新生児の音声模倣

今福氏の書いた論文には、「乳児期における音声模倣のメカニズムとその発達過程」とか、「乳児期における発話知覚の機能およびメカニズムとその定型・非定型発達」などのように、音声についての研究が多いようです。たぶん、この分野が得意なのでしょう。彼は、音声模倣はどのように発達するのかを説明しています。新生児期には、すでに音声模倣の萌芽がみられるようです。ただし、新生児は音声の産出がむずかしいことから、音声に対応した口形、たとえば、「あ」を聞いたときには口を開けるということが指標になります。

チェンらは、生後7日の新生児を対象に、聴覚刺激に対する音声模倣反応を調べたそうです。その結果、大人が新生児と対面した状態で、「あ」と「む」の聴覚刺激をそれぞれ提示した際に、「あ」ならば口を開ける、「む」ならば口をすぼめる、というように、新生児は聞いた音声に一致した口の動きを示したそうです。これは、直前まで胎内で肺が羊水に満たされており、「あ」と「む」などの特定の音声を産出した経験が乏しいはずの新生児が、音声を自分の身体運動に変換するシステムをもつ可能性を示唆していると今福氏は言います。

また、生後16~82時間の新生児を対象とした研究では、モニター上にうつる「あ」、または「い」を発話する大人に対する新生児の音声模倣を調べています。モニター上の映像は、①視覚情報(口の動き)のみの条件、②視覚と聴覚情報(音声と口の動き)が一致している条件、③視覚と聴覚情報が不一致の条件、の三種類がありました。実験の結果、新生児は視覚情報のみの条件と視覚と聴覚情報が一致している条件で、より多く大人が発声した音声と一致した口の動きを示したそうです。一方で、視覚と聴覚情報が不一致の条件では、新生児はその口の動きを示さなかったそうです。これは、新生児期に視覚と聴覚情報が統合的に知覚され、口の動きの模倣に影響する可能性を示唆していると言います。

乳児期になると、音声模倣はどのように発達するのでしょうか。3ヶ月児は、三種類の母音「あ」「い」「う」の音声を模倣することがわかっています。さらに、3~5ヶ月児にかけて、音声模倣のときに、「あ」「い」「う」をより明確に区別して発話できるようになるそうです。これは、生後3~5ヶ月で、口の運動能力が発達することを示していると言います。

次に、彼は音声の知覚における口の動きの役割について考えています。日常生活では、私たちは聴覚情報のみではなく、視覚情報を巧みに利用しています。たとえば、マスクをしている人の話し声が、聞き取りにくいと感じます。また、口の動きと音声を統合的に知覚することができなければ、複数の人が話しているときに話者を同定することすらできません。ここで、彼は、発話の視覚情報である口の動きと聴覚情報である音声を統合して知覚処理する能力を、発話知覚と呼んでいます。

私たちが発話知覚をしている証拠となる現象の一つに、マガーク効果があるそうです。マガーク効果とは、視覚情報「が」と聴覚情報「ば」が同じタイミングで提示されたときに、提示された聴覚情報とは異なる音韻「だ」を知覚する現象のことです。視覚器官である目と聴覚器官である耳から入力されたそれぞれの音声情報は、脳内で統合されているというのです。ほかにも、たとえばパーティー会場などのような雑音環境下において、音声が聴覚情報のみの場合よりも、口の動きと音声の両方がある場合に音声の内容の理解が早く、より正確になるという現象かあります。この現象は、聴覚という単一感覚による情報処理よりも、視聴覚という多感覚情報を得ることが、周囲の情報を効率よく取り入れるのに有益であることを示しています。

