保育と経済学

幼児教育は子どもの発達に好影響、といっても、幼児教育の「効果」とはそもそも何なのでしょうか。科学的研究で測られる「効果」とは、ある幼児教育プログラムに参加した場合と、参加しなかった場合とで比較した、知能指数や社会情緒的能力の差として定義されると山口氏は説明しています。

たとえば、「保育園通いが子どもの知能指数に与える効果」を知りたいのであれば、「保育園に通った場合の知能指数」と、「通わなかった場合の知能指数」を比較して、その差を保育園通いの効果とみなします。

しかし、ここで気をつけないといけないのは、保育園に通わなかった場合、子どもたちは日中どのように育てられるのかということです。母親、あるいは父親に育てられる子どももいるでしょうし、おばあさん、おじいさんやその他の親戚に育てられる子どももいます。3歳を超えた子どもであれば、幼稚園に通っているかもしれません。これが、データをとるときに気をつけなければならない点です。

ある子どもが保育園に通わない代わりに、幼稚園に通っているとしたら、測定される保育園通いの効果は、ほとんど見つけられないでしょう。これは、保育園でも幼稚園でも、その道のプロである保育士さんや先生が、子どもに質の高い教育を行っているため、両者の間に大きな発達の違いが生まれないためだからです。逆に、子どもにあまり構わないような親や親戚と日中過ごしているような子は、知的な刺激を十分に受けることができません。こうした子どもにとっては、保育園通いの効果は大きなものとなると考えられると言います。

保育園通いの効果を正しく解釈するためのポイントは、もし子どもが保育園に通っていなかったら、どんな環境で育てられたのだろうかと考えることだというのです。

ここで、山口氏は、経済学者のヘック万の研究を考察しています。彼は、ヘックマンのことを「経済学界の”怪物“であり、この分野の研究を大きくリードしてきた一人」と評価しています。彼の一連の研究は、アメリカ社会に大きな影響力を持ち、オバマ前大統領の幼児教育政策を方向づけたと言われています。著書『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)は、日本でも話題になりました。

ヘックマン教授は2000年にノーベル経済学賞を受賞していますが、受賞理由はある有名な統計分析手法を開発したことであり、幼児教育研究は、直接、関係しているわけではないそうです。ノーベル賞を受賞してなお、幼児教育の研究を精力的に進め、新たにノーベル賞級の成果を上げている経済学界の怪物だと山口氏は述べています。

そのヘックマン教授は、さまざまな幼児教育プログラムの効果を検証しました。その中でも最も有名なものは、「ぺリー就学前プロジェクト」と呼ばれるもので、1962〜67年に、3〜4歳の低所得の黒人家庭の子どもたちを対象に始められました。

このプログラムでは、子どもたちを幼稚園のような施設に集め、週あたり12〜15時間ほど教育を受けさせました。加えて、先生が週1回家庭訪問を行い、子育てについてのアドバイスを保護者(主に母親)に行いました。内容の充実もさることながら、先生は、みな4年制大学を卒業し、州政府が認可する幼児教育の資格も持っている一流の先生ばかりですから、このプログラムの質は一級品と言えます。

効果

“「家族の幸せ」の経済学”という本の中で、その著者山口慎太郎氏は、データ分析をしています。この本の第5章には、「保育園の経済学」ということで、保育園が持つ幼児教育施設としての側面に着目して、保育園通いで子どもがどう変わるのかを考察しています。彼は、先日の日経新聞にも、保育の無償化についてもその考え方を述べていました。

