ストレス

世話をする人が子どものもつれた感情に鋭敏に、注意深く反応するなら、子どもはひどく不快な感情にも自分でうまく対処できるようになると言われています。これは知力を要する学習ではありませんが、子どもの心に深く刻まれ、次にストレスに満ちた状况になったとき、あるいは先々さまざまな危機に直面したときに、真価を発揮すると言うのです。

ここ10年ほどのあいだに、神経科学者たちは齧歯類と人間の研究の両方で、とくに子どもがストレスを受けている局面での親のケアが、ホルモンなどの脳からの分泌物だけでなく、もっと深い、遺伝子発現に関わる部分でも子どもの発達に影響を与える証拠を発見したそうです。マギル大学の研究者らは、母ラットの特定の行動が、子ラットのDNAの配列に起こるメチル化に影響を与えることを明らかにしたそうです。子ラットがストレスを受けたときに母ラットが示す温かく繊細な対応、とくにリッキング・アンド・グルーミングと呼ばれるなだめるような行動が、DNA上で海馬を制御する部位のメチル化を抑制すると言うのです。海馬は、成長したときにストレスホルモンを処理する部位です。まだ検証段階だそうですが、人間の場合にも同様の効果があると見られているそうです。マギル大学の研究は、多くの親の、そして子ども時代をふり返ることのできる人々の直感を裏づけているのです。親のほんの小さな配慮が、非常に深いところからきわめて重要な遺伝情報に関わる部分まで掘りさげるようにして、子どもの発達を助けるというのです。

家庭環境が子どもの発達にプラスの影響を与える可能性があるとすれば、その反対もありうるということになります。とくにごく幼い時期に有害なストレスを経験すると、きわめて深刻な発達の中断が起こり、免疫システムや実行機能、心の健康が損なわれたりすることがわかっています。もちろん、近所で起こる暴力行為や見知らぬ人間からの虐待のような、家の外のストレス要因からも影響を受けますが、大半の子どもにとって、ストレス反応システムの発達への重大な脅威は家のなかにあると言うのです。

子どものストレスやトラウマの長期的な影響に関する研究の一つに、ACEと言われる「子ども時代の逆境の研究」があるそうです。アメリカ疾病予防管理センターの医師ロバート・アンダと、カリフォルニア州を拠点とする大規模医療保険団体カイザー・パーマネンテの予防医学部門の創設者、ヴィンセント・フェリッティが1990年代におこなったものだそうです。アンダとフェリッティは、カリフォルニア南部の1万7000人を超えるカイザーの患者を対象とし、子どものころのトラウマを引き起こす体験について調査したのです。対象者のほとんどが学歴の高い中年の白人でした。アンダとフェリッティは、家庭内で起こる事柄について10項目の質問をしたそうです。虐待に関する項目が三つ、ネグレクトに関する項目が二つ、あとの五つは「深刻な機能不全に陥った家庭」で育ったことを示すもの、DVを目撃した、両親が離婚した、家族のなかに刑務所に入っている者か精神疾患のある者、あるいはアルコールや薬物乱用の問題を抱える者がいた、などだったそうです。つまり、対象者が子どものころに経験した逆境の数だけを調べたそうです。

周りの大人

近年の研究を見ると、逆境のなかで育つ子どもたちの人生の全貌を把握するには、神経科学の博士号が必要なのではないかと思えてくるとタフ氏は言います。しかしその複雑な科学がたとえば、アドレナリンの分泌腺がグルココルチコイドを放出するメカニズムや、免疫細胞がサイトカインを分泌するメカニズムを正確に知ることが、困難な状况にある子どもたちをどう手助けすればいいか教えてくれるわけではないと言うのです。もしかしたら、神経系の乱れに直接働きかける神経化学的な治療法がいつかは見つかるのかもしれません。注射や薬のような方法で、子ども時代の逆境の影響を魔法のように打ち消すことができるようになるのかもしれません。しかし、いまのところ、逆境の影響を正す、もしくは埋めあわせるための道具は、ひどく扱いにくいものが一つあるだけだと彼は言います。それは、子どもたちが日々暮らしている環境であると言うのです。

