自閉症児の模倣

自閉症の子どもは、乳幼児期から社会的刺激に対して特異な反応をすることが報告されています。たとえば、二歳の自閉症児は、バイオロジカルモーションの知覚がむずかしい可能性があるそうです。また、後に自閉症と診断された14~42ヶ月児は、定型発達児と比較したときに、ヨガを踊る人の動きの映像よりも幾何学図形が動いている映像を好んだそうです。さらに、定型発達児は他者の目を注視する時間が生後2~6ヶ月の間で増加するのに対して、後に自閉症の診断を受けた児では、生後2~6月の間に目への注視時間が減少するそうです。また、自閉症児の生後1年間のホームビデオを分析した研究では、自分の名前が呼ばれたときに振り向く頻度が低かったことがわかったそうです。これらの知見からわかることは、自閉症児において他人の顔や声などの社会的刺激に対する注意である社会的注意に、発達早期から特異性があることを示す実証的な証拠だというのです。

一部の研究者は、自閉症における社会性の特異性を社会的動機仮説によって説明しているそうです。この仮説によると、自閉症は社会的刺激に対する脳の報酬系回路(線条体、眼窩前頭皮質など)や情動系回路(扁桃体など)の機能が低下しているために、社会的注意が特異であるというのです。社会的注意が低下すると、他者から学習する機会が減るために、対人コミュニケーションを支える社会的認知やことばの発達に負の影響をもたらすと考えられているのです。

では、自閉症は社会的刺激に対して、どのような脳の活動を示すのでしょうか。たとえば、成人の自閉症者では、顔表情を観察したときの紡錘状回の活動が低いことがわかっているそうです。6~10ヶ月児を対象とした研究では、後に自閉症の診断を受けた児は、定型発達児に比べて顔を見ているときの脳反応が異なるそうです。つまり、定型発達児では、顔処理にかかわる後頭側頭領域の脳波成分において、赤ちゃんに視線を向けている顔と逸れた顔を見ているときに、反応に差異がみられたのに対して、後に自閉症の診断を受けた児では、反応の差異がみられなかったというのです。聴覚についても、自閉症の成人は定型発達者に比べて、音声を聞いているときの上側頭回の活動が低く特異性がみられているそうです。これらの結果は、他者を理解し、コミュニケーションを行うために重要となる顔や声の情報処理が、自閉症と定型発達とでは異なる可能性を示しています。

また、生後21~50ヶ月の自閉症児は、生後18~24ヶ月の定型発達児に比べて、顔表情の模倣、たとえば、舌をだして左右に動かすなどの模倣や、モノを使った模倣、たとえば、車のおもちやを裏返してたたくなどの模倣の得点が低いようです。さらに、自閉症児の中でも、模倣がよくできた子ほど、後のことばや社会的認知の発達が良好だったそうです。このことは、自閉症児は模倣が困難である一方で、模倣スキルの個人差が存在し、模倣スキルがコミュニケーション発達を左右することを示しています。自閉症児における模倣にこんな違いがあるのですね。真似ることは、とても重要な行動であることがわかりますね。

では、自閉症における模倣の困難さの原因はどこにあるのでしょうか。この問いに対する答えは、未だに結論がでていないそうです。たとえば、ロジャースは模倣の実行プロセスを三つに分けて説明しようとしました。一つ目は感覚情報を知覚する過程、二つ目は感覚情報を自分の運動表象に移行する過程、三つ目は運動の計画や実行、修正の過程です。この三つの過程のどこに問題があるのかについては、一つの原因で説明ができない可能性もあります。今後、自閉症の模倣のしくみについてのさらなる検証が必要だと今福氏は考えているようです。

