心理学の観点からの10の姿

道徳性の発達には、道徳的感情がかかわるという見方もあります。この道徳的感情は、生後18ヶ月頃に生じはじめる自己意識がかかわる感情と深く関係すると言われています。今福氏は、道徳的感情を以下のように整理しています。「道徳的感情には、恥、罪悪感、感謝などがあります。たとえば、罪悪感は規範から逸脱した場合に経験され、この感情によって社会の規範から外れた逸脱行為を行わなくなったり、他人の逸脱行為を抑止することができます。」

さらに、道徳性にかかわるもう一つの要因として、共感があると言います。一口に共感といっても、共感には、他者が感じたことを感じるという情動的共感と、他者の立場に立って心的状態を推測する認知的共感に二つに分けられます。小・中学生を対象に、攻撃行動という道徳性から逸脱した行為の抑制に共感が関連するかどうかを調べたそうです。その結果、小・中学生ともに、他者と感情を共有する傾向が強い人ほど、向社会行動をより多くすることがわかったそうです。攻撃行動の少なさにおいては、小学生では情動的共感にかかわる感情を共有する傾向の強さが、中学生では認知的共感にかかわる視点取得の能力の高さがそれぞれ関連したそうです。この結果は面白いものですが、これは、小学生と中学生で攻撃行動と関連する共感の側面が異なることを示唆していると言われています。

また、道徳性の萌芽については、6ヶ月児が「正義感」をもつ可能性が実証されています。私たちは発達の過程で周囲の人から影響を受けます。たとえば、バンデューラは、暴力的にふるまう大人を見ると、その暴力的な言動を子どもが模倣することを示しています。この研究から、生後早期にみられる道徳性の萌芽が、経験を通じてどのように変容するのかについて、その過程を解明することが今後の課題だと今福氏は言うのです。そして、その過程の解明によって、「道徳性・規範意識の芽生え」をどのように育むのか、具体的な教育方法を考えるときがきています。今、小学校で行われている単に「道徳」を教科化し、授業で教えるということだけからでは、「道徳性・規範意識の芽生え」は育めないのです。

今福氏は、これまで、対人関係にかかわる「10の姿」について、その背後にある能力を心理学の観点から述べてきました。彼は、「協同性」「言葉による伝え合い」「道徳性・規範意識の芽生え」は、社会的認知の発達や変容の過程からとらえることができると考えているようです。これはあくまで現時点では彼の試論であると言いながらも、このような考え方を示しています。共同注意や心の理論は「協同性」の育ちにかかわり、周囲の大人が乳児の発声に対して即座に声かけをしたり、心的状態語を用いることは「言葉による伝え合い」の育ちにかかわり、道徳的感情や共感は「道徳性・規範意識の芽生え」の育ちにかかわると考えられるのではないかというのです。私も同じようなことを考えてます。ですから、卒園するまでに育みたい姿は、決して、年長児の目標ではなく、また、指導する内容でもなく、0歳からの育ちの「人」「物」「場」という環境の中で、育まれていくものだと思っているのです。

このように実証研究にもとづくさまざまな知見が積みあげられつつある今、乳幼児教育では、データから得られた科学的根処であるエビデンスをもとに教育プログラムを体系化、具体化していく必要があると今福氏は考えていると言いますそして、。発達科学や発達心理学の分野で実証された知見を「10の姿」と照合することで、乳幼児教育を考する契機になればと思っているというのです。

心理学の観点からの10の姿” への6件のコメント

  1. 共感は「道徳性・規範意識の芽生え」にも繋がるということで、学校教育の「道徳」教科化においての「教え込む道徳」であってはならないことを感じます。まずは、生徒の一人一人に教師が「共感」し、情報を共有する時間として道徳の時間があれば良いといことでしょうか。世の中の「良い」「悪い」はあくまで一方的な判断に過ぎず、この多様な社会においては逆に危険な見方を植え付けてしまう場合があるかもしれません。判断基準を教えられるよりも、自分が何に感情が動き、他者はどのように感じ、それに自分はどのような行動に移す考えが自分にとって良いのかなど、生きる力のように「自立」と「自律」を育む場としても、今後の「道徳」授業では有効活用できそうですね。

