何ができるのか?

神経生物学の調査は、長期にわたる心理学分野の研究として、自制心や誠実さを含む非認知能力のある子どもたちが、大人になってからもさまざまな改善が見られることを示す研究によって補完されているそうです。この手の研究で最も徹底しているのは、1970年代のはじめにニュージーランドのダニーデンで生まれた1000人の子どもたちを何十年にもわたり追跡したもので、非認知能力の高い子どものほうが学歴が高く、健康状態もいいと結果が出ているそうです。また、シングルペアレントになる可能性は低く、借金を抱えたり刑務所に入ったりする可能性も低いそうです。

2012年の秋に「成功する子失敗する子」の原書が刊行されて以来、これらの気質が子どもの発達において重要でありながら見過ごされてきたとする見方が、とくに教育の分野で広がりつづけているとタフ氏は嘆いています。しかし、ここ何年か非認知的な要素について多くの議論がなされてきたにもかかわらず、それを伸ばす最善の方法については結論が出ていないといいます。このことは日本においても言えますね。改訂された保育所保育指針では、非認知能力が大切だと言いながら、その力をどのように育てるのかがはっきりしないだけでなく、非認知能力そのものの力もどのようなものであるのかもはっきりとは示されていません。ですから、研修でいくらその力が大切だと聞かされていても、実際の保育は以前と変わらずに行われている状況です。それは、アメリカでもいえるようです。ですから、当然のことながら、多くの教育者が不満を募らせているのも頷けます。タフ氏は、本の刊行後、教員や、子どもの発達にかかわる専門家のまえで話をする機会がときどきあるそうで、逆境に関する生物学的な最新調査や、本を書くうちに出会ってきた医師やメンター、教師、子どもたちのことを紹介してきたそうです。こうした講演のあとには、きまっておなじ質間をされたそうです。「話はわかりました。それで、結局どうすればいいのですか?」低所得層の子どもたちに対する教育を成功させるには、非認知スキルが重要な要素であるというアイデアは、タフ氏が話をした大勢の教員の実体験とも一致するものだったそうです。しかし彼らは、タフ氏の本のなかにも、ほかのどこにも、幼時期から思春期までの子どもたちがこうしたスキルを発達させるための最も効果的な方法が具体的には書かれていないと指摘したそうです。

そこで、2014年の夏に、タフ氏は新しい取り組みをはじめることにしたそうです。「成功する子失敗する子」のなかで書いた調査や研究について再検討し、新しい科学的発見や、新しいモデル・スクール、教室の外でも子どもたちを支援する新しいアプローチなどに、調査の範囲を広げることにしたそうです。彼はそれをまとめることにしたそうです。それが、「私たちは子どもに何ができるのか」です。現場と政策立案者の双方に実践的なガイドを提供することを目的としていると彼は言います。「それで、結局どうすればいいのですか?」という質問に答えようとするひとつの試みだというのです。

まず、彼は、この本のアプローチについて簡単に説明しています。まず、彼を含め、社会間題を扱うジャーナリストがよく用いるテクニックについて書いています。

何ができるのか?” への6件のコメント

  1. 今回のブログには改定保育所保育指針の問題点が指摘されています。曰く「改訂された保育所保育指針では、非認知能力が大切だと言いながら、その力をどのように育てるのかがはっきりしないだけでなく、非認知能力そのものの力もどのようなものであるのかもはっきりとは示されていません。ですから、研修でいくらその力が大切だと聞かされていても、実際の保育は以前と変わらずに行われている状況です。」指針に示された「10の姿」が昨年から今年にかけて各地の研修会の場で取り上げられているようですが、現場への影響力はどうなのでしょう。「話はわかりました。それで、結局どうすればいいのですか?」という問い。各種の研修に参加している先生たちの思いそのものでしょう。この問に対するタフ氏の回答をこれから当ブログが紹介してくれるのでしょう。たのしみですね。やはり研修は最新の知見に基づいた理論の聴講と実践への応用が利くような内容でなければならないと思います。昨年からキャリアアップ研修が盛んに行われるようになってきましたが、「キャリアダウン」にならない研修内容の確保が重要だと思います。

  2. タフ氏が指摘する「子どもの発達において重要でありながら見過ごされてきた」という、世の中の行動が言っていることと一致しない傾向があるのはどうしてでしょうか。私たちは、どこか「研究」や「脳科学」というものに対して信頼していないのか、それとも、それを行わなければ何か罰があるいった制度がないと行動できないものであるのか、はたまた、単純に今と異なった行動をするのが大変だからなのか、その原因を明確にすることが、本当に子どもにとってのことをする上で必要なことなのでしょうか。私も、先日先生方に「非認知能力」の話をした際、「結局どんなことをすればいいんですか?」という質問がありました。「特別なことはしなくてもいいのですが、ただ子どもがしたい遊びを存分にできる時間と環境を用意して、子ども同士を結びつけながら、子どもがする遊びを一緒に面白がって共感することが大切です」といった返答をしましたが、どうも腑に落ちない様子でした。何か新しい事をする時というのは、何か新しい行動をしなくてはならないと思っているようです。変えなくてはいけないのは、やはり「保育観」というマインドのようです。

  3. 確かに、何か新しいことを始めようとする時にどんな風にしたらいいのか、どれからはじめればいいのか、などいろいろ気になることがでてきます。それが非認知能力を育てるという明確なものであるなら、具体的に何かあるだろう、と思ってしまう気持ちも分からなくもないですね。新しいことはじめるというと、何か新たな負担や手段を、と考えてしまうのでしょう。新しくしなければならないのは、まずは頭の中の考え方であるように感じました。

  4. 最近先輩方の話でよく出る言葉に「理論が先行してはいけない」というものがあるのを思い出しました。わたしなりの解釈ですが、これは決して理論を知らなくていいという意味ではなく、理論を聞いて知った気になり現場の子供に合わせた対応ができなくなってはいけないということなのかなと思っています。どんな力が大切でそのために何をするのかではなく、何をしたら子供たちが生き生きと過ごしていたのかにもっと着目して、ステレオタイプに縛られず一人一人を見て場を作る保育をしていくべきなのかなと思います。その結果として非認知能力がつくのではないのかと思います。

  5. 確かに非認知スキルの大切さを記していても、それの具体的な方法というものが示されていないところは多くありますね。保育をしていても、保育所保育指針や幼稚園教育要領を見ていても、重要なところは押さえていますが、具体的な方策はない分、その園での解釈ということが中心になっています。そのため、タフ氏のように「どうすればいい?」という質問の答えになる試みが示されるのはとてもありがたいことですね。こういった解釈が一つの柱となり、実践されていく中で、子どもたちが様々な能力を引き出されていくことにつながるのはとても大切なことだと思います。K.takaさんがいうように変えなければいけないのは「保育観というマインド」は確かにその通りですね。そして、そこの根底には「白紙論」が見え隠れしているように感じます。信ずるべきは子どもの能力であり、大人の子ども観こそ変えなければいけませんね。

  6. ここに答えがある、ここに多くの人が欲している正解がある、と声を大きくしたくなる気持ちを抑えて、目の前にいる子どもたちに、見学に来てくださる方々にその事実を提案し続けることなのだと思えてきます。本当にいい教えとは広めるものでなく広まるもの、広がっていくものなのだと聞きますが、多くの賛同者によってこの保育が支持され、また各地で行われているこの保育を見て知ってまたそれが広がっている現状を見て、本当にそういうことなのだと実感が湧いてきます。その輪が巡り巡って、子どものことを考える人たち全体に広がるといいと改めて思います。

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