社会脳の全容

社会性とは、集団をつくって生活しようとするヒトの根本的な性質です。ヒトは、身体に比べて大きな脳をもちます。この背景を説明する考えとして、今福氏は、社会脳仮説を説明しています。

社会脳仮説とは、ヒトらしい理性にかかわる脳と言われている霊長類の大脳新皮質の大きさに着目しているそうです。以前ブログでも登場したダンバーについて書いています。ダンバーは、ヒトを含む霊長類が、顔を合わせてやりとりをする安定した社会的関係の個体数をダンバー数と呼び、霊長類の大脳新皮質の大きさとの関連を検討したのです。その結果、ヒトは、大脳新皮質の体積が霊長類の中でもっとも大きく、およそ150名と社会的関係を築くことを明らかにしました。つまり、集団で生活をしている私たちは、種の進化の過程である系統発生の中でより大きな脳をもつようになり、私たちの脳は社会的環境に適応するために進化してきたと言うのです。また、ダンバーは認知機能の観点から、ヒトを特徴づける要素として、他者の意図や心的状態を推測する能力、言語の使用をあげています。私たちは、進化の過程で獲得したこれらの認知能力を駆使して、他者とかかわり、現在の文化や複雑な社会的環境を築き上げてきたというのです。

近年、脳計測技術の発展にともない、社会性にかかわる認知機能である社会的認知の神経基盤、つまり社会脳の全容が明らかになりつつあるそうです。たとえば、他者の顔の情報を処理する紡錘状回、音声情報を処理する上側頭溝、感情の経験にかかわる扁桃体、共感にかかわる前皮質や前部帯状皮質、心の理論にかかわる内側前頭皮質、側頭極や側頭頭頂接合部などがあるそうです。社会脳は、実に様々な部位によって構成されているのですね。その中で、心の理論に関連する三つの領域は、総称してメンタライジングシステムとも呼ばれているそうです。メンタライジングとは、自分自身や他人の心について考えるための能力で、コミュニケーションに欠かせません。では、私たちが、他者とのコミュニケーションを円滑に行ううえで重要となる社会的認知や社会脳は、いつ、どのように発達するのでしょうか。

では、ここで言う社会的認知とは、何でしょうか。社会的認知には、他者の顔や声などの社会的刺激の知覚、模倣、心の理論、自己認識などがあるそうです。

近年提唱された社会的認知発達の理論として、ナチュラル・ペダゴジーがあるそうですが、しれはいったいどのようなものなのでしょう。ナチュラル・ペダゴジーを直訳すると、「自然教育学」というようなことのようです。ナチュラル・ペダゴジーは、生後すぐに養育者から赤ちゃんに行なわれる教示行動が、コミュニケーションの中で、自然に行われることから名付けられたそうです。これにより、幼い被教示者である赤ちゃんは、教示者である養育者から効率的効に知識を獲得するようです。

では、教示者から被教示者への効率的な知識の伝達は、どのようになされるのでしょうか。それを今福氏はこう説明しています。たとえば、モノの名前を教えようとするとき、養育者は赤ちゃんに対して顕示的シグナルを送ります。顕示的シグナルとは、養育者が赤ちゃんに対して行うアイコンタクトや対乳児発話などを指します。赤ちゃんは顕示的シグナルを知覚すると、これから学習が始まることを予期します。このため、顕示的シグナルは赤ちゃんの学習を促進すると考えられているのです。

社会脳の全容” への8件のコメント

  1. 人類は超社会的な存在であると以前学び、今回はその社会脳の発達について考察されていました。「他者の顔や声などの社会的刺激の知覚、模倣、心の理論、自己認識など」の社会的認知には、人と関わりを持つ上で必要な要素であり、それらを人類は生まれて間もない頃から培っていると認識するなら、ますます乳児期の保育者の関わり方が重要になります。具体的に述べられていた「顕示的シグナル」のように、アイコンタクトや乳児発話などの対象者がなにやらこちらに表現しているなぁと認識させることから始まることを意味しているように感じました。先日、赤ちゃんが産まれた友人宅を訪れると、赤ちゃんを見つめ「いつまでも見ていられる」「全く飽きない」などと言いながらも発話を促したり、目を合わそうとしていました。赤ちゃんにはそれを促す「かわいさ」があることを改めて感じます。

