脳神経科学的

大村さんの小学校における実践はすべての子どもの学習権を保障するという考えが最上位に来ているそうです。こうした考えは、教育活動のあらゆるところに浸透しているそうです。例えば、椅子に座れずに立ち回る子どもがいたとすれば、一般的な学校では、椅子に座れない子が問題だとして捉えられがちですが、彼女の小学校では、この子が問題度とは捉えないのです。それは椅子に座れないことが悪いのではなくて、発達の今の状況に過ぎないと考えられているそうです。そして、その子にとって、いちばんよいことが何かを、また何が必要なのかを徹底的に考えるのです。そこには、「インクルーシブ」とか「特別支援」という言葉はないそうです。目の前の子どもをしっかり見ることが徹底されているのです。

学校では、多くの場合、「問題は作られる」と工藤氏は言います。例えば、授業中に教室から出て行く小学1年生が、教室に複数いたとします。この現象は「小1プロブレム」と呼ばれて、教育活動として取り上げられますが、木村さんは「立ち回ることが、なぜ、いけないのか」と問うそうです。つまり、学校や教室のあり方、支援のあり方を問うのだと言います。これは、ユニバーサルデザインなどの考え方とつながるものだと彼は思っているのです。「なぜ、その子が教室から出ていったのか」を考え、教員同士で徹底的に話し合うべきですし、子どもたちにも考えさせることが大切だと、木村氏は指摘しているそうです。

このような指導は、確固たる確信を持って行なわれているのですが、現在の学校教育においては決して主流とは言えないのも事実だと工藤氏は言います。ということもあり、彼は、脳神経科学的にはどう評価されるのかということに興味を持ったと言っています。

脳神経科学的な立場から、青砥さんから助言をもらったところ、工藤氏と木村氏が行なった解決方法などに高い評価と解説をもらったそうです。また、「固定担任制の廃止」が、子どもたちに与える影響についても、同様に評価したそうです。いずれも、細胞、分子レベルの現象としてリーズナブルであるという意見をもらうことができ、青砥氏による研修は、多くの参加者から好評だったようです。

なお、脳神経科学者である青砥さんの指摘で興味深かったのは、安心、安全な環境が確保されていないと、脳は心的危険状態に陥るということだったそうです。この状態になると、脳の感情をコントロールする部位であったり、学習を機能させる部位や、体を制御する部位などの働きが抑制されるというのです。発達に特性のある子は教員の指導により脳の防衛機制が働き、悪循環に陥る傾向があるという話だったそうです。それらの取組みによって、工藤氏は、今後、脳神経科学は、学校教育の環境のあり方や子どもの指導のあり方に大きな影響を与えてくれる可能性があると考えています。

彼は、この研修からあらたな意義を発見をしたそうです。それは、この研修は、校外の人たちが参加したことで、そこから相互に多くの刺激を受けることができたということだそうです。今では、むしろ多様な人が入らなくては、より良い研修にならないとさえ感じていると言います。参加者は、大学生から民間企業のサラリーマン、映画政策関係者まで、年齢も立場も実に様々な人たちが集まったそうです。中には、経済産業省や文部科学省の職員もいたそうです。学校が必ずしも好きではない、子どもの頃にいじめに遭って、学校にネガティブな印象を持っている人もいたそうです。こういう様々な方から出てくる意見や考えに、教員はさまざまなことを思い、心を揺さぶられたと工藤氏は感じています。

脳神経科学的” への5件のコメント

  1. 工藤氏の「問題は作られる」という言葉は教育界への警告のようにも感じます。前提として、大人は問題を子どもの問題として捉えがちですが、大人が用意して作った環境の問題として捉える視点は大切ですね。木村氏の「みんなの学校」がYoutubeに予告編としてあがっていたのでみてみると、「一瞬一瞬が本物」という表現をされていました。私たちは、先見の明を大切にしながらも、子どもの目の前の姿をしっかり捉える力を必要とします。カウンセリングでも「今ここ」に焦点を当てることが大事であると学びました。脳神経科学的な分野からの後押しは、教育の根幹を見直すためにも必要ですね。

  2. 安易に「小1プロブレム」と言っていた自分を反省しました。この表現は実に他人事です。プロブレムと言われ、その対象となった子どもを丸ごと信じていない結果です。「木村さんは「立ち回ることが、なぜ、いけないのか」と問うそうです。」そうです。こうした問いを私たちは不断にしていかなければならない。園でもお部屋から出てしまう子がいます。部屋から出てはいけない、これは大人の都合。出ていく子どもには出ていく理由があるはず。この点をしっかりと振り返りたいですし、常に振り返られる職場でありたいと思うのです。工藤氏が教育学という世界を飛び越え、「脳神経科学的な立場」において提言されることを教育現場に取り入れようとする試みは称賛に価します。保育界は教育学や心理学の研究成果が主流を占めています。脳神経や人類学、社会学はほとんど参考程度にしか扱われません。経済学に至っては、子どもを投資の対象にしている、と非難ごうごう。子ども理解にとってはあらゆる研究分野の研究成果が必要だと思うのですが、あちこちの分野を渉猟し現場の実践にとって理論的支柱になるであろうと思って発言した途端、「それは危険だ」と教育学や心理学の学者から注意を受けます。現場は学問世界の狭小さにはついていけないのですが。

  3. みんなの学校、予告編だけで泣けてしまいます。就学にあたって、と思ってやっていることを振り返ると、本当は学校こそが変わらなくてはならない場所かもわからないのに、そこに子どもたちを合わせようと一生懸命な保育現場です。そして、そこには消費者感覚というものでない、子どもの育ちや成長を真ん中にした当事者意識が保護者の心の中に在ることでしょう。こんな学校があるなんて知りませんでした。こんな教育、そして見守る保育 Fujimori methodが日本中に浸透していったら、日本は変わるだろうと心から思えてきます。

  4. 〝学校では、多くの場合、「問題は作られる」と工藤氏は言います〟とあり、子どもの問題の多くは大人の考え方の問題であることを理解することができました。なぜいけないのか、そもそも、なぜそのような行動をするのか、というところにその論点をもっていくと行動自体がいけないことではなく、その子どもが教えてくれているという考えになるのではないかと思います。そして、このように考えている学校があるということに驚きます。やはり、自分たちが普段していることは間違いないことなんだなという思いです。

  5. ユニバーサルデザインという言葉は最近よく聞きますね。現在の教育現場において、その在り方を見つめなおす時代に来ているように感じます。よく藤森先生の話の中でも「海外は落第とは言わず、「stay」留まるといっている」という話を思い出しました。大人の考える教育が子どもたちにはあっていない部分がでてきたのかもしれません。2019年7月の東洋経済オンラインで「『落ちこぼれる子ども』が学校で必ず出る根本原因」という記事があり、そこでも学校の教育のシステム自体が問題があり、変えるべきではないかと書かれていました。「子どもにあった」といった名目のもと教育が行われていると言いながらも果たしてそうなのかと疑問に思うことが多いです。そして、教育や保育というものがどこか社会から隔絶されたものになっているような気もします。そんな中、他業種の方との話はとても刺激をもらいます。麴町中学の研修で郊外の人の参加ということが書かれていますが、そこにある刺激というのはまさにその先に社会が見えるからなのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です