職場の常識

教員は、採用1年目に初任者研修がありますが、ここで学ぶのは学習指導や生徒指導の手法が中心です。電話対応などのマナーを学ぶ機会は、学校において、日常的にOJTで学べるものだと工藤氏は言います。しかし、現在の学校はこうしたことを学ぶ機会を失っているため、教員の中には不適切な電話対応などに、何の疑問も持たずに来てしまっていることがあると言います。工藤氏が示した「教職員心得」に、戸惑う教員も当初はいたそうですし、電話で自身の名前を名乗ることについては、「営業相手に名前を覚えられてしまう」と反発する人もいたそうです。しかし、営業の電話が困るなら、上手な断り方を身に付ければよい話だと彼は言うのです。

もう一つ、「教職員心得」に明記したのが、互いの呼び方です。学校では教員同士でも「○○先生」と呼び合うのが通例ですが、麹町中学校では、「校長」と「副校長」を除き、「○○さん」と呼ぶことをルール化しているそうです。これはかなりのカルチャーショックだったようで、当初は多くの教員が困惑していたそうです。

「先生」というのは本来、子どもの立場から見た敬称です。それなのに、子どもがいない職員室でも「先生」と呼び合うことに、彼は長く違和感を覚えていたそうです。また、自分のことも、生徒の前でも「先生はね」と話しかけることはなく、一人称は「僕」あるいは「私」「自分」と呼ぶようにしようとしているそうです。

工藤氏のような方が、学校における当たり前を見直し、様々な改革をしていくとすると、どうしても業務の煩雑さや、多くの事務仕事の無駄に気がつくはずです。今年の6月19日の日経新聞にこんな記事が掲載されていました。それは、「教員の仕事時間、小中とも最長 OECD調査」というタイトルです。それは、OECD国際教員指導環境調査の結果から、日本の教員の長時間勤務は国際的にみても異例であることが分かったというものでした。

日本の教員の1週間の仕事時間は小学校54.4時間、中学校56.0時間で、ともにOECD参加国・地域の中で最長だというのです。一方で職能開発にかける時間は小中とも最短だったそうです。中学教員の1週間の仕事時間のOECD平均は38.3時間で、日本は大幅に上回っています。また、部活動など「課外活動の指導」が平均1.9時間に対し日本は7.5時間と随分と長いようです。仕事の内容別にみると、日本の教員は事務や同僚との共同作業などに割く時間が多いというのも特徴だったそうです。「一般的な事務業務」は小学校5.2時間、中学校5.6時間で中学は平均(2.7時間)の2倍強です。その中で、研修などの「職能開発活動」は小学校で0.7時間、中学で0.6時間と随分と少ないようです。

OECDのシュライヒャー教育スキル局長は、「授業外でも生徒と交流し、個人的な絆を持てることは日本の教育の強みでもあるが、教員の負担は大きい。事務負担の削減など、できる限りの対策をとるべきだ」と話しています。

現在、日本では「働き方改革」が実施されていますが、それに対して、工藤氏は、業務を見直し、無駄な時間を減らすことが重要なのではなく、時間をかけるべきことにしっかり取り組むことが大切だと言います。麹町中学校では、業務の見直しを行うと同時に、校内委員会などはむしろ増やして、特別支援が必要な生徒や、悩みや問題を抱えている生徒への対応、その支援をしっかりと取り組むようにしているそうです。全体として、無駄を排し、取り組むべきことに取り組めば、精神衛生上もよくなると考えているのです。

職場の常識” への6件のコメント

  1. 子どもの前以外では、○○先生ではなく、○○さんという呼び方にこだわる理由や、自分のことを○○先生はから私や僕、自分などと名称を呼ぶ姿勢は、子どもたちと同じように一人の人間であり、知らないことを学ぶ仲間であることを感じさせる考え方でもあるように感じました。そして、OECD参加国の仕事時間や職能開発にかける時間の割合資料を見て衝撃でした。諸外国に比べて多いことは想像できましたが、こんなにも差があるとは思ってもいませんでした。ここにかける時間が「子どもに丁寧に対応している」という安易な見方は昨今ではできませんね。この時間を別の何の時間にあてるのかによって、目指す方向が決まっていきますね。