新生児の音声模倣” への6件のコメント

  1. 映画が好きでよく鑑賞するのですが、洋画の吹き替えに違和感を覚えるのは、口の形からの情報が聴覚の情報と一致していないことが原因であることがわかりました。マスクもしかり、コミュニケーションをとる上でも、相手に自分の口元を見せることが、意志疎通を図るためには必要なこと、そして、大切な話のときには正面を向き合うことが重要であることを感じました。そして、乳児であってもあいうの母音の発話を区別できるのであれば、その3つの言葉が関連する言葉を保育者が普段から使用することが、有効であることを示していると感じました。

  2. 私たちもかつては赤ちゃんでしたから、赤ちゃん凄いな、と他人事みたいに言うのも何ですが、教えもしないのに「新生児は聞いた音声に一致した口の動きを示した」ということを知ると、やはり「赤ちゃん凄いな」と思えてきます。自分自身に対しても「凄いな」と言っていることにもなりますが・・・。新生児模倣、やはり不思議な行為です。教えられなくても真似る、ということは、真似ること自体が主体的自発的なこと、ということでしょう。すると、学びも主体的であり自発的。話は飛躍しますが、そのことを学びたいと思ったら宿題として出されなくても家でもそのことを学ぶはず。では、教える、という行為は何を意味するのか。学びの自発性をサポートする行為。教員はサポーターか。それはともかくとして、言語の効率的理解には視聴覚、すなわち見る・聞く、という両行為が必要であることはよくわかります。見る・聞くという視聴覚機能のホモサピエンスにおける重要性は、この言語領域と絡めるとよく理解できますね。

  3. 〝音声を自分の身体運動に変換するシステムをもつ可能性を示唆している〟という実験結果から、言語は自分から主体的に真似て学ぶシステムを持っているということになるのだと理解しました。ということは、教える行為は必要がないものだということになります。それと同時に人間にとって「話す」ということがいかに重要であるかということも物語っているのではないのでしょうか。そして、それと同じくらい「きく」ということも重要であることを感じました。

  4. 自分もそうして言語を習得してきたとはいえ、全く知識がないのに音を聴くだけでそれがどのようにして出された音か認識し模倣する力があるとはなかなか信じられませんね。もしかりに周囲の大人が子供と関わるときにマスクをつけ続けた場合は視覚による音声模倣の能力がどうなるのか、聴覚による音声模倣の能力が他と比べてどうなるかといったような実験も見てみたいですね。

  5. 「新生児が、音声を自分の身体運動に変換するシステムをもつ可能性を示唆している」聞いて、必要な筋肉を使って、そして表現する、という一連の動き、とても感覚的な変換であるのに、それをやってのけてしまう赤ちゃんの能力の高さにはいつも驚かされます。ルージュテストについてもそうですが、自分の顔の部位を認識したりすることも、もっと早い段階であるのではないかと思えてきます。胎児の頃からの何かしらの積み重ねや、そもそもに携えてきているものがそういった反応を起こさせるのでしょうが、そう思うと余計に赤ちゃんは白紙でないことが改めてわかります。

  6. 「直前まで胎内で肺が羊水に満たされており、「あ」と「む」などの特定の音声を産出した経験が乏しいはずの新生児が、音声を自分の身体運動に変換するシステムをもつ可能性を示唆している」このことを受けても、赤ちゃんの音声模倣のすごさがわかります。しかも、視覚と聴覚が不一致の時には口の動きを示さなかったというようにすでにその発声と視覚との一致することを知っているかのような反応ですね。赤ちゃんが人が来る方向に目を向ける行為は危険を察知することや安全な人を見分ける他にも、こういった発声や言語習得においての行為でもあるということが言えますね。それほど、赤ちゃんにとって見る行為というのは実に刺激でしょうし、その刺激こそが学ぶということにつながっているのだと思います。ということは、なおのこと「情緒の安定」ということはただ「刺激がない」ということではないということが言えます。こういった赤ちゃんが発達するプロセスを知ることは人の「生きる力」を知ることにもつながるんだろうなと常々感じます。だからこそ、保育環境を作るためにはこういった発達の研究は非常に有益であり、知る必要がありますね。

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