彼は、幼い子どもを持つ親御さんの多くにとって、保育園を利用できるかどうかは死活問題だと考えています。なぜならば、保育園が使えないとなると、職場に復帰できなくなり、キャリアを諦めざるを得なくなることも珍しくないからです。それに対して、待機児童問題は、長年にわたって新聞・テレビなどのメディアで取り上げられていますが、問題が解決に向かう気配は一向にありませんが、どうしてでしょうか?彼は、そもそも重大な社会問題として認識され、厚生省(現・厚生労働省)が初めて待機児童数を発表したのが1995年ですから、これだけの時間をもってしても解決できなかったという事実には失望させられたと言います。もちろん、だからといって政府が全くの無策だったというわけではないと言います。取り組みが不十分であったことは認めざるを得ないものの、常に政策課題の一つとして取り上げられてきましたし、安倍政権においても、「新・三本の矢」の「夢をつむぐ子育て支援」の一環として、待機児童の解消が目指されてきたわけだからというのです。

こうした政策の最終的な目標は出生率の向上にありますが、もう少し身近な目標として彼は以上のようなことをあげています。まず、働くお母さんたちへの支援が挙げています。保育園を利用することで、お母さんが安心して社会で働くことができるようになることか、そのようなことが政策目標として捉えられてきました。一方、こうした保育政策をめぐる議論の中であまり顧みられることがなかったのが、当事者である子どもへの影響だというのです。もちろん、子どもが安全に過ごせることは、保育の大前提とされてきましたが、子どもの知能や情緒の発達に及ぼす影響はほとんど論じられることはなかったと言うのです。

そこで山口氏氏は、保育園が持つ幼児教育施設としての側面に着目し、保育園通いで子どもがどう変わるのかを見ていこうとしています。

まず考察するのは、幼児教育についての経済学研究から、これまでに何が明らかにされたのか整理しています。そして、次に、彼自身の研究に基づいて、保育園通いが日本の子どもたちにどんな影響があったのかを明らかにしています。最後に、幼児教育・保育の無償化に始まる現在の保育政策の是非と、将来のあるべき姿について議論しています。

では、彼は幼児教育の「効果」についてどう考えているのでしょうか?

近年、保育園・幼稚園で行われる幼児教育が、世界中で注目を集めています。アメリカではオバマ前大統領が4歳児向けの教育プログラムの推進を各州にうながしてきましたし、動きの早かったEUでは2000年代前半に、9割の子どもが幼児教育を受けられるようにすることを目標に定めました。

こうした動きの背景にあるのは、経済学を含む、さまざまな分野での研究成果の蓄積だというのです。これまでの研究によると、幼児教育は、子どもの知能指数のみならず、意欲、忍耐力、協調性を含む、社会情緒的能力と呼ばれるものを改善し、子どもの人生に大きな影響を及ぼすことが明らかにされてきたからです。

 

新しい育休2

ドイツにおける育児休業は、3年間ですが、それを分割して取れるということです。ですから、生まれて1年間の育休、その後小学校1年生になった時に1年間、精神的に不安定になるころに1年間と、育児中に分割して合計3年間取れると聞いたことがあります。さすが、育休先進国だけあって、それはいいですね。3年間といって、3歳まで家庭の中で母親だけに育てられるのは、今の子ども環境では、社会的スキルをはじめとしていろいろな部分での発達に偏りができてしまう家庭環境があると思うからです。

もう一つ、ドイツの育休の素晴らしいところがあります。それは、ドイツでは保育園への入園は、保護者が必ずしも働いているなど保育に欠けることが条件になっていないことです。ドイツには、「保護者が1歳児以上の子どもを入園させたいと思ったら、すべて入園させなければならない」という法律があるそうです。それは、1歳以上の入園は、子どもにとって必要かどうかで保護者は選択できるのです。

最近は、いわゆる先進国と言われている国々では少子化です。家庭にはきょうだいは少なく、祖父母とも過ごさなくなり、地域の中で他の子と遊んだり、近所の大人たちと接することが少なくなりました。そのために、赤ちゃんの頃からの社会的スキルが身に付く機会が減ってきてしまっています。最近の研究では、トマセロが9か月革命を提唱したように、赤ちゃんは生後9カ月になると、他者を、意図を持った存在として認識しはじめ、親子という二項関係から、三項関係へと世界を広げていくことがわかってきています。それに関係するのか、人類は母親が次の子どもを妊娠するためにほぼ上の子が9か月くらいになると、母親のもとから社会の中で共同保育をされてきたと言われています。

