご褒美が目の前に置かれたとします。たとえばご褒美がビールだったとしたら、今すぐにでも手を伸ばして、そのビールを飲みたくなります。ここで、あなたの意地悪な友人が、次のような選択肢を与えます。今すぐビールを飲むのであれば、小さなコップ1杯だけ。でも、もし荷物を運ぶのを手伝ってくれたら、ジョッキ1杯に増やしてあげる」ここでは、荷物を運ぶのにかかる時間は分だとします。

そのようなとき、皆さんは、どちらの選択をするでしようか。今すぐ喉を潤したいなら、目の前のコップ1杯のビールに手を出したほうがいいかもしれません。でも、コップ1杯だけでは満足できないだろうから、少しがまんして、ジョッキ1杯飲むほうが満足度は高いかもしれません。悩ましい選択です。

将来を占う

実行機能は、自制心という言葉の意味に近く、私たちにとっては、こちらのほうが身近かもしれません。しかし、その違いは、自制心は自分をコントロールすることに主眼を置いていますが、実行機能は目標を達成することに主眼が置かれていると森口氏は説明します。

現在、世界の教育機関や研究機関、国際的な組織において、子どもの実行機能が非常に注目されています。20世紀末から学術的研究が爆発的に増え、基礎研究の段階を経て、現在は家庭や保育・教育現場において支援・応用する段階に入っていると言われています。森口氏も、現在、さまざまな自治体や保育・幼児教育の現場で、実行機能に関する支援事業にかかわっているそうです。その意味で、子どもの実行機能が重要であることはもはや世界の常識になりつつあるようです。

それは、子どものときにこの能力が高いと、学力や社会性が高くなり、さらに、大人になったときに経済的に成功し、健康状態も良い可能性が高いことが示されているからです。逆に言えば、幼い頃に実行機能に問題を抱えると、子ども期だけではなく、将来にもさまざまな問題を抱える可能性があるからです。

つまり、実行機能は、子どもの将来を占ううえで、極めて重要な能力なのです。ところが、日本では、実行機能という言葉自体ほとんど知られていないようです。実際、実行機能が子どもの将来に重要だと言われても、「実行機能なんて聞いたことがない」とか、「いやいや、IQのほうが大事でしょ」とか思われるのではないかと森口氏は言います。私も、保護者講演をするときにも、どうも聞いている保護者の中には、本音と建前として聞いているのではと感じることが多くあります。先日も、例えば、乳幼児期は遊びが大切であるということを、ただ情緒的に、建前として言っているのではなく、きちんと遊びこんだ経験が、その後の学力や、将来社会に出た時に、成功したり、幸せに生活したりするための力になるという研究があって話しているのだということを言いました。

同じように、IQが重要であることは確かなのですが、最近のいくつかの研究から、実行機能は、IQよりも子どもの将来に影響を与える可能性があることが示されているのです。さらに、より重要なこととして、実行機能は、IQよりも、良くも悪くも家庭環境や教育の影響を受けやすいのです。ですから、支援や訓練が可能な一方で、劣悪な環境にいると実行機能は育たないというのです。

もちろん、一つの能力だけで子どもの将来が決まるわけではないと森口氏は言います。この点は留意が必要ですが、さまざまな研究において、一貫して、実行機能や自制心が子どもの将来に影響を与えることが示されており、その重要性は明らかだというのです。子どもの持つ多様な能力すべてに目をくばることは不可能ですので、有望な能力に注目が集まるのは当然だと森口氏は言います。

そこで、彼は、まず「実行機能は、どういう能力を指すのか」そして、「実行機能は、どのくらいの年齢で、どのように育つのか」「実行機能は、子育てや教育・保育によって、どのように育むことができるのか」「実行機能は、子どもも大人も鍛えることができるのか」ということについて考察し、それに対する考え方を紹介しています。

科学的研究による裏付け

志望校に合格するために、ゲームをがまんして勉強に励む受験生。スポーツで勝利をつかむために、あらゆる誘惑に抵抗して研鑽を積むアスリート。会社を興すために、プライベートの時間を犠牲にして仕事に打ち込む起業家。そのあり方はさまざまですが、自分を律し、未来を信じ、目標に向かう人の姿は尊いものだと森口氏は言います。

しかし、このような目標のために自分をコントロールする力は、いわゆる「頭の良さ」とは違ったタイプの能力だと言われています。頭の良さとは、どれだけ知識を持っているのか、どれだけ速く問題を解けるのか、与えられた情報からどれだけ推測することができるのか、などを指します。このような頭の良さは、専門的には「認知的スキル」と呼ばれます。知能指数(IQ)は、認知的スキルの典型的な例です。

一方、目標のために自分をコントロールする力は、頭の良さとは直接的に関係しません。認知的スキルとは異なる能力という意味で、「非認知スキル」と呼ばれます。「社会情緒的スキル」とも言います。非認知スキルには、自分をコントロールする力の他に、忍耐力、自信、真面目さ、社交性など、さまざまなスキルを含みます。