「環境」という言葉を聞くと、たいてい最初に思い浮かべるのは子どものまわりの物理的な環境です。確かに物理的な環境も、とくに文字どおり有毒な場合には、たとえば飲み水に鉛が入っていたり、吸いこむ空気に一酸化炭素が含まれていたり、子どもたちの発達に一定の影響を及ぼします。しかし、最新の重要な発見によれば、いちばんの問題となる環境要因は、居住する建物ではなく、子どもたちが経験する人間関係だとタフ氏は断言します。つまり、周りの大人が、とくに子どもたちがストレスを受けているときにどう対応するかだと言うのです。

子どもが感情面、精神面、認知面で発達するための最初にしてきわめて重要な環境は、家だと言います。もっとはっきりいえば、家族です。ごく幼いころから、子どもは親の反応によって世界を理解しようとします。ハーバード大学の児童発達研究センターの研究者たちは、この相互関係に「サーブとリターン」という名前をつけました。幼児が音をたてる、あるいは何かを見る、これが「サーブ」ですが、親は子どもの関心を共有し、片言のおしゃべりや泣き声に対し、しぐさや表情や言葉で反応することでサーブを打ち返します。これが「リターン」です。「そうね、わんわんねー」「扇風機が見えたの?」「あらあら、悲しいの?」こうした親と乳児とのあいだのあたりまえのやりとりは、親にしてみれば無意味なくり返しに感じられるかもしれませんが、乳幼児にとっては世界のありようを知るための貴重な情報をたつぶり含むものなのです。これはほかのどんな経験よりも発達の引き金となり、脳内における感情、認識、言葉、記憶を制御する領域同士の結合を強固なものにするのです。

子どものごく幼い時期に親が果たす第二の決定的な役割は、子どもたちが受ける圧力、それは、よいものも悪いものも含めて外部調整装置となることだとタフ氏は言います。研究によれば、とくに子どもが動揺しているときに、親が厳しい反応を示したり予測のつかない行動を取ったりすると、のちのち子どもは強い感情をうまく処理することや、緊張度の高い状況に効果的に対応することができなくなると言われているのです。反対に、子どもが瞬間的なストレスに対処するのを助け、怯えたり癇癪を起こしたりしたあとにおちつきを取り戻すのを手伝うことのできる親は、その後の子どものストレス対処能力に大いにプラスの影響を与えると言われています。当然ながら、乳幼児期には泣きわめいたり感情を爆発させたりすることも多いものですが、親にしたらその瞬間には信じられないことかもしれませんが、子どもはそのつど何かを学ぶのです。

逆境

逆境は、とくに幼い時期ほど、体内の複雑なストレス反応のネットワークである、脳と免疫システムと内分泌システムを結ぶネットワークの発達に強い影響を及ぼすということがわかっています。とくにこの時期にネットワークが環境からの信号に非常に敏感に反応するのは、これから先の長い人生において何に備えるべきか、体に知らせる信号をつねに探しているからだと言われています。この先の人生が困難であることが信号によって示されれば、ネットワークはトラブルに備えるための反応をすることができるのです。血圧をあげ、アドレナリンの分泌を増やして警戒を高めるのです。

短期的に見れば、とくに危険な環境では利点もあるとも言われています。「闘争・逃走反応」とも呼ばれる脅威検知システムが作動し、つねにトラブルに備えている状態なので、すぐに反応できるのです。このように、危険な環境への適応の発達には確固たる理由があるのです。しかしこの適応が長期にわたってつづくと、数々の生理的な問題の引き金ともなるようです。免疫系がうまく働かなくなり、体重増加の一因となる代謝の変化が起こって、のちに喘息から心臓病までさまざまな病気を引き起こすと言われています。さらに厄介なことに、ストレスは脳の発達にも影響を及ばす可能性があるのです。とりわけ幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能をつかさどる最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御能力が育つのを妨げてしまうのです。