そのようなことから考えると、子ども集団があり、様々な大人がいる保育園は、現代の子どもにとって、将来社会で生活する上でとても重要な環境です。そのような環境が子どもに必要なのは、保護者が働いているのかは関係ありません。しかし、どうしても乳児のころは、熱を出すこともあるでしょうし、あまり長時間他者の中にいることは赤ちゃんにとっては負担がかかりすぎます。その時にフルタイムで仕事をしているとどうしても無理がかかってしまいます。そこで、赤ちゃんが3歳になるくらいまでは育児休業をとれるようにするとか、育児時間を取得できるようにすることが大切になってきます。

しかし、現在日本では、3歳未満児において育休中は保育園に入園できません。また、待機児が多い地域では、就労時間を短くすると保育園には入園が難しくなってしまいます。日本で、もし3歳まで育休が取れるとしたら、都会では3歳まで、母親と二人っきりでマンションの1室で過ごすことになってしまいかねません。それは、子どもにとって必要というだけでなく、母親にとっても、3年間も24時間子どもといることはどんなにかわいいと思っても精神的に負担がかかってしまいます。それは、人類が乳児から共同保育をしてきたと言うのは、親のとってもある時間子どもと離れることが必要だからかもしれません。最近、親から乳幼児対する虐待が増えています。それは、育児が母親の背中だけにかかってしまうこともあるかもしれません。もっと、子どもを社会のネットワークに中で育てていく必要があると思っています。最近は、愛着理論が母子に限らず、集団社会化理論とか、社会的ネットワーク論のように様々な他人の中で育てられていくことの必要性が訴えられてきているようです。

新しい育休1

山口氏は、最後に、日木の育児体業制度は今後どのような方向に向かうのが望ましいのかを考えています。

確かに日本の育体制度は諸外国と比べても大きく見劣りするようなものではありません。そこで、彼は母親の仕事復帰を考えると、今の1年間がちょうどいい長さではないかと考えているようです。保育園が見つからないという個別の事情があれば、必要に応じた延長も認められているので、今の制度以上に育休期間を延ばす必要はないのではないかというのです。

さらに彼は、育休中に支払われる給付金についても、現行制度以上に引き上げたり、給付期間を延長したりすることには慎重になるべきだと考えています。

その理由を次のように考えています。まず、母親の就業と子どもの発達を考えるならば、育休よりも保育園の充実にお金を使うべきであると考えているからだと言います。保育園の充実がお母さんの就業と子どもの発達に及ぼす影響については改めてあとで述べていますが、育休の充実よりも効果的だと言えると言います。

もちろん、育休の給付金のお金を保育園に回すというのは、制度上単純な話ではないのですが、社会全体でのお金の使い方としてはより有効だと考えているというのです。

もう一つの理由は、育休の給付金額、育休前に得ていた所得に比例するため、所得の高い人ほど給付金額も大きくなります。こうした制度を大きくしてしまうと、貧富の格差を拡大してしまうことにつながりかねないと危惧します。

貧富の格差拡大を受け入れるかどうか自体は、人々の価値観の間題ではありますが、少なくとも制度変更が社会に何をもたらすかについては、よく理解した上で議論されるだと提案しています。

私は、ここで述べられているような山口慎太郎氏の育児休暇の考え方には、おおむね同意をします。きちんとしたデータ分析と、それの読み取りが現場での実感とおおむね一致します。少しだけ、私の考え方と違うところがあります。しかし、それは決して山口氏の見解に反対ということではなく、補足する意味です。

