母親のもとで

ドイツでの政策評価によると、育休制度を拡大するごとに実際に取得される育休期間も延びて、母親が家庭で子どもを育てる期間が増えたようです。これはドイツ政府からすれば狙いどおりでした。もともと政策の目的が、子どもとお母さんが一緒に過ごす時間を増やすことだったのです。しかし、山口氏は、そもそもなぜ母親が自ら子どもを育てることが、子どもの発達にとって良いことだと考えられているのかどうかを考察しています。

その根拠の一つは、「母乳育児」にあると言います。働いている母親が母乳育児を行うことは非常に大変ですが、育休中ならば母乳育児がやりやすくなります。母乳育児には子どもの健康にとって一定のメリットがありますから、育休制度の充実は子どもの発達にとって有益になりえると言います。

もう一つの根拠は「愛着理論」と呼ばれているものです。心理学者によると、生まれてから最初の1年における母子関係は、子どもの認知能力や社会性を育む上で重要な役割を果たしているという考え方です。一方で、子どもが大きくなると、家族以外の子どもや大人と関わりを持つことが発達に有益であると考えられています。

いずれの根拠も筋が通っているように見えますが、実際のところはどうなのでしょうか。そんな疑問に対して、ドイツをはじめとして、いくつかの国々での政策評価では、育休制度の充実が子どもの発達に与える影響を検証しているのです。

その時の政策評価の方法は、育休改革前に生まれた子どもと、育休改革後に生まれた子どもを比較するというやり方です。ドイツでは、育休改革後に生まれた子どもたちは、改革前に生まれた子どもたちよりも、生後、母親と一緒に過ごした時期が長いことがわかっています。

これが子どもたちにどのような影響を与えたかが評価のポイントです。

ドイツでは子どもへの長期的な影響に関心があったため、高校・大学への進学状況や、28歳時点でのフルタイム就業の有無と所得を調べました。その結果、生後、母親と一緒に過ごした期間の長さは、子どもの将来の進学状況・労働所得などにはほぼ影響を与えていないことがわかったそうです。

同様の結果は、オーストリア、カナダ、スウェーデン、デンマークにおける政策評価でも報告されているそうです。先に述べた「愛着理論」のように、子どもが幼い間、特に生後1年以内は母子が一緒に過ごすことが子どもの発達に重要であると考えられてきましたが、データは必ずしもこうした議論の正しさを裏づけてくれなかったようです。

では、子どもにとって、育つ環境などどうでもいいということなのでしょうか。

山口氏は、もちろん、そんなことはないと言います。各国の政策評価を詳しく検討してみた結果わかったのは、子どもにとって育つ環境はとても重要であるけれど、育児をするのは必ずしも母親である必要はないということです。きちんと育児のための訓練を受けた保育士さんであれば、子どもを健やかに育てることができるということがわかっています。それは、当然でしょう。子どもにとっていい母親であれば、母親のもとで育てられることはいいことですが、もし、あまりいい親でない場合は、いい母親以外の養育者に育てられた方がいいに決まっています。また、変な養育者に差おだてられるのであれば、母親のもとで育てられた方がいいでしょう。その辺が、データの読み取りの難しさですね。