感情面で見ると、幼い時期に慢性的なストレスを受けた子どもは、いまでは大勢の研究者がこれを有害ストレスと呼ぶそうですが、失望や怒りへの反応を抑えることに困難を覚えるようになると言っています。小さな挫折が圧倒的な敗北のように感じられ、ほんのすこし軽く扱われたように感じただけでも深刻な対立関係に陥るのです。学校生活では、つねに脅威を警戒しつづける極度に敏感なストレス反応システムは、自減的な行動パターンを引き起こします。けんか、口ごたえ、教室内でのわがままなふるまい。もうすこし目立たないものとしては、クラスメートの繋がりを常に警戒し、教師や大人から差し伸べられた手を拒むようになると言います。

認知面で見ると、不安定な環境で育ち、そうした環境が生む慢性的な強いストレスにさらされた場合、前頭前皮質が制御する、実行機能と呼ばれる一連の能力の発達が阻害されると言われています。実行機能は、脳の働きを監督する航空管制官のチームに喩えられることのある高次の知的能力である作業記憶、自己調整、認識の柔軟性などを含むもので、これが発達のための神経系の基盤になり、粘り強さやレジリエンスといった非認知能力の支えとなると言います。不慣れな状況を切り抜けたり、新しい情報を処理したりする際に非常に役立つ、まさに日々の学校生活で求められる能力でなのです。この実行機能がきちんと発達していないと、複雑な指示に集中できず、学校生活にいつも不満を抱くようになってしまうと言われています。

幼い時期の逆境と発達に関する最新の研究の多くが、根本的な矛盾を抱えているとタフ氏は指摘しています。貧困にともなう問題が分子レベルで理解されるのはよいことかもしれませんが、それは解決には直結しないと言うのです。

環境に働きかける

タフ氏は、子どもたちの非認知能力を伸ばそうとする際、ふつうにものを教えるときの方法論を使うのはまちがっているのかもしれないとわかると、いくつか新しい疑問が湧いてきたそうです。非認知能力が認知能力とまったく種類の異なものであるなら、どうしたらいいのだろうかという疑問です。そもそも訓練や練習の結果として身につくものではないとしたらどうしたらいいのでしょうか?非認知能力を伸ばすプロセスが、読み書き計算を習得するときのプロセスとは似ても似つかないものだったらどうしたらいいのでしょうか?

タフ氏の至った結論はこうです。「非認知能力は教えることのできるスキルである」と考えるよりも、「非認知能力は子どもをとりまく環境の産物である」と考えたほうがより正確であり、有益でもあるということです。

ここで、私はあることが結びつきます。非認知能力は乳幼児期に育つものであり、乳幼児教育は環境を通して行うものであるということは、当然、非認知能力は環境を通して身に付くものであるということになるのです。もちろん、そんなに簡単な話ではありませんし、簡単な図式ではないでしょうが、それは真理かもしれないということです。

タフ氏も、こう言っています。これが子どもの乳幼児期に当てはまることには、有力な科学的根拠であるエピデンスがあると言うのです。逆境が子どもの乳幼児期の発達に与える影響については、近年非常に多くのことが知られるようになった。そして、中学生や高校生でも、非認知能力は、おもに彼らの属する学校を中心とした環境の産物なのだ。これは、子どもの非認知能力を伸ばす方法を探す人々にとって大きなニュ1スだ。もっといえば、所得格差を要因とする成績の格差を縮め、逆境にある子どもたちにより幅広いチャンスを提供しようと模索する人々にとって非常に重大なニュースだ。子どもたちのやり抜く力やレジリエンスや自制心を高めたいと思うなら、最初に働きかけるべき場所は、子ども自身ではない。環境なのである。

そこで、タフ氏は非認知能力を伸ばすには環境に働きかけるべきだと考えると、さらに新しい、差し迫った疑間が生じると言います。それは、不利な条件下にある子どもたちの日々の生活のなかで、成功に必要な能力を伸ばすことを著しく阻害しているものはいったいなんなのであろうか、という疑問です。一つは健康に関わる間題だと言います。概して貧しい子どもたちは、裕福な子どもたちに比べて栄養価の高い食事がとれておらず、受けられる医療の質も低いのです。もう一つは、幼いころの知的刺激だと言います。裕福な親はたいてい、子どもたちが幼いころから本や教育玩具をたっぷり与えます。一方で、低所得層の親が、よい図書館や博物館などの文化施設のある地域に住んでいることは稀で、変化に富んだ豊富な語彙で幼い子に話しかけるようなこともあまりありません。