  2. ダンバー数は本当に参考になります。人口減少に悩む自治体が集合体の規模を考える時に大いに役立つ数だと思います。スケールメリットとはこのダンバー数の確保でしょう。多ければ多いほど良いということとは違うような気がします。また、ナチュラル・ペダゴジーという概念にも興味を惹かれました。「生後すぐに養育者から赤ちゃんに行なわれる教示行動が、コミュニケーションの中で、自然に行われることから名付けられた」とあります。一瞬、森の幼稚園ならぬ森の保育園か、と思ってしまいましたが、そうではなかったですね。教示行動が自然に行われる。ペダゴジーとは「効率的に知識を獲得する」ことなんですね。教える人から教えられる人へ。子ども同士の間にもこの「ペダゴジー」は成立すると思った次第です。ペダゴジーは教授というニュアンスが強すぎます。しかし、教育学の世界では長年使用され続けてきた概念でもあります。いずれにせよ、ナチュラル・ペダゴジー、新しい概念を効率よく獲得できたと思います。

  3. 「顕示的シグナルは赤ちゃんの学習を促進する」こちらが伝えたい、教えたいということを赤ちゃんは察知してその準備をしてくれるということで、そう思うとやはり目と目を合わせての対話ということの重要性を感じてしまいます。携帯を見ながら注意したり、何か言っても意味のないことの理由がわかる気がします。同時に赤ちゃんの頃から備わっているそれはきっと少し大きくなってからも無くならないはずで、そう思うと幼児クラスの子どもたちの言動も、何か理由や理屈で理解できる何かがあるのではないかと思えてきます。そして、何かを伝えたい時に、顕示的シグナル、目と目を合わせての対話のような、心の通い合いのようなやりとりをしているだろうかと考えさせられます。

  4. 人は人と関わるために生まれてきたといっても言い過ぎではないのではないか、と思うくらいに人と関わるための機能が人には備わっているということを感じます。
    高校を出てから車の生産工場勤務していましたが、人と関わることのない仕事で、夜勤もあるという心身にとっても過酷な仕事だったのを改めて思いました。一番辛かったのが一日誰ともしゃべることがない日があること。
    その反動で今の仕事に就いたと言ってもいいのではないかと思います。つくづく、繋がっていることを感じました。

  5. よく考えてみると人間が持つ相手を察しようとする力というのはかなりすごいものなのでしょう。無理して笑っているように見えた、気丈に振る舞っている、嫌いな人とも笑顔で会話する、などといった表面と内面で違う姿をしていても察することができる人はいますしそれが誰もが持たない特別な能力というわけでもありません。これほどまでに複雑で効率的ではないものを持ち合わせながらそれを失わずにここまで進化してきたということはこの力が人間にとってとても重要なものということがわかります。

  6. 人間は社会の中で育つ動物であるというのはこれまでもこのブログにおいて紹介されていました。赤ちゃんの部屋に行ってみると、即座に目が合うことが多いように思います。そして、興味があると寄ってきますし、様々なものを差し出したり、差し出されたものを受け取ったりと、特に意味はないようなのですが、とにかく「やってみる」といった超行動的な学びをしているのかなと感じることが多くあります。「ナチュラル・ペダゴジー」はそんな赤ちゃんと教示者とされる養育者との間にある知識のやり取りがあるのですね。また、赤ちゃんを見ているとよくいる担任の先生とたまに来る職員とはやはり関わりに差があるようにも思いますし、赤ちゃんなりに人を使い分けているのは信頼関係を中心として、学ぶ人を選んでいるようにも思います。そして、その信頼関係は顕示的シグナルと関係があるようにも思います。

  7. 「顕示的シグナルとは、養育者が赤ちゃんに対して行うアイコンタクトや対乳児発話などを指します」とありました。まだ詳しく知っていないので、ぼんやりとではありますが、この感じ分かるような気がします。今からあなたに話をするよということを子どもに表情や態度で伝えていますし、単純に「これが〇〇という名前だよ」と教える時もそのものにこちらも注意を向けることで、子どもがこのことをそれと言っているんだなと分かるようなやりとりがあります。とても当たり前にやってはいますが、かなり高度な能力でもあるのかもしれませんね。子どもはこちらの意図すること、何を考えているか、やろうとしているのか理解しているということになる訳ですからすごいなと思います。

  8. 「顕示的シグナル」新しい言葉を聞きました。オムツを替える時に赤ちゃんの顔を見て気持ちわるかったでしょ?気持ちよくなったね!と言うこと繰り返すことで快と不快を認識し、排泄の自立へ繋げると藤森先が言われている事でしょうか。あとは赤ちゃんの顔を見て話すのと、見ないで話すとでは反応がまるで違うというのも聞きましたが、やはりアイコンタクトのように目と目を合わせるということ、特に乳児の時期は大切なのでしょう。さらに養育者だけでなく、自分と似たような存在、子ども集団で互いに見合う事で学んでいるのでしょうね。

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