親子関係への介入

ナース・ファミリー・パートナーシップでは、母親たちを無作為に三つのグループに分け、どのグループの母親にプラスの効果があるかを研究しているそうです。どのグループで、子どもへの虐待が減り、逮捕されるような事態が避けられ、生活保護の受給が減るのか?どの家庭では子どもたちの精神の発達や学校の成績への大きな影響は見られませんが、母親の知能テストのスコアが低かったり、精神状態が悪かったりする家庭では、介入によって子どもたちの学業成績が実際に改善されたそうです。

子どもの語彙や読み書きのスキルをターゲットとした介入には、それほど確かなエビデンスはないそうです。この種の介入は、子どもが幼いころに接する話し言葉・書き言葉は親の階級に大きく左右されるという現実を前提としているからです。裕福な家の子どもたちはたいてい、より多くの本や印刷物に接しています。また、裕福な親は低所得層の親よりも子どもに多く、いくつかの概算によれば、はるかに多く話しかけます。使う言葉そのものもより複雑です。こうした傾向は、入園時に低所得層の子どもたちに言語面での大幅な遅れがあることの説明になります。

こうした現実を踏まえ、多くの研究者らがこの差を縮めるための実験的なプログラムをつくりだし、もっと子どもと話したり本を読んだりするようにと低所得層の親たちに勧めたそうです。しかし、このプログラムが長い目で見たときにほんとうに貧困層の子どもたちの言語能力の改善につながっているのかどうか、信頼に足るエビデンスはなかなか見つからないとタフ氏は嘆いています。乳幼児は、親が言葉を教えることに専念している瞬間だけでなく、つねに親から言葉を吸収しています。ですからもしあなたが親であり、限られた語彙しか持っていなければ、多くの低所得層の親はそうなのですが、子どもの語彙を豊富にするのはむずかしいとタフ氏は言うのです。

そんなこともあって、いまでは最も見込みの高いアプローチは三番めのカテゴリー、つまり親子関係をターゲットとした介入だと考えられているそうです。このカテゴリーの介入の多くは、心理学の用語でアタッチメント(愛着)と呼ばれる現象を子どもの側につくりだすことを狙いとしているようです。1950年代にイギリス、カナダ、アメリカの研究者らが発見したところによれば、生まれて最初の12カ月のうちに温かく気配りの行き届いた子育てを経験した子どもは、多くが親と強い結びつきを形成します。研究者たちはこれを「安定したアタッチメント」と名づけました。この結びつきによって、子どもの心に安心感と自信が深く根づきます。心理学の用語でいう「心の安全基地」ができるのです。これがあると、成長したときに自力で思いきって世のなかの探検へと乗りだしていけるようになると考えられています。そうした自信と自立は、現実の世界で役に立つのです。1970年代にミネソタ大学ではじまった長期にわたる研究によれば、1歳の時点で母親とのあいだに安定したアタッチメントが見られた子どもたちは、幼稚園では注意深く、物事に集中することができ、ミドル・スクールでは好奇心とレジリエンスを示し、高校を中退することなく卒業する確率が著しく高かったそうです。

親子関係への介入” への8件のコメント

  1. これらが、「不特定の養育者との深い結びつきが大事である」とされている所以でしょうか。安全の輪、心の安全基地といったように、自分の身に何かあったと時に必ず助けてくれるという安心感、信頼感があることで、「挑戦」とか「立ち直る」といった選択を自らでできるようになるのですね。それが見守る効力でもあるはずです。また、その見守られる対象は、子どもだけでなく大人も時には変えながら生きているようにも思います。むしろ、その関係性を誰とでも築き上げることができる人のほうが、人生を楽しくより豊かに過ごしているのかもしれないとも感じました。

  2. 経済的に裕福な家庭の子どもの育ちには、全部ではありませんが、経済的に裕福ではない家庭の子どもの育ちより優っているところがある、と私はこれまでの経験から感じています。いわゆる学習面における差異は昨今著しいような気がします。ある調べるによると、東大に進学する生徒の家庭の年収は1000万円を超えているところが多いとか。経済と教育を結びつけることに抵抗する教育者と呼ばれている人々は少なからず存在しています。しかし、資本主義の世の中では、経済的優位が学力はもとより、安寧や幸福の獲得においてもかなりものを言うこともまた「不都合な真実」ですがあります。「アタッチメント(愛着)と呼ばれる現象を子どもの側につくりだすことを狙いとしている」このことが重要だと思います。子どもが自らくっ付く相手を選ぶ。そしてその人は負の状況に陥った子どもの「安心の基地」という存在になる、ということでしょう。担当制をしていれば先生が即子どもにとって「心の安全基地」になるわけではない、という事実を私は認める必要があると思っています。子どものアタッチメント対象となるために、他人は愛情豊かで思慮深い存在になる、すなわち温かく応答的に子どもを見守る存在になる必要があると思うのです。