こうした要因はすべて大きな問題だとタフ氏は考えています。しかし、神経科学者や心理学者、その他の研究者たちは、逆境のなかで育つ子どもたちの問題についてべつの原因に焦点を合わせはじめており、私たちも不利な状況、有利な状況についての考え方を修正する必要があると提案します。研究者らの結論によれば、環境による影響のなかで子どもの発達を最も左右するのは、ストレスであると考えています。いくつかの環境要因によって、長期にわたり不健全な圧迫を受けつづけることがあります。こうしたストレス要因が子どもの心と体の健全な発達を阻害する度合いは、従来の一般的な認識よりもはるかに大きいと考えられているのです。

どのような方法?

エリザベス・スピーゲルが教えるところを観察していたとき、彼女が「グリット」や「気質」や「自制心」といった言葉を使うのを耳にしたことはいちどもなかったそうです。スピーゲルは生徒にチェスの話しかしませんでした。激励したり、モチベーションを高めるようなスピーチをしたりすることもほとんどありませんでした。ではどういった方法で教えたのかといえば、生徒たちの試合を彼らと一緒に熱心に分析し、彼らがおかしたミスについて詳細まで率直に話して、どうしたらよかったかを理解させるのだったそうです。生徒たちのプレーを注意深く、細かいところまで見つめることで、彼らのチェスの能力だけでなく、生活全般への取り組み方まで変えたのでした。

タフ氏は、他にもラニータ・リードの例を紹介しています。リードは、彼が会ったなかで最も上手に気質を育てることのできる教育者のひとりだったそうですが、気質の話などほとんどしませんでしたし、そもそも教師ですらありませんでした。彼女はシカゴのサウスサイドでギフティド・ハンズという名のサロンを経営する美容師で、VAPという青少年支援プログラムのためにパートタイマーでメンターとして働いています。VAPは、シカゴの学校教育部門から委託されて、銃撃事件を起こす、または事件の被害者となる危険が最も高いとされる生徒たちに、集中的な支援活動をおこなっています。タフ氏が出会ったとき、リードはキーサ・ジョーンズという名の17歳の少女を担当していました。キーサは困難と苦痛に満ちた子ども時代を送り、殴り合いのけんかをすることで不満や怒りを表明していたのです。毎朝のように、高校でその日最初に会った相手をつかまえては、おかしな眼でこっちを見るなと突っかかっていました。

数カ月のあいだ、リードは多くの時間を割いてキーサと話をしました。サロンで、ファストフード店で、ボウリング場で。キーサの抱えるトラブルについて聞き、姉のようにアドバイスを与えました。リードはすばらしいメンターでした。共感し、親身にはなりますが、お人よしなわけではありません。虐待されてきたキーサに同情を寄せ、親密な関係を築きながら、同時に、人生を変えるには多大な努力が必要だとわからせたのです。リードの支援のおかげで、キーサはまさに気質を重視する教育者が望むとおりの変容をとげました。より粘り強く、打たれ強くなり、楽観的になり、自制できるようになったのです。長期的な幸福を得るために、短期的な楽しみを控えることも進んでするようになっていったのです。しかしキーサも、非認知スキルや性格の強みについてはっきりした説明を受けたわけではなかったのです。

タフ氏は、前作を書いているあいだずっとこの現象を観察していたそうですが、子どもたちの非認知能力を伸ばそうとする際、ふつうにものを教えるときの方法論を使うのはまちがっているのかもしれない、と思いはじめたのは本が出版されたあとだったそうです。数学を教えるのとおなじ方法で気質を教えることはできないとかんがえたのです。二次方程式について話さずに二次方程式を教えることができないのは自明の理ですが、タフ氏が挙げた事例を読んでみると、自制心の利点についてひとことも話さなくても生徒の自制心を育てられることがはっきりわかるはずだと言うのです。また、数学や歴史を教えるときにうまくいく指導法が、性格の強みを伸ばそうとするときには役に立たないことも明らかだと言います。好奇心のワークシートを埋めることで好奇心を身につける子どもはいません。粘り強さについての講義を聞くことが、何かをやり通そうとするときにおおいに役立つわけでもないのです。