それは、ドイツを参考に考えたことです。データから各国の取り組みを見ると、ドイツは随分と育休先進国ですが、他にも育休の取り組みで優れたところがあると思っています。それは、ミュンヘンでの話で、ドイツ全国でもそうであるかはわかりませんが、育休の3年間を、分割して取れるというのです。最近、日本では「小学校の壁」と言われるように、保育園にいるときには仕事と育児の両立が可能であっても、子どもが小学校に入学すると違う意味で両立が難しくなることがあるのです。私から見ると、小学校の女性教員は働く女性の先駆的なモデルだと思うのですが、いろいろな部分でどうも働く女性にとって優しくないような気がします。そのために学童クラブの充実が求められているのですが、数だけでなくその内容においても、まだまだ十分ではありません。また、小学校に入学してしばらくの間は、下校が早く、できれば、母親が家で帰りを待ってあげたい人も多いのです。そのような問題を、ドイツの育休制度は補完するのです。

育休をデータから見る

日本で、育児休業を3年間取得できるようにすることに対して、山口氏は、データ分析からいくつかの発見があったそうです。第1に、日本では、正社員の仕事を見つけるのはかなり難しいということです。第2に、子どもが1歳になると、育児による負担が大きく減るということです。そして、第3に、大多数の人にとって、育児休業によって大きくスキルを失ってしまう心配は当てはまらないということだというのです。たしかに、育休を取ることでキャリアを諦めなければならないくらいの失点になってしまう人もいないわけではありません。そうした人々にとって重大な問題であることは間違いのないことだと言います。しかし、数カ月から1年程度の育休がキャリアにとって「致命傷」になってしまうのは、ごく限られた高度な専門職、管理職などにとどまるようです。もちろん、育休から復帰して仕事のやり方を思い出し、調子を取り戻すのには苦労をともなうでしょう。それでも、育休取得のために職業上の能力の多くを失ってしまうのは一部の人にだけ当てはまるようだと山口氏はデータからわかると言います。

彼は、こうした論点をデータできちんと確認することは、間違いのない判断のためには必要ですし、これらの論点の重要性を定量的に踏まえることは、シミュレーションを行う上で不可欠だと考えているのです。「常識」を数値化するのは、回りくどいと感じるかもしれませんが、最善の予想を立てる上では避けて通れないと彼は言うのです。

そのような意味で、こうしたデータ分析の結果を踏まえ、山口氏による経済学の理論を織り込んだ予測によると、育児休業制度は母親の働き方をどのように変化させるのかを考察しています。

まず、「①1年間の育休は母親就業にプラスの効果」です。シミュレーションの結果によると、1年間の育休が取得可能な今の制度は、お母さんの就業を大きく引き上げることがわかりました。育休が全く制度化されていない場合と比べて、現在の育休制度は、出産5年後に仕事をしている母親の割合をおよそ50パーセントに引き上げているようだというのです。次に「②育休3年制に追加的な効果はなし」です。今の制度を変更して、育休期間を3年間に延長することにはさほど大きな効果がないと予測されたそうです。育休3年制を導入しても、出産5年後に仕事をしている母親の割合は現在に比べて1パーセントしか増えないようです。

そして、「③育休は3年もいらない」です。育休3年制への移行が大きな効果を持たないと予測されているのは、多くの人は育休を3年も必要としていないと考えられるためだと言います。待機児童問題が深刻であるとはいえ、子どもが1歳になれば、無認可も含めて保育園の利用もより現実的に可能になります。

また、育休3年制のもとでも、給付金がもらえる期間が1年であるならば。2年目以降は家計所行が大きく落ち込みます。多少の苦労があっても、収入のたのに仕事復帰したいと考える母親が多数派であると予測されているそうです。

こうした理由で、育休3年制が導入されたとしても、実際に3年間育休を取る人はあまり多くないのではないかと考えられると言います。したがって、今よりも手厚い育休3年制に移行したとしても、母親の就業に大きな影影を与えないのではないかと山口氏は考えています。