  3. 人が負の状況に陥ってしまった時というのはどうするのか、というのを考えた時に、やはり自分以外の他の人に助けを求めるのではないか、と考えました。その時に助けてくれそうな人の近くに行こうとする、これが「心の安全基地」というものだと思います。自分から行くことができるそれがあることによって、未知なるものへとチャレンジできる、これは子どもだけではないような気がします。大人もまたそうなのではないでしょうか。そんな存在が多く、状況により選べることができたならいかなる困難にも立ち向かえる気さえします。また立ち向かい、もしダメでも自ら立ち直ることを選ぶことができる。人間の豊かさとはこの安全基地の有無に尽きるのではないかと思えました。

  4. アタッチメントの研究は基本的には親子関係で語られることが多いので、こういったことがいざ保育現場において、保育者と子どもの関係においても、言えることなのかということを考えます。しかし、これまでのブログでの内容において、赤ちゃんが親子関係だけといった限定的な養育ではなく、集団の中で養育されてきたという話を聞いていても、決してこういった「心の安全基地」というもの親子関係だけではないのではないかと思うところもあります。「生まれて最初の12カ月のうちに温かく気配りの行き届いた子育てを経験した子どもは、多くが親と強い結びつきを形成します。」という言葉の中で、「生まれて最初の12カ月のうちに温かく気配りの行き届いた子育てを経験した」という文章は「親」と限定されていないところを見ると、これは子どもを取り囲む養育者のどれにも当てはまるのかなとも思います。今の時代において、特に子どもたちに必要とされる保育環境はこういった「心の安心基地」であって、能力の向上や大人に求められる子どもの姿ではなく、子どもそのもののあり方なのだと思います。

  5. 以前何かの実験で子供を知らない空間で遊ばせたとき、親が見える範囲にいるのといないのでは子供の移動距離が大幅に変わるというものを目にしました。子供は子供だから好奇心旺盛でどこにでもいくと思いがちですが、安心して帰る場所があるからこそ好奇心旺盛に遊べるのですね。ただ、親と保育士は同じ存在にはならないことから保育士がなるべきは親が安全基地なら休憩所といったところでしょうか。

  6. 「乳幼児は、親が言葉を教えることに専念している瞬間だけでなく、つねに親から言葉を吸収しています。」金持ち喧嘩しない、ということが本当であれば、裕福な家庭に流れる空気はどこか安心感に満ちていて、当然家族間の雰囲気も良いでしょうし、であれば自然と会話も弾むことでしょう。気の合う妻との会話が楽しみであれば尚更そこに流れる空気や言葉がそのまま子どもに好影響を与えると言えそうです。無言の時間の改善ということでなく、言葉や会話のない時間にどのような空気が流れているか、ということを考えるきっかけになります。

  7. 「いまでは最も見込みの高いアプローチは三番めのカテゴリー、つまり親子関係をターゲットとした介入だと考えられているそうです」とありました。このようなアタッチメントの形成が一番重要であったということは、子どもは有能であるということをまた裏つけているような結果のように思えますね。安定した気持ちがあれば、子どもは自ら育つことができるし、それを保障することが何より大切であるということを表しているのかのようです。何かを教え込んだりするのではなく、子どもが自ら育つための支援をしていくというのは保育でも大切にしていきたいことですね。

  8. 確かに裕福な家庭は、子どもに対して教材を買ってあげられたり、何よりも心に余裕がある分、話しかける時間が多いのかもしれません。それに対して低所得の家庭は時間も厳しく心の余裕も難しいのかもしれません。
    3つ目のアプローチとして書かれてある「愛着関係」ですが親子関係としての愛着関係が書かれてあるので、それを鵜呑みにして、保育現場でも「安定した愛着関係」が大切と思い、それこそ特定な人としか関わらないシステムは違うというか、園としての役割が違ってくると思います。

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