分断しない

貧しい子どもたちの問題に取り組む方法を探そうとするとき、誰もが直面する難題は、アメリカ国内では、子ども時代が年代に応じて、小分けにされてしまうことにあるとタフ氏は、指摘します。こうした区分があるのも理解はできますが、子ども時代のすべてを一つの政府機関、あるいは一つの財団が、ましてや一人の教師やメンターやソーシャルワーカーが一手に引き受けるのは無理ではないかと言うのです。それは、仕事があまりにも多岐にわたるからだと言います。しかしこのように分断することのいちばんの間題は、子ども時代のあらゆる段階を通じて持続するテーマやパターンが見えなくなってしまうことだと言うのです。

そこで彼は、本の中ではべつの戦略を採ることにしています。子どもたち、とりわけ逆境のなかで育つ子どもたちの発達を、ひとつの連続体として、生まれてから高校卒業までを分断しない一つの物語として考えていっているのです。この見方は、重要な気がします。

やり抜く力、好奇心、自制心、楽観的なものの見方、誠実さといった気質は、「非認知スキル」と表現されることが多いので、生徒たちのこうした気質を熱心に伸ばそうとする教師は、すでに教え方のわかっている他のスキルである、読み書き計算や、分析の能力などとおなじように扱おうとします。そして非認知スキルの価値が広く知られるようになるにつれ、カリキュラムや教科書や指導法にこれらのスキルを伸ばすためのガイドが求められるようになったといいます。日本でも同様に、今非認知能力を身に付けるためのいろいろな本が出版されています。タフ氏は、三平方の定理を教えるのに最も効果的な方法があるというなら、グリットを教えるにも最良の方法があっていいのではないか?と言うのです。

しかしながら、実践はそう簡単ではありません。性格の強みを伸ばすための総合的なアプローチを開発した学校もあるし、アメリカじゅうの教室で、教師たちはいままで以上にグリットや粘り強さといった気質について生徒に話をしているそうです。けれども『成功する子失敗する子』を書いたときに、彼は奇妙な矛盾に気がついたそうです。生徒から非認知能力をうまく引きだすことのできる教育者たちは、こうした「スキル」の話を教室で口にすることはないのです。

たとえばエリザベス・スピーゲルを例に挙げています。彼女については、『成功する子失敗する子』で紹介している、チェスのコーチです。私もブログで紹介しています。彼女がチェスを教えているのは第318インターミディエート・スクールという、プルックリンにあるごくふつうの公立高校で、生徒の多くは有色人種で低所得層の子どもです。彼が紹介した事例は、スピーゲルがこの学校のチェス・クラブを、もっと財力のある私立学校のチーム相手に常勝し、全国選手権でも勝ちあがれる強豪チームへと変貌させたことです。スピーゲルの仕事を見れば、彼女がチェスの知識以上のものを教えていることは一目暸然でした。チームへの帰属意識、目標を高く持つこと、自信を持つことを教えていたのです。そして生徒たちが身につけたスキルのなかには、ほかの教師たちが「性格の強み」と呼ぶものが多くあったのです。生徒たちは大きな障害をいくつも乗りこえ、粘り強く難題に取り組みました。試合での失敗や負け、ストレスにも対処できるだけの弾力性を備えてもいたのです。この力がレジリエンスです。到達不可能なほど遠く感じられるゴールに向かって、長期にわたり一心に進むことができたのです。

説明のしかた

ジャーナリストはある特定の教育プログラムを説明するときには、それは、たとえばある学校だったり、1つの学習指導法だったり、課外学習だったり、地域活動だったりするわけですが、明示的にせよ暗示的にせよ、そのプログラムをほかの人々が真似できるモデルに仕立てようとします。貧しい人々の暮らしを改善すべく活動している慈善家や財団も似たようなことをするそうです。みな、うまくいっているプログラムを探し、それを真似して、できるかぎり広めようとするのだと言うのです。こうした模倣戦酳の裏には確固とした理由があるそうです。模倣は技術を進歩させる戦略の基本です。新しい方法をいくつも試して、最も成功をおさめた一例を見きわめ、その方法を広く用いようとします。成功例に焦点を合わせるのは、言葉を扱うジャーナリストにとっても魅力的なアプローチだといいます。なぜなら、読者は無味乾燥な調査や統計の数字を地道に検討するよりも、価値あるゴールに向かって個人が突き進むような、心に響く物語を読む方を好むからだというのです。