  2. 電話対応。これは保育園や子ども園でも気を付けたいところですね。私は電話に出る時、自分の名前は名乗りませんが、保護者からの電話で伝言を承る際、「副園長が承りました。担当職員に伝えておきますね。ありがとうございました。」というようにしています。当園の職員さんたちは電話に出る時は自分の名前を名乗っている職員もいればそうでない職員もいます。さて、「〇〇先生」という呼称。私は「〇〇先生」とか「〇〇さん」とその時々で呼び方が違います。自分がその時呼んで心地よい呼び方をしています。もっとも相手から「先生は止めてくれ」と言われたら止めます。それから、小中の先生方、本当に大変だと思います。いつからこんなことになったのでしょうか。私の義理の弟は中学校の教員です。いつも保護者対応に追われており、プラス本来業務の事務処理が重なり、本当に大変なようです。「業務を見直し、無駄な時間を減らすことが重要なのではなく、時間をかけるべきことにしっかり取り組むことが大切」この通りです。

  3. 先生という呼称についての疑問について目を通した後に、今日一日保育に当たりました。自身のことを先生、と呼ばずに過ごした一日は、何かとても子どもたちと対等の立場でもって話ができたように感じました。先生と自身を名乗ることで奢っていたような気持ちがあったのかもわかりません。一人の人間として子どもたちの前に出るとまた違った感覚が訪れるもので、この感覚はもしかして子どもたちとの間で必要な感覚だったのではないかと思い始めています。家に帰ればパパで、そう思うと一人の人間で色々な役割を与えていただいていたのだなと改めて思いました。役割を取り除けば一人の人間で、子どもたちと向き合う時は、一人の人間として向き合うことも大切なことなのかもわからないと思えてきます。

  4. 「先生」という呼称ですが、良くないと思うのですが、自分的には子どもたちからも「先生」と呼ばれることがあまり好きではありません。その理由は「先生」と呼ばれるような立派な半生を送っていないから。自分が子どもたちに言えることは「自分のような人間になるな」だと思っているからです。だからこそできることがあると言ってくださる人がいることで今の自分があります。制度を利用しての滑り込みでの保育士免許取得。多分、「先生」というレッテルの重みで保育士免許があるけどしてない、という人もいるのではないかと思います。自分のように「それでも必要」と言ってくださる人がいることで今日の保育士不足は解消する気がします。

  5. 書類作業が多いことの背景にはどのようなことがあるのでしょうか。学校という場所が兵隊養成所であることの名残が残っているならばより効率を求めるためには書類は減らすべきですし、より質の高いものを求めるためにしているのならば用意に改竄できる書類よりも直接監視すべきです。つまり世間体を整え見かけだけ立派にしとくためというわけでしょうか。もちろん本当に必要な書類もあるでしょうし、他に重要な背景があるのかもしれませんが、保育の現場も教育の現場も書類が多いと感じる今日この頃です。

  6. 「先生」という呼称については藤森先生も保育の起源の中で語られていますね。工藤氏は「子どもの立場から見た敬称」に違和感をもち、藤森先生は「大人同士の正しい言葉づかいではあるというのですが」と前置きした上で、それこそが「子どもを大切にする気風」と感じると言っています。その違いに面白さを感じます。また、教員の仕事量はこれまでもたびたびニュースに出てくる内容ですね。日本の教員の仕事時間はかなり長いといるのは有名な話ですね。「業務を見直し、無駄な時間を減らすことが重要なのではなく、時間をかけるべきことにしっかり取り組むことが大切だ」というのはまさにその通りだと思います。それは学校現場だけではなく、乳幼児教育の現場でもそうであり、ともすれば、お役所や企業においても「効率化」というのはこのことを言っているのだと思います。日本はとりわけ、書類文化であるので、そこから変わっていく必要もあるように思います。そして、なにより、「そもそも」何が本当に必要なのかを考える機会を持たなければいけないのでしょうね。

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