日本において

ペリー就学前プロジェクトが、そんなに素晴らしいのならば、せひ日本でも同様のプロジェクトを取り入れるべきだと思われるかもしれないと山口氏は言います。しかし、それを実行するのは現実的ではありませんし、できたとしてもアメリカで見られたような目覚ましい成果を上けられるとは考えにくいと彼は思っているようです。

一つの理由は、ペリー就学前プロジェクトが対象としたのは貧しい家庭の子どもたちだということだと言います。貧しい家庭では、子どもにとって望ましい発達環境を用意するのは難しくプログラムに参加した子どもたちと、参加しなかった子どもたちとの間では、知能指数でも、社会情緒的能力においても大きな違いが生まれたと考えられるからだと言います。

ヘックマン教授らの一連の研究をもって、幼児に英才教育をすすめるような話を耳にすることがありますが、日本の平均的な家庭環境は、ペリー就学前プロジェクトの対象となった貧しい家の環境よりもたいぶ優れていると考えられますから、ヘックマン教の研究で報告されたような大きな効果は見られないのではないかと考えているようです。

二つめの理由は、ペリー就学前プロジェクトは社会実験として用意された特別に質の高いプログラムであり、同等のプログラムを低料金で全国的に展開するのはほぼ不可能であるという点を挙げています。

たとえば、ぺリー就学前プロジェクトの特徴の一つに、週1回の家庭訪問がありますがこれを実行するのは大変な手間です。また、子どもたちを実際に指導した先生は、学歴面でも資格面ても特に優れていたため、これだけの人材を日本全国に揃えるのはなかなか難しいでしょう。もちろん日本の平均的な保育園・幼稚園の質は高く、先生方も大変な努力をされています。それよりさらに質の高い教育を、すべての保育園・幼稚園、そして先生方に均一に求めることが現実的ではないと考えているからです。

では、日本の幼児教育を考える上で参考になりそうなのは、その国の大多数のどもたちが通うような「普通の保育園」「普通の幼稚園」の効果を分析した研究だと山口氏は考えています。「普通の保育園」ならば、そこに通う子どもたちは貧しい家庭の子どもに限りませんし、特別な学歴・資格を持った先生方だけが教えているわけではありませんから、日本の保育園・幼稚園と大きな違いはないと考えていいのではないかというのです。

彼は、自分の子がカナダの幼稚園に通わせていた1年間と、日本の幼稚園に1年半ほど通った頃を思い出しています。親目線から見る限り、どちらも高い質の教育を提供していたように思ったそうです。あえて違いを言えば、日本の幼稚園は団体行動や規律を重じている気がしたそうです。カナダの幼稚園の子どもたちは、かなり自由だったそうです

カナグの教室の様子を初めて目にしたときは、そのあまりの奔放ぶりに驚いたそうです。自由というより無秩序なのではと正直心配になったほどだったそうですが、どの子もいい子に育っているのを目にするようになると、その良さを受け入れられるようになったそうです。自分が知らないだけで、良い教育方法はいくらでもあるものだなと勉強になったと振り返っています。

日本において” への6件のコメント

  1. ロサンゼルスという大都市であっても、ホームレスは多かった印象があります。アメリカの貧困家庭というのは、日本人が思っているよりも低い水準のようですね。そう考えると、日本の保育の質は子どもを犯罪への道にいざなうものというわけではなさそうと考えますが、これまで考えられなかった方法での犯罪が出てきたりなど、犯罪も多様化しているのが現状でしょうか。そして、カナダの幼稚園の質と日本の幼稚園の質の違いについての考察は面白いですね。団体行動を重んじる日本と、自由を重んじるカナダ。移民国家であるカナダが辿ってきた道を、今日本は辿ろうとしている感も否めません。

  2. ペリー就学前教育実験に関しては、アメリカ国内で既に反証が示されています。ただ、その反証も調査されなければならないでしょう。アメリカの実験結果をして、そのこのとを日本にすぐ当てはめるのはどうかと思いつつ、やはりヘックマン教授が示されたように8歳未満児に関わる投資はその国の将来に大きく寄与すると私も思います。教育の成果はすぐに現れないのが難点です。特に、お金を教育に投資する場合、投資した分をいつの時点で回収できるのか、その辺の確信がなければ公金を使おうとしないのでしょうか。日本人のIQ力の高さもあるデータで立証されています。とはいえ、貧すれば鈍する。現在、相対的貧困家庭が増えてきています。底上げを図る、すなわち相対的貧困家庭児も等しく教育を受けられる、そして臨むように進学できる、そうした施策が求められているでしょう。カナダの幼稚園の「奔放ぶり・・・自由というより無秩序なのでは・・・」という感想。教育現場に対するある一定の思いがあるからそう映るのでしょう。子どもが本心から楽しんでいるようならそれでいいと思います。

  3. 「保育の質」というものは一体どういったものをいうのでしょうか。日本とカナダの比較はとても面白いですね。日本は団体行動や規律を重んじており、カナダは無秩序にさえ思えるほどの自由度を保障している。そのどちらにも国民性が見えてくるものですし、どちらがいいというわけではないのだと思います。ただ、そのどちらにも「質」というものがあり、意識されるべき理念があることが重要であるようにも思います。そして、その主体は子どもであるべきというところはどの保育においても言えることだと思います。保育における原理原則をしっかりと洞察しておかなければ、「質」というものにはつながらないということを改めて思います。改めて、今の日本において、どういった乳幼児教育が必要なのか。どういった人材が社会において、これからの時代必要になってくるのか。それに向けて、保育はどうあるべきなのか考えさせれられるものがあります。

  4. 〝貧しい家庭では、子どもにとって望ましい発達環境を用意するのは難しく〟とありました。これは世界で共通のことであると思います。ということは、貧困家庭をどのようにして救うのか、ということも教育の中の一つとして数えるべきなのでしょうか。貧困というのが、教育の分野にも関わることだということを読みながら気づいたような感じです。教育という分野がこれほど広い範囲に影響があるということを感じます。
    世界には国として貧しいと言われている国があります。日本はその意味では水準は高い方だと思います。貧しい国にはどのような働きかけを行なっているのでしょうか。自分の中でも考える範囲が広くなり、視野も広くしていかなければならないことを感じました。

  5. 物質的な豊かさから日本という国が豊かに捉えられていて、確かに豊かであるのに自殺率がとても高いという問題のある国でもあります。質の高い教育が施されている、という評価が得られたことはとても有り難い気持ちのするもので、そう思うと日本で論じられている保育の質について、どの園の取り組みも保育も微差しか違わないのではないかとも思えてきます。しかしながらその微差が大差でもあり、水準を高くすることこそ業界の使命でもあるでしょう。世界を標準にすると、日本という国がよくわかるようでもあり、よくわからなくなるようでもあり、それこそ学びを積まなければ、ないがしろになってしまいそうです。

  6. 私が大学時代教員採用試験の勉強をしているときに感じたこととして、教員採用試験というのは良い教師かを見極める試験というよりはある程度学のある人間かを見極める試験だと感じました。大学の授業も良い教師を育てる授業というよりは教員採用試験を受からせるための授業の方が多い気がしました。もちろん医師や弁護士のような無資格の者がやっては大惨事が起きるものもありますが試験や資格を通っていないと優秀ではないと見定められる風潮には少し疑問を抱いたおぼえがあります。

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