育休3年制

育休3年制は、意味あることか、無意味であるかということを経済学的に検証するために、すでに3年間の育休を取得できるドイツについてみていくことはどうかということがあります。しかし、山口氏は、ドイツの経験を日本に当はめて、育休3年制の良し悪しについて何かがわかるのかというと、それほど明らかになることはないと言います。日本とドイツでは、労働市場のあり方が大きく異なる上、人々の考え方や価値観、行動様式にも違いがあります。これらの違いを踏まえて、日本に育休3年制を導人した場合に何が起こるのかを予測するのはそれほど簡単ではないというのです。同じ政策でも、社会制度や文化の違いによって、その効果は少なからず変わってくることはよくありますから、海外の経験をそのまま日本に当てはめるのはやはり危険ではないかというのです。

「やってみなけりやわからない」といって、無分別に改革をスタートさせてしまうというのも危険だと言います。政策実施は、当初には十分予想されなかった副作用や社会変化をもたらすことも少なくないからです。できる限り詳細に、改革の結果として何が起こりそうか事前に検討しておく必要があるのではないかと忠告しています。

山口氏は、彼の研究の立場から、経済学の理論とデータ分析の手法を組み合わせることで、「育休3年制」について最善の予想を立てようとしています。すでにあるデータを活用し、女性の出産や就業行動について分析することで、その行動原理を数理モデル化したのです。その上で、「育休3年制」が導人された場合に、女性の出産や就業行動がどのように変化するかをコンピュータ上でシミュレートし、何が起こるのかを予測したそうです。

データ分析から、女性の就業行動原理を理解する上でいくつかの重要な発見がありました。第一に、正社員の仕事を見つけるのはかなり難しいということです。たとえば、ある年に主婦であった人が、翌年、非正社員の仕事に就く確率は10パーセントほどですが、これが正社員になるとわずか1パーセントにとどまるそうです。本人のスキルや雇用形態についての志望といった要素を考慮しても、正社員として就業するのはかなり難しいという結論は変わらなかったそうです。

いちど正社員の仕事に就いたら、在職中に次の仕事を見つけるのでもない限り、正社員の仕事を辞めないことが、女性のキャリアにとって重要になっているようです。これは、育休による雇用保障が重要であることを示唆していることになります。

第二に、幼い子どもを育てながら働くのはもちろん大変ですが、子どもが1歳になると、そうした負担は大きく減るということだと言います。この理由の一つには、0歳児保育を見つけるのに比べると、1歳児保育は比較的見つけやすいことを山口氏は挙げています。

また、子ともが1歳になるまでは、子どもの発達や母子の感情的な結びつきを重視して、自らの手で育てたいと感じている母親が多いことも関係しているのではないかと考えています。そうした母親にとっては、子ともがまだ1歳にならないうちに、子どもを預けて仕事に出るのは精神的な負担になります。

子どもを育てながら働く大変さは、子どもがいくつになってもなくなるものではありません。それでも、子どもが大きくなるにつれて、その負担感が少しずつ減っていくことを実感される方が多いのではないかと言います。そして、その負担感は、0歳児と1歳児で大きく異なるというのがここでのホイントだというのです。子育ての負担感がとりわけ大きな時期を、制度的にサポートしょうという現行の育児休業制度が、働くお母さんの大きな助けになっていることが示唆されているそうです。

何歳まで育休?

生後、母親と一緒に過ごした期間の長さは、子どもの将来の進学状況・労働所得などにはほぼ影響を与えていないことが、ドイツ、オーストリア、カナダ、スウェーデン、デンマークなどの国々における政策評価で報告されました。しかし、これらの国々と異なり、ノルウェーでは育休制度の充実により、母親と子どもが一緒に過ごす時間が増えた結果、子どもの高校卒業率や歳時点での労働所得が上昇したことがわかりました。どうしてでしょうか?