自閉症児の模倣” への6件のコメント

  1. 私たちは一口に「自閉症スペクトラム」と言ってしまいます。ところが、模倣に関して一言では済まされない差異を自閉症とレッテルを貼られた子たちが持っているようです。「自閉症児における模倣にこんな違いがあるのですね。」こうした違いを認めて、単純に自閉症と片づける私たちの単純さを戒めたいものです。とりあえず、レッテル貼られずに過ごしている私たち一人ひとりでさえ、レッテルを貼ろうと思えば貼れるでしょう。一斉画一を良しとする日本社会において、ダイバーシティやマイノリティー、あるいはギフテッドを心底認めずレッテルを貼りたがる国民性。いわゆる社会常識なる基準にそぐわない振る舞いや格好していると、変、とするのですが、自閉症、などとレッテルを貼った時点でその振る舞いや格好を許容する、そうした風潮がありますね。そのものをそのもとして認めない画一社会において政治でも経済でも「〇〇一強」を作り出している現実。恐怖が充満する社会にしてはいけませんね。

  2. 園にいる自閉症スペクトラムの子どもも、観察していると模倣が苦手分野であることがわかります。人の顔や言葉よりも、おもちゃの車のタイヤの動きを同じ目線で追ったり幾何学模様に関心を示します。また、その子は「ひらがな」や「カタカナ」にも関心があり、一字一字ですが文字を読んでいます。確かに、文字は幾何学模様っぽいですね。そして、「社会的注意が低下すると、他者から学習する機会が減るために、対人コミュニケーションを支える社会的認知やことばの発達に負の影響をもたらすと考えられている」というように、自閉症児は、特性によって人と関わる機会が減ることで、社会性に欠けてしまうのであって、決してその子自身が社会性を求めていないということではないのであり、そのニュアンスを理解しておかないと定型発達児とは異なる空間にいるべきだという考えに陥ってしまいますね。「インクルージョン」を思い出しました。

  3. 自閉症スペクトラムというものがどのようなものであるのか、というのが分かる内容になっていますね。模倣が苦手であるということで、コミュニケーションをとるのがおっくうになるのですね。「自閉症スペクトラム」の人が人との交わりが苦手なのではなく、その特性上、人とのコミュニケーションがとりづらくなり、苦手となってしまうということも理解できました。

  4. 自閉症の子供は外に向く興味の矢印が極端に少なく、興味のあることにのみ没頭し驚異的な集中力を見せるということですが、その興味の矢印が”他人”というものにに向くことはないのでしょうか。数字、文字、乗り物など子供によって矢印が指す方向は多種多様なのですから人に向く矢印があってもいいのではないかと思いました。もしかしたら気づいていないだけで、人たらしといわれるようなコミュニケーション能力が異常なほどに高い人たちは一種の自閉症なのかもしれませんが。

  5. 昨夜のテレビ番組で、発達障害のピアニストが特集されていました。作曲活動において、雪の音が聞きたい、と積もった雪に耳を当てる場面が印象的で、心臓の音がする、と答えられた時には感動しました。そういう詩的な、何よりもピュアな発想こそ芸術であるように思え、自閉症も、発達障害も、その呼び名、呼称を変えてみたらどうだろうかと提案したくなります。同時に、そういった純真な芽を保育の中で摘んでしまってはなかっただろうかと、とても反省しました。
    今、飛行機は北海道へ向かっていて、北の大地の大らかさや温かさに清められて、来週からの保育へ向かう自身の気持ちを変えていきたいと思います。

  6. 自閉症児の特徴に相手の表情への注視や聴力の反応、他者に向ける関心に差が見られたのですね。しかもそれが6~10か月児においてもみられるというのはやはり脳神経活動に差があるのですね。ただ、自閉症児の中にも模倣に差があり、模倣がよくできた子ほど、社会的認知の発達が良好であったというのは、たとえ自閉症児であったとしても、子ども集団の中にいて、模倣活動が周りに多くなる方がいいということなのでしょうか。考えてみると、最近ですが療育に通い始めた自閉症をもった子どもが子ども集団の中にいたほうが、困難なことも多いが、表情が豊かであると保護者が言っていました。また、療育の先生も見学や手続きの間までの数カ月前の面接と比べて、ずいぶんと伸びたことにびっくりしたと言っていました。やはりそれも子ども集団の影響が少なからずあるということなのでしょうか。このことを踏まえてみてもしょうがいを持っている子どもたちを完全に療育と分けるというのは果たしていいのかどうか?と感じます。様々な研究の中で、こういった子どもたちも社会の中で生きる力につながるような取り組みができるヒントが見えてくるといいですね。

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