数年前から、わが国においても、非認知スキルが子どもの将来にとって重要だと紹介する書籍やウェプコンテンツが増えてきました。しかしながら、それらの多くは、子どもの研究をしたこともない方々による、一部の研究成果に基づいた表層的な、時には誤った知識によって書かれていると森口氏は指摘します。

実際のところ、非認知スキルのなかには、IQなどと異なり、測定することすらできないものも多数含まれています。つまり、非認知スキルが大事だと言ったところで、それは絵にかいたモチであったり、科学的な研究に裏付けられているとは限らなかったりするのだと森口氏は言います。そこで彼は、非認知スキルのなかで、結局のところどのスキルが子どもの将来にとって大事なのかという疑問に答えようとしています。その答えを彼は、「自分をコントロールする力」だというのです。

それを説明するために、彼はまず「実行機能」について説明をしています。実行機能については、何度もこのブログに出てきて、心理学や神経科学の専門用語のために最初はよくつかめなかったこの機能が、次第にわかってきました。簡単に言うと、森口氏は、「目標を達成するために、自分の欲求や考えをコントロールする能力」であると言います。

実行機能は、英語で「エグゼクティブ・ファンクション」と言い、その意味は、会社組織における執行取締役であるということは以前に説明しましたが、その意味から森口氏は実行機能についてこう説明しています。

「執行取締役の主な業務は、営業をしたり、製品を作ったり、総務的な仕事をしたりすることではありません。会社の目標を定め、その目標を達成するために、営業、製造、総務などの現場に対して指示を出すことです。」

そこで、目標を達成するために、さまざまな苦難を乗り越えなくてはいけません。本業に注力するべきときに、妙な投機に手を出す誘惑にかられることがあるかもしれません。そのようなときに、執行取締役がしっかりと機能していれば、誘惑に打ち勝ち、本来の目標を達成することが可能となるのです。

ということで、執行取締役は会社組織における目標を定め、それを達成する役割を担いますが、同じように、実行機能は人間個人が持つ能力ではありますが、自分自身で目標を定め、その目標を達成するための能力であるということになるのです。

目標を達成

非認知能力を子どもたちに身に付けてもらうことは、これからのAIの時代を迎えるにあたって、様々なことをAIがやるようになった時代では、どのようなスキルが必要になるかということを見通す必要があります。また、これからは、予測不可能な、変化の時代が訪れるであろうと言われています。その変化を前向きにとらえて、その変化に適応していくためには、どのようなスキルが必要であるのか。また、これからは、変化は人類において文化の面だけでなく、自然界でも起きうることです。地球温暖化を初めとして、環境汚染、地震や津波、様々なことが人類に降りかからないとも限りません。それに立ち向かい、生き延びていかなければなりません。また、これかの社会の中で格差が広がり、その格差が固定化し始めていくかもしれません。すると、将来に希望を維持し続けることは困難になり、また、現状を破壊しようとする人が現れないとも限りません。

それらの時代に向かう中で必要なスキルは、ただ知識があるとか、いろいろなことができるだけではなく、非認知スキルという能力が必要になってくるのです。そして、具体的に、そのスキルをどのようにして子どもたちに付けていくのか、どのような環境を用意したらよいのかなどを、具体的に考え、実践していかないと何も変わっていきません。そこには、新たな価値を創造する力が必要になってきます。

この非認知総力の中で、私が特に注目しているのが、「エモーショナルコントロール」と言われるもので、自分の感情をコントロール力です。この力が最近弱まっていると言われ、アメリカでは、この力の欠如から犯罪が増えているとも言われ、何とかこの力を子どもたちに付けていってほしいという試みが多くされていると聞きます。

私たちは、毎年同じ保育を目指す仲間たちに対して、セミナーを開催しています。そのセミナーの中で、リーダーや、園長向けのプログラムでは、様々な研究者をお呼びして、最新の研究を話してもらっています。少し前に、この「自分をコントロールする力」である「実行機能」について研修をしている森口佑介氏に話をしてもらったことがあります。その縁で、彼が昨年2019年11月に発行された「自分をコントロールする力 非認知心理学」(講談社現代新書)という著書を送っていただきました。 この本のはじめには、こんなドリー・バートンのことばから始まっています。「虹を見たかったら、雨をがまんしなくちゃね」

その言葉には、「私たちが大きな目標を達成するためには、さまざまな困難や誘惑を乗り越えなくてはなりません。決して容易なことではありませんが、その障害が大きければ大きいほど、雨が激しければ激しいほど、その後に見られる虹は美しいでしょう。」という意味が込められていると言います。

これと同じような言葉を、様々な著名人が残していますが、そのいくつかを森口氏は紹介しています。ジャズ歌手であるノラ・ジョーンズ氏は、ドリーン氏のはとほぼ同じタイトルの曲(If You Want The Rainbow (You Must Have The Rain))を発表していますし、作家のジョン・グリーン氏原作の映画『きっと、星のせいじゃない』のなかでも同じような表現が使われているそうです。彼女らのような成功者にとって、将来の目標のために、目の前の困難や誘惑を乗り越える力は、必須なのではないかと森口氏は言うのです。