しかし、この種のジャーナリズムには限界がありますし、慈善事業も同様だと言います。模倣して広める手法は、社会福祉や教育の分野では、技術分野とおなじようにうまくいくわけではないというのです。社会科学の研究資料を調べてみると、質の高い小規模のプログラムであふれていますが、真似をしたり規模を大きくしたりすれば効果が極端に下がってしまいそうなものばかりだとタフ氏は指摘します。また、個々の事例に焦点を合わせるのも、物語を伝えることに満足感はあるかもしれませんが、読者の眼を重要な間いから逸らしてしまうことにもなりかねないと言います。その問いとは、「この学校、もしくは幼稚園、あるいは指導プログラムがうまくいっているとすれば、それはなぜなのか?どういう原理と実践のもとで成功しているのか?」というものだというのです。

そこで、彼は、この本の中ではさまざまな事例を、模像すべき見本としてでなくなく、根底にあるアイデアや戦略の具体例として検討していっています。どのプログラムもどの学校も完璧ではありませんが、例にはそれぞれ、どのようにして成功したのか、なぜ成功したのかという部分にヒントが含まれており、それは役立つ情報となるはずだと彼は言うのです。成功例それぞれの核となる原理を抽出して解説し、共通点を見つけることが彼の目的だというのです。

貧しい子どもたちの問題に取り組む方法を探そうとするとき、誰もが直面する難題はもう一つあると彼は言います。アメリカ国内では、子ども時代が年代に応じて、服のサイズや図書館の本棚のように、小分けにされてしまうのだと言います。乳幼児はこちら、これは研究者にも、支援グループにも、慈善事業にも、役所にも当てはまると言います。社会政策を例に取ってみると、アメリカ全体では、いちばん幼い時期の子どもたちの教育は保健福祉省の管轄であり、児童家庭局を通して「ヘッドスタート」などの育児支援プログラムを運営しているのもここだそうです。しかし、幼稚園に入ったとたんに、子どもの教育に関する責任の所在は魔法のようにすばやく教育省へ移動し、こんどはこちらが小・中学校の教育までを監督します。同様のお役所仕事的な区分が州レベル、郡レベルでも存在し、ごく少数の例外を除いて、幼児期の育児支援をする部署と学校システムの管理をする部署が共同で何かに取り組むことはないし、連絡すらほとんど取らない状況だと指摘しています。

何ができるのか?

神経生物学の調査は、長期にわたる心理学分野の研究として、自制心や誠実さを含む非認知能力のある子どもたちが、大人になってからもさまざまな改善が見られることを示す研究によって補完されているそうです。この手の研究で最も徹底しているのは、1970年代のはじめにニュージーランドのダニーデンで生まれた1000人の子どもたちを何十年にもわたり追跡したもので、非認知能力の高い子どものほうが学歴が高く、健康状態もいいと結果が出ているそうです。また、シングルペアレントになる可能性は低く、借金を抱えたり刑務所に入ったりする可能性も低いそうです。