山口氏は、育休改革が行われた1977年当時のノルウェーでは、公的に設置された保育所が乏しく、保育の質が低かったのではないかと考えています。したがって、お母さんが働く場合、子どもたちは発達にとって必ずしも好ましくない環境で育てられていたということになります。育休制度が充実することで、母親と子どもが一緒に過ごせるようになれば、子どもたちは質の悪い保育所に預けられることはなくなり、その結果、子どもは健やかに育ったというわけです。

山口氏は、「子どもが育つ環境は重要だけど、母親だけが子育ての担い手になる必要はない」というのがこれらの政策評価から得られる重要な教訓で、とても重要なことだと強調します。すなわち、父親と母親で育児を分担するのはもちろん、特別な訓練を受けた保育のプロである保育士さんの力を借りるのも、子どもの発達にとって有益だというのです。

このようなデータによって、山口氏はこのような助言をしています。「良い保育園を見つけることができれは、母親が働くことは子どもの発達に悪影響はないので、安心して仕事に出てください。」

ただし、「良い保育園」とは何かというのは簡単に答えられる問いではないと言いつつ、次のような条件を山口氏は挙げています。「よく使われる指標は、保育士一人あたりの子どもの数や、保育士になるために必要なトレーニングの期間などです。こうした観点から見ると、日本の認可保育所は、先進国の平均を上回っており、一般論としては、安心して子どもを任せられる場所ではないでしょうか。」

さらに彼は、このようなことを述べています。「もちろん、保育所における事故は皆無ではないし、保育所間の質のばらつきという問題もありますから、質の良い保育園がこれまで以上に増えるように、政治家や関係者の方々には頑張っていただきたいところです。」

日本では、育休を3歳まで取らせるようにした方がいいという議論が行われています。それには、3歳までは母親のもとで育てるのがいいという、いわゆる「3歳児神話」が根強くあるからでしょう。また、海外でも3年間育休をとることができる国が増えてきているからということもあるでしょう。また、3年間の育休を認めることが女性の就業を増やすのではないかという議論もあります。山口氏は、経済学や様々なデータ分析から日本で育休を3歳まで取ることに対して、どのように考えているのでしょうか。

彼は、過去に実際に行われた政策について、その効果や副作用について検証する政策評価のやり方はある程度確立しているのですが、まだ行われていない政策についてはテータが存在しないため、その是非を評価するのはとても難しいことだと言います。

一つのやり方として、ドイツなどの「育休先進国」の経験に学ぶというものがあります。ドイツで育休が3年に延長された結果、お母さんの働き方がどう変化したかについてはある程度、解明されているからです。

母親のもとで

ドイツでの政策評価によると、育休制度を拡大するごとに実際に取得される育休期間も延びて、母親が家庭で子どもを育てる期間が増えたようです。これはドイツ政府からすれば狙いどおりでした。もともと政策の目的が、子どもとお母さんが一緒に過ごす時間を増やすことだったのです。しかし、山口氏は、そもそもなぜ母親が自ら子どもを育てることが、子どもの発達にとって良いことだと考えられているのかどうかを考察しています。

その根拠の一つは、「母乳育児」にあると言います。働いている母親が母乳育児を行うことは非常に大変ですが、育休中ならば母乳育児がやりやすくなります。母乳育児には子どもの健康にとって一定のメリットがありますから、育休制度の充実は子どもの発達にとって有益になりえると言います。

もう一つの根拠は「愛着理論」と呼ばれているものです。心理学者によると、生まれてから最初の1年における母子関係は、子どもの認知能力や社会性を育む上で重要な役割を果たしているという考え方です。一方で、子どもが大きくなると、家族以外の子どもや大人と関わりを持つことが発達に有益であると考えられています。

いずれの根拠も筋が通っているように見えますが、実際のところはどうなのでしょうか。そんな疑問に対して、ドイツをはじめとして、いくつかの国々での政策評価では、育休制度の充実が子どもの発達に与える影響を検証しているのです。

