学業のための粘り強さ

では、粘り強さを伸ばす学校や教室の状况とはどういうものでしょう?この答えを出そうとしてファリントンが気づいたのは、学習のプロセスに立ち戻り、分解して考える必要があるということでした。そして、すでにある研究から、生徒の成功に必要なものをいくつか引きだし、そこからフレームワークをつくろうとしたのです。

ファリントンは、生徒たちが学業の成功として広く認めている事柄からはじめました。よい成績を取る、高校を卒業する、大学の学位を取る。こうした成果に直接結びつくものを「学業のための行動」であるとしました。宿題をやったり、予習をしたり、クラスでの議論に参加したり、そもそもいちばん根本的なことをいえば、登校することもそうです。ここまでは非常に単純です。きちんと出席し、宿題をやって授業に参加する生徒がうまくやれるというのは、多くの教師が同意するところでしょう。では、何がこうしたポジティブな「学業のための行動」を生むのでしょうか?

ファリントンの答えは「学業のための粘り強さ」でした。生産的な「学業のための行動」を長いあいだ維持できる性質です。ファリントンの主張によれば、「学業のための粘り強さ」を持った生徒が他の生徒とちがうのは、失敗からすぐ立ち直る力を持っている点だといます。何回かテストで失敗しても、教室で懸命に勉強することをやめません。複雑な課題に悩んだり、混乱したりしたときも、ただあきらめるより、問題を解くための新しい方法を探します。ファリントンのいう「学業のための粘り強さ」には、グリットや自制心や、楽しみを先送りにする力のような非認知能力が含まれています。しかしそうした性格上の特質とちがって、生徒の「学業のための粘り強さ」は状况に大きく左右される、とファリントンは書いています。10年生のときに学校でがんばってやり通した生徒が、11年生ではやり通せないかもしれません。数学の授業はがんばれても、歴史の授業は駄目かもしれません。火曜日にはがんばれても、水曜日は駄目かもしれないのです。

ファリントンが実施した調査には、特定の介入が生徒のもともとのグリットのレベルを変えるというエビデンスは見られませんでした。しかし、生徒の学業への粘りが学校や教室の状況の変化に大きく左右されるというエビデンスはたくさんあったそうです。ファリントンのレポートにはこう書かれているそうです。「生徒を、グリットを持った人間につくりかえようとする、つまり、人生のすべての側面に対し、いついかなる状況でもグリットを発揮できるようにすることにあまり益はないが、生徒が環境の影響を受けて粘り強さを示すようになることはある。勉強をやり通したり、大きなプロジェクトを完遂したり、勉強がむずかしくなったときに身を入れて取り組んだり。こうしたことはある特定の教室の状况や心理状態によって起こる反応だ」

これは重要な区別だとタフ氏は言います。もしあなたが教師だったら、生徒たちをグリットのある人間にすること、それは、グリットと呼ばれるきわめて重要な資質を発達させることはできないかもしれませんが、グリットがあるようなふるまいをさせる、グリットがあればこうするだろうという行動を取らせることならできます。ファリントンの主張によれば、まさにそれが大事なのです。その粘り強い行動が、教師が望む、そして生徒と、社会一般が望む学業の成果を生む助けになるのだというのです。

学業のための粘り強さ” への8件のコメント

  1. 今回のブログのタイトル「学業のための粘り強さ」、これにはとても親近感を持てます。私はいまだに自分のことを学習人だと思っています。アウトプットするよりインプットすることに快感を覚えるのです。ですから、テストとかプレゼンとかアウトプットすることに喜びや快感を持つことはありません。そしてこの学びへの快感にとってとても重要なことが「ある特定の教室の状况や心理状態によって起こる」ことなのです。総じて自分の取り巻く周囲環境であり、その周囲環境によって影響される自分自身の心理状態です。残念ながら、その心理状態には浮き沈みがあり、一定はしません。「数学の授業はがんばれても、歴史の授業は駄目かもしれません。火曜日にはがんばれても、水曜日は駄目かもしれないのです。」あぁ、こうした経験をこれまで幾度してきたことか。自分の心的状態を一定に保つため自己内グリットをメタ認知するスキルが必要となります。まだまだ修行です。