2012年の秋に「成功する子失敗する子」の原書が刊行されて以来、これらの気質が子どもの発達において重要でありながら見過ごされてきたとする見方が、とくに教育の分野で広がりつづけているとタフ氏は嘆いています。しかし、ここ何年か非認知的な要素について多くの議論がなされてきたにもかかわらず、それを伸ばす最善の方法については結論が出ていないといいます。このことは日本においても言えますね。改訂された保育所保育指針では、非認知能力が大切だと言いながら、その力をどのように育てるのかがはっきりしないだけでなく、非認知能力そのものの力もどのようなものであるのかもはっきりとは示されていません。ですから、研修でいくらその力が大切だと聞かされていても、実際の保育は以前と変わらずに行われている状況です。それは、アメリカでもいえるようです。ですから、当然のことながら、多くの教育者が不満を募らせているのも頷けます。タフ氏は、本の刊行後、教員や、子どもの発達にかかわる専門家のまえで話をする機会がときどきあるそうで、逆境に関する生物学的な最新調査や、本を書くうちに出会ってきた医師やメンター、教師、子どもたちのことを紹介してきたそうです。こうした講演のあとには、きまっておなじ質間をされたそうです。「話はわかりました。それで、結局どうすればいいのですか?」低所得層の子どもたちに対する教育を成功させるには、非認知スキルが重要な要素であるというアイデアは、タフ氏が話をした大勢の教員の実体験とも一致するものだったそうです。しかし彼らは、タフ氏の本のなかにも、ほかのどこにも、幼時期から思春期までの子どもたちがこうしたスキルを発達させるための最も効果的な方法が具体的には書かれていないと指摘したそうです。

そこで、2014年の夏に、タフ氏は新しい取り組みをはじめることにしたそうです。「成功する子失敗する子」のなかで書いた調査や研究について再検討し、新しい科学的発見や、新しいモデル・スクール、教室の外でも子どもたちを支援する新しいアプローチなどに、調査の範囲を広げることにしたそうです。彼はそれをまとめることにしたそうです。それが、「私たちは子どもに何ができるのか」です。現場と政策立案者の双方に実践的なガイドを提供することを目的としていると彼は言います。「それで、結局どうすればいいのですか?」という質問に答えようとするひとつの試みだというのです。

まず、彼は、この本のアプローチについて簡単に説明しています。まず、彼を含め、社会間題を扱うジャーナリストがよく用いるテクニックについて書いています。

成績格差

富裕層の子どもと貧困層の子どもの成績格差をどうやって埋めるのか、そもそもこうしたギャップは埋まるものなのかという議論をしているのは、なにも政治家や慈善家だけではないのです。国じゅうの教師が逆境にある子どもたちの苦闘を日々まのあたりにしているし、ソーシャルワーカーやメンター、小児科医など子どもの支援に携わる人々、それに親たちも同様であるというのです。貧困や虐待などの逆境のなかで育った子どもに対していくら支援の手を差し伸べても、その子どもの不安を和らげたり、やる気を起こさせたり、気持ちを通わせたりすることはむずかしいといいます。ごく一部の生徒との関係では、こうした障壁を乗りこえることのできた教師は大勢います。しかしタフ氏はここ何年かのあいだに、生徒相手の仕事によるストレスで燃え尽き、自暴自棄になりかけた教師も何百人も見てきたというのです。

彼は、こうした教育上の格差を乗りこえようとすれば、多くの障害、それは経済的、政治的、お役所仕事的な障害に直面することになるというのです。私たちは、子どもの逆境の背後にあるメカニズムをまだ完全には理解できていないと言います。貧困家庭に育つことの何が問題なのか?何が多くの厄介な結果を生んでいるのでしょうか?いい換えれば、豊かさのなかで育った子どもにあって、貧しさのなかで育った子どもにないものはなんなのでしょうか?

これはタフ氏が10年以上にわたって答えを出そうとしている問だと言います。彼の最初の著書『どんな犠牲を払おうと』では、劣悪な「環境」に置かれた子どもたちを支援するニューヨークのNPOであるハーレム・チルドレンズ・ゾーンの創設者、ジェフリー・カナダの活動に焦点を合わせ、居住地域が子どもたちの将来にどんな影響を与えるか、貧困の過酷な地域に暮らした経験がいかに子どもたちの可能性を制限するかを検討したのです。私がブログで紹介した、彼の2番めの著書『成功する子失敗する子』(英治出版)では、恵まれない子どもたちが抱える課題をベつの「レンズ」、つまり、彼らが子ども時代に身につけた、あるいは身につけなかったスキルと能力を通して再検討しました。