その時の政策評価の方法は、育休改革前に生まれた子どもと、育休改革後に生まれた子どもを比較するというやり方です。ドイツでは、育休改革後に生まれた子どもたちは、改革前に生まれた子どもたちよりも、生後、母親と一緒に過ごした時期が長いことがわかっています。

これが子どもたちにどのような影響を与えたかが評価のポイントです。

ドイツでは子どもへの長期的な影響に関心があったため、高校・大学への進学状況や、28歳時点でのフルタイム就業の有無と所得を調べました。その結果、生後、母親と一緒に過ごした期間の長さは、子どもの将来の進学状況・労働所得などにはほぼ影響を与えていないことがわかったそうです。

同様の結果は、オーストリア、カナダ、スウェーデン、デンマークにおける政策評価でも報告されているそうです。先に述べた「愛着理論」のように、子どもが幼い間、特に生後1年以内は母子が一緒に過ごすことが子どもの発達に重要であると考えられてきましたが、データは必ずしもこうした議論の正しさを裏づけてくれなかったようです。

では、子どもにとって、育つ環境などどうでもいいということなのでしょうか。

山口氏は、もちろん、そんなことはないと言います。各国の政策評価を詳しく検討してみた結果わかったのは、子どもにとって育つ環境はとても重要であるけれど、育児をするのは必ずしも母親である必要はないということです。きちんと育児のための訓練を受けた保育士さんであれば、子どもを健やかに育てることができるということがわかっています。それは、当然でしょう。子どもにとっていい母親であれば、母親のもとで育てられることはいいことですが、もし、あまりいい親でない場合は、いい母親以外の養育者に育てられた方がいいに決まっています。また、変な養育者に差おだてられるのであれば、母親のもとで育てられた方がいいでしょう。その辺が、データの読み取りの難しさですね。

仕事復帰

山口氏は、まずドイツで1979年から1993年にかけて行われた育休改革と、その政策評価を取り上げて、それについて考察しています。

ドイツでは、1950年代なかばに初めて育児休業制度が導入されました。期間は2カ月間で、給付金は休業前賃金とほぼ同額が支払われていました。随分と早い時期から行われていたのですね。その後1979年から1993年にかけて少しずつ育休改革を行い、1993年には育休期間が3年にまで延ばされました。給付金は最初の2カ月間は休業前賃金と同額ですが、そこから後は減額されて、当時の為替レートで月4万円弱ですが、最大24カ月受け取ることができるようです。

山口氏は、これらの検討する上で、政策評価というものを使いますが、この基本的な考え方は、育休改革直前に出産した人と、育休改革直後に出産した人を比べ、出産後の仕事復帰までの期間や子どもの発達に違いがあるか検証するというものだそうです。この考え方に基づくと、育休改革直後に出産した人のほうが、改革直前に出産した人に比べて、出産1年後に働いている割合が高ければ、育休改革は母親が仕事を続ける上で助けになったと結論づけることができるというのです。

このやり方で育休改革の効果を正しく測るには、改革直前に出産した人々と、直後に出産した人々の間に大きな違いがないことが前提です。両者の違いが、法律で認められた育休期間だけである場合、両者を比べることで政策の効果がわかります。仮に両者が職歴や学歴、年齢などの面でも異なる場合、出産1年後に働いている母親の割合が改革前後で増えていたとしても、それが制度改革のおかげなのか、それとも職歴などの違いのせいなのか判断がつきません。ドイツの政策評価では、改革の直前・直後3カ月といった短い期間に限れば、改革前後で母親の年齢などにほとんど違いがないことが確認されているそうです。

ドイツの政策評価によると、育児休業期間を延ばすほど仕事への復帰が遅くなり、母親が家で子どもを育てる期間が長くなったそうです。復帰が遅くなると心配なのは、長期的な就業率への悪影響ですが、幸い、出産4〜6年後の就業率はほとんど下がっていなかったそうです。