  2. 「グリットと呼ばれるきわめて重要な資質を発達させることはできないかもしれませんが、グリットがあるようなふるまいをさせる、グリットがあればこうするだろうという行動を取らせることならできます」という一文を何度も読み返しましたが、まだよく理解してません。グリットという能力は、外部から育むことはできないが、それに相応する行動はとらせることができる。結果は「グリットを獲得する」という同じものでありながら、あくまで自分で模索して獲得していく能力であるということでしょうか。私たちは、グリットがあるような振る舞いをさせる環境を用意するとよいということでしょうか。やはり、根本には信じる力が必要になる気がしました。

  3. 「ただあきらめるより、問題を解くための新しい方法を探します。」なかなかこういった時間を作ることをさせないのが今の教育の状態のような気がします。以前、紹介された麴町中学校の工藤勇一先生の定期考査を無くし、小テストを増やしたといった内容を思い出しました。小テストが悪かったとしても、リベンジする機会を増やし、しっかりと自分からわかるようにできる環境を与える。「リベンジできる機会」ということを環境の中に用意することも重要なことかもしれませんね。そういった小さな成功体験こそが次の意欲につながるのだと思います。そして、そういった環境を作るには思い切った見方が必要とされます。なにより、その生徒や子どもたちが「自分で立ち直る力を持っている」ということを信じることがなによりも大人が必要とされる距離感として理解しておくことが重要になってきますね。

  4. 登校する、あまりにも簡単な課題でありそうながら実は現代の子どもたちにとってはとても難しいことであることを思います。通勤時間、電車の中で暗い表情をしている人を見て、仕事へ行くことが嫌なのだろうか、学校へ行くことが、それとも他にもっと不幸なことが、と悲しい気持ちが湧いてきそうになりますが、電車に一人で乗れるようになった大人でさえ家から出ることが困難な世の中で、もしかしたら何の楽しみもなく、行けば自信を喪失されるかもわからない場所へ毎日同じ時間に家を出ることは、本当はとても辛いことかもわかりません。そんな時間をどうにか楽しく過ごせるのは友達の存在であり、教師の存在であるとすると、人間関係を構築する力もまた粘り強さに支えられていて、粘り強くそこへアタックできるからこそ構築できるものもあって、とても相互な関係であることを思います。息子が通学路に友達を見つけて嬉しそうに走っていく背中を思い出して、当たり前のことではないかもわからないことを改めて思いました。

  5. 最後の段落の文章が気になりました。ということは、自分たちはグリットを教えることはできないということで、グリットがあるならこうするのではないか、というようなヒントを与えることができる、そして、それが大切なことであるということでしょうか。ということは、自分たちができることはグリットというのを教えることよりも、環境からアプローチして、自らグリットを発揮しようとするようにしていくことになるのでしょうか。
    そこには信じて待つ、先を見通す、などのこちら側にもグリットという能力が必要であることを感じました。

  6. 先日少し広めの公園にお散歩にいったとき、地面に2歳児クラスの子がやるにしては難しめの迷路を作りました。案の定挑戦する子もクラスの子供の1/5程度だったのですが、その中で何度道を間違えても何度トラップにはまろうとも諦めず取り組んだ子がいて、これこそ学びに対しての粘り強さだな、と思ったのを思い出しました。その子はまだ三歳だったのでもちろん性格特性が大きく影響しているのでしょうが、この子のような粘り強さをつけるためにはどうすれば良いのか観察してみたいと思わせてくれた出来事でした。

  7. 環境を変えることで自分を成長も後退もさせることができるというのはとても分かります。「生徒の学業への粘りが学校や教室の状況の変化に大きく左右されるというエビデンスはたくさんあったそうです」ということからも、いかに自分の行動に環境が他者が影響しているからということを感じます。そういう意味でもやはり子ども集団というのはかなり重要になってくるということが分かりますね。「グリットがあるようなふるまいをさせる、グリットがあればこうするだろうという行動を取らせることならできます」というのは行動を分かりやすく示していくことが大切ということになるのでしょうか?

  8. 粘り強さというのは社会において重要な能力のような気がします。息子を見ていて思うのは、自分の好きなことに関しては集中してどれだけでも出来ますが、それ以外の物に関して言えばすぐに諦めます。それは大人でも言えるし、私自身にも言えることです。たとえ苦手な分野でも、その狭い中で自分なりの楽しみを見つけて、やり通すことができればベストだと思います。子どもたちにグリッドのある人間にするには、やはり環境であったり、何気ない大人の一言だったり、行動が子どもたちに影響するのかもしれませんね。

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