『成功する子失敗する子』でとくに焦点を合わせたのは、「非認知スキル」あるいは「ソフトスキル」と呼ばれることの多い一群の要素、粘り強さ、誠実さ、自制心、楽観主義などが、貧しい子どもたちが困難を乗り越えて成功するために、どのような役割を果たしているか、ということでした。「性格の強み」とも呼ばれるこうした気質は、近年、子どもの発達を研究する人々のあいだで注目され、前向きな取り組みを促進してきています。低所得層の子どもたちの成果を改善するためには、こうした気質が決定的に重要になると、いまやタフ氏自身を含め、多くの人々が信じていると言われています。

この確信を支える科学的根拠であるエピデンスは、神経科学や小児科学の分野にも見られるようです。過酷な、あるいは不安定な環境が、成長過程にある幼少期の子どもたちの脳や体に生物学的な変化をもたらすことが、最新の調査で示されているそうです。そうした変化は、思考や感情を制御する能力の発達を損なうと言われています。これが損なわれると、情報を処理したり感情を制御したりすることが困難になり、学校生活をうまくこなすことがむずかしくなるというのです。

低所得層の子どもの指導

ポール・タフ氏は、彼の著書「私たちは子どもに何ができるのか」という中で、こんな最近の問題点を紹介することから始まっています。それは、2013年、アメリカ合衆国における教育の状况は重大な段階に達したと報じられたというのです。それは、史上初めて、公立学校に通う生徒の中で「低所得層」に相当する割合が過半数、正確には51バーセントに達したというのです。アメリカでは、「低所得」とは、学校から昼食を支給されるか、昼食代の補助を受ける資格があることを意味するそうです。これは何も、ひと晩で起こった変化ではないのです。南部教育基金が収集したデータによれば、公立学校において低所得層であるとされる生徒の割合は、1989年に基金が調査をはじめて以来、着々と増えつづけているそうです。ちなみに、当時は、低所得層の定義に合致する生徒の数は全体の三分の一より少なかったそうです。これが半数を超えるというのは一つの象徴に過ぎないかもしれませんが、重要な意味を持っているというのです。つまり、低所得層の子どもの指導という難題が、もはやアメリカの教育において副次的な問題ではないということであるというのです。貧しい子どもたちの成功を助けることは、いまや公立学校の主要な使命であり、国民全員の責任でもあると考えているのです。この子どもたちの貧困、格差は、特に日本では実感がない人が多いのですが、実は日本でも重大な問題になりつつあるのです。その対策に取り組んでいかなければ、様々な犯罪を含め、社会が荒れる状況になりかねません。

そのような状況にありながら、タフ氏は、私たちは、この責任を果たせずにいるというのです。アメリカ合衆国教育省の統計によれば、8年生(訳注/日本の中学二年生に相当)の読解と数学のテストの得点における低所得層の生徒と裕福な生徒の差は、ここ20年以上まったく縮んでいないのです。一方、高校三年時の大学進学適性検査における格差はここ30年以上広がりつづけており、1980年代には800点満点で90点の差だったが、こんにちでは125点のひらきがあるそうです。また、大学進学率においても、富裕層と低所得層の生徒のあいだの格差は急激に大きくなっているようです。そして昨今では、大学を卒業できなければ、貧しい家庭の子どもが貧困から抜けだすのはかなりむずかしいと言われています。所得区分の下位20パーセント、つまり世帯収入が年間2万1500ドルより少ない家庭で育った若者で、学士号を取得していない場合、最も収入の低い層から抜けだせるのは2人に1人だそうです。

ここ20年、富裕層の子どもと貧困層の子どもの成績格差を縮めることは、国の教育政策の中心的な関心事でした。ブッシュ政権下では「落ちこばれゼロ」法が、オバマ政権下では「トップへの競争」政策が施行されました。にもかかわらず、格差は広がりつづけているというのです。こうした行政の努力は、非営利団体によって支えられ、補完されてきたと言います。その団体も、たいていは教育の不平等に対して声をあげつづけている、潤沢な資金を持った慈善家が後ろ盾の団体なのです。もちろんこれまでにも、個別に見れば成功例もないわけではなかったそうです。低所得層の一部の生徒が特別な教育を受けられる学校やプログラムもあったそうです。しかし、低所得層の子どもたち全体の成績が改善したわけではなかったのです。