同様の政策評価はオーストリア、カナダ、ノルウェーなどでも行われました。これらの国々の結果も合わせて全体として見ると、1年以内の短期の育休制度は母親の出産数年後の就業にとって悪影響はなく、あるとすれば多少プラスの効果がみられたようです。雇用復帰の助けになる効果があると考えられているそうです。雇用保証があることで、スムーズな仕事復帰の助けになる効果があると考えられているそうです。

一方で、それ以上に長い、たとえば3年の育休制度はお母さんの就業にとってわずかにマイナスの影響があったケースが多いようです。特に、給付金が長期にわたって支払われるようなケースだと、母親が家で子どもを育てるほうが得だということになってしまうため、仕事復帰が遅くなってしまいがちだというのです。育休取得期間があまりに長くなってしまうと、仕事のスキルも習慣も失われてしまうため、長期的には母親の就業にとってマイナスになってしまうようだというのです。

仕事への復帰

仕事を失っても、比較的早く次の仕事が見つかるような流動性の高い労働市場ならば、雇用保障は大きなありがたみを持たないでしょうが、日本は、こうした流動性の低い労働市場ですので、雇用保障があることで、お母さんの出産後の仕事の続けやすさが大きく変わってくると山口氏はいいます。雇用保障によって、この職探しの困難を取り除くことができるためです。

しかし、データによると、あまり長い育休は逆効果になるようです。育児体業による雇用保障で新たに仕事を見つける必要はなくなったとはいえ、あまりに長い間仕事を休んでしまうとかえって復帰が難しくなるかもしれないというのです。それは、週末休み明けの月曜日に、なんだか出勤したくないと感じてしまうのと同じ心境だというのです。

日本の育休制度は、職場復帰を前提としていますが、そのまま退職してしまった場合でも給付金の返還などのペナルティーはありません。そのため、休業期間が長くなるほど、職場復帰がおっくうになってしまうこともあるのではないかと山口氏は考えています。

またさらに彼は、一部の専門職では、仕事から長期に離れてしまうと、職業人としての能力に大きなダメージを受けてしまいかねません。たとえば、高度な研究職、技術職では常に新しい知見・技術が時代遅れになってしまうことが考えられると言います。

また、人脈作りが重要な営業職などの仕事でも、長期に育休の間に顧客を取られてしまったり、人脈が失われてしまったりすることがあるでしょう。こうした仕事についている人たちは、育休期間が長くなればなるほど職場復帰が難しくなってしまいます。

では、条件の悪いアメリカではどうでしょうか?最近、アメリカのIT企業では、育休の充実で人材確保をしているようです。企業にとって、育児休業は優れた従業員を自社につなぎとめるためにも有効な手段です。

「育休後進国」のアメリカですが、近年ではグーグルやフェイスブックといったIT企業を中心に、独自の育休制度を準備する企業が増えてきているそうです。IT業界では優秀な人材の引き抜き合戦が激しいため福利厚生に力を入れており、人材確保の一環として有給の育休を社内制度として認めるようになったのです。

一方で、育休が企業にとって負担とならないよう、多くの国々で制度的に配慮されています。日本では、育休の給付金は雇用保険から支払われますし、休業中の健康保険料や厚生年金保険料の支払いは免除されているため、これらが企業にとって負担となることはありません。しかし、こんなことが懸念されます。たしかに育休中の社員の穴埋めのために、たとえば派遣社員を手配しなくてはならないケースなどが出てくるかもしれません。また、引き継ぎにともなって一時的に仕事が滞ることもあるでしよう。これらは小さい職場では無視できないコストかもしれませんが、そうしたコストを軽減するために中小企業に対し両立支援等助成金が支給されています。-

では、アメリカ以外のヨーロッパとカナダで行われた育児休業制度改革の政策評価はどうでしょうか?山口氏は、育休は母親が仕事を続ける上で助けになるのか、育休を取って母親が家にいることは子どもの発達にとってプラスなのかといった点について考察しています。