  2. 道徳が教科化されたとしてそれが育まれないだろうと懸念されるのは、道徳は認知的に暗記するような類のものでなく、元々待ち合わせているものを生活の中で磨いていくものだからなのでしょう。だからこそ、小学校で道徳を教えることが難しいと論じられるのは、今の教育形態では、そういう教育方法をとることしかできない、現小学校教育の限界を、ある意味では暗示しているのかもわかりません。もちろん乳幼児期に育まれたものは活きると思いながら、その後でも育つはずのものが小学校に入った途端その機会やチャンスを失ってしまうというのは、子どもたちにとっても、ひいては日本にとってもとても不利益なことのように思えます。保育維新、新しい保育の波があるように、教育にもその波が訪れるのは、案外そう遠い未来ではないのかもわかりません。

  3. 確かに、「10の姿」を0歳児の発達から捉え直すという試みは重要ですね。「共同注意や心の理論は「協同性」の育ちにかかわり、周囲の大人が乳児の発声に対して即座に声かけをしたり、心的状態語を用いることは「言葉による伝え合い」の育ちにかかわり、道徳的感情や共感は「道徳性・規範意識の芽生え」の育ちにかかわる」と私も思います。赤ちゃんが声を出したらすぐに反応して声掛けをする相互作用の体験は赤ちゃんが他者認識をしていくうえで必要なことでしょう。心的状態語の使用や道徳的感情や共感の意識化は、平和で民主的な社会の形成過程においてマストでしょう。その意味で、0歳や1歳児では母子関係あるいは疑似母子関係が良いとされる今の風潮には疑問を呈せざるを得ません。乳児を丁寧に、は言われなくても当たり前のことで、むしろ乳児から他者との関わりを、をもっと強調したいものです。

  4. 小学校で教科化している「道徳」が決して教えてもらうものではないことを感じました。それは、書かれてある通り〝0歳からの育ちの「人」「物」「場」という環境の中で、育まれていくものだ〟と思います。
    それが今の世の中では困難になっている。だから、学校で教え込もうとする。ですが、上手くいかない。というのはもともと人間が持ち合わせているもので、引き出してあげるべきものであるということではないかと思います。同時に今の学校の教育方法では困難なものではないかと推察します。また、そのような道徳教育が困難な時代において乳幼児施設ではどんなことができるのか、ということも考えていかなければならないのではないかと思いました。

  5. 最近のニュースを見ていても、自分の思うがままの行動をとる事件が多いように思います。だからこそ、小学校でも「道徳」が教科化されることにもなってきたのでしょうが、授業で教えるということだけでは「道徳性・規範意識の芽生え」は育めないのですね。実際、自園を見ていても、「道徳性や規範意識」というものは人との関りを中心にしていかないとなかなか育めないのではないかと思います。大人との関わり、子ども同士の関わり、こういった経験が後々の社会性につながっていくのだと子どもたちを見ていても思います。そして、それは児童期からではなく、乳幼児期からすでに始まっていますし、じっくりとその育ちを見守っていかなければいけないのでしょう。10の姿も「年長児の目標でもなければ、指導する内容でもない」0歳からの環境や経験が育ちの裏にあるということをよく考えなければいけないですね。「子どもを動かすことが保育」という言葉を過去研修で言われたことを思い出します。やはり経験に勝ることはないのでしょう。

  6. 他社の気持ちを理解するということを乳幼児の頃から意識させられるすべがあるのでしょうか。子供というのは幼ければ幼いほど利己の塊のようなものですから利他に打ち勝つことなどなかなか想像に難しいものがありますが、それも模倣するようになるのでしょうか。最近二歳のクラスでは、おもちゃを譲ってあげるという場面をよく目にしますが、それは友達のためではなく、ほとんどの場合ほめられたい自分のためで、どうすれば心から友達のためを思っておもちゃを貸してあげられるようになるのか悩んでいます。

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