新しいカタチ

このように、様々な改革や取組みをしてきた麹町中学校長の工藤氏は、これからの激しく変化する時代において、学校や社会はどのようにあるべきかと考えているのでしょうか?

いま、政治家の失言やスキャンダル、企業の不祥事、凶悪で卑劣な犯罪など、世の中にはネガティブなニュースがあふれています。子どもたちのところにも、テレビやネット、スマホを通じて、そうした情報が日々流れ込んできます。「世の中はろくなもんじゃない」「大人になんてなりたくない」と感じている子どもたちが多いのではないかと工藤氏は心配しています。しかし、こうした報道は、実社会の一面を映し出しているに過ぎないのも事実だと言います。彼は、私たちの身の周りに目を向ければ、自分らしさを発揮しながら活躍するモデルとなる大人はたくさんいると言います。そうした魅力的な大人に触れる機会をたくさん作るようにしているそうです。

教育会では近年、子どもたちの「自己肯定感の向上」が課題として指摘されています。これは、工藤氏の課題意識と共通するところだそうですが、「自己肯定感」という言葉がやや堅くて難解で、一般の人には通じにくいものだと感じていると言います。彼は、もっと分かりやすい言葉で、生徒たちに伝えたいと思い、以前にも書きましたが、麹町中学校の最上位目標を彼は、「すべての子どもたちが『世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!』と思える学校」に設定したのです。

そのためにも、子どもたちを自律させることが大切だと考えたのです。何か課題に直面したとき、どうすれば解決できるかを自らの頭で考え、周囲を巻き込みながら解決へと導いていく。そうした力を養うためには、前提として「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」と思える環境作りをしていくことが不可欠だと彼は考えているのです。「世の中はろくなもんじゃない!大人なんてなりたくない」と考えているような人間は、自力で解決する姿勢を放棄し、誰かのせいにするからだと言うのです。

子どもたちが自律し、「早く大人になりたい」と思うためには、私たち大人が子どもに手を掛けすぎず、自分で考え、判断、決定、行動させる機会を与えることが大切だと訴えます。宿題や定期考査の全廃、固定担任制の廃止などは、そうした狙いのもとで行なったそうです。子どもは、大人がきめ細かに手を掛ければ掛けるほど自律できなくなることを、大人たちは今一度、全員で認識する必要があると彼は考えているのです。

もちろん彼は、宿題や定期考査を全廃したからといって、決して学力を軽視しているわけではないですし、生徒たちが自分に合った進路を選べるように、最大の支援は行なっています。しかし、主要5教科を中心とした学力だけが、そのままこれからの社会で通用する尺度になるとは考えていないと言います。対立を解決する力や感情をコントロールする力、見通しを持って行動をする力、多くの人たちと共に問題解決をする力などが備わっていなければ、どこかで壁に阻まれると考えているのです。

こうした非認知スキルを育てていくためには、それが身についたかどうかを測る「ものさし」が必要だと考えます。

新しいカタチ” への6件のコメント

  1. 中学生の皆さんに「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」と思ってもらえるように私たち大人はまず振舞わなければなりませんね。理不尽が当たり前で、その理不尽を耐えてこそ大人なんだと思われるようでは「大人って結構素敵だ!」にはならないでしょう。おそらく工藤先生は保護者の皆さんに伝えているのでしょう、「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」と。子どもが世の中を認める時、大人を素敵だと思える時、その時を生徒に保障するため「自分らしさを発揮しながら活躍するモデルとなる大人」「魅力的な大人に触れる機会をたくさん作る」という工夫はとても良いと思います。しかし、子どもたちにとって身近な大人とは自分の両親であり、学校の先生たちです。そして彼らにとって身近な世の中とは彼らが目を覚ましてから寝るまでの世界です。「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」は生徒たちより前に私たち大人が嘘偽りのない心で実現させていくべきことだと思うのです。

  2. 「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」という環境を作ることこそ、昨今注目されている“働き方改革”の一つであるようにも思います。「大人って結構素敵だ!」と考えている大人には、少なくとも輝きと明るさがあります。そのような姿で働いている大人を見て育つのと、見ないで育つのとでは雲泥の差があると思います。これが、工藤氏の言う「魅力的な大人に触れる機会」なのでしょうね。そして、バッドニュースを取り上げる各局メディアにも、視聴率を取らないとと言う大切な目標がありますが、そもそもハッピーニュースよりもバッドニュースの方を好む人間の気質見たいなものもあるのでしょうね。話のネタとしても、盛り上がるのはバッドニュースです。私は現在、TVのない生活を試みています。勝手に入ってくる情報ではなく、自ら取りに行く情報を大事にしてみようと思ったからです。TV離れは、このようにして進んでいるのですね。

  3. 朝ご飯時にテレビをつければそういったニュースの連続で、子ども番組や子どもが見ている動画やテレビゲームの方が余程子どもの為にはいいのではないかと思えてきてしまいます。ニュースとは本来そういうものだったかもわかりませんが、そういうニュースの連続だからこそ、テレビよりも動画よりも身近にいる生身の大人は、子どもたちの希望でありたいものです。今日も仕事をして、家に帰って家族で夕ご飯を食べることが何よりの楽しみですが、楽しそうに仕事に行き、そして楽しそうに家に帰ってくる。それが僕から子どもたちにできる殆ど唯一の教育なのではと、最近は思ったりしています。

  4. 先日祖母に会う機会があったので、子を思うあまり干渉しすぎていきる力を奪う親とネグレクト気味に放置していきる力を勝手につけさせた親とどちらが虐待だと思うか、という質問をしてみましたが祖母は答えられませんでした。なにしろ祖母はなんでもやってあげたがるいわゆる過干渉な親だったからです。ただここで面白い例を挙げるならば、祖母の娘つまり私の母親は過干渉な祖母が鬱陶しくなり親離れしいきる力をつけたそうです。つくづく人というのは面白い生き物だと感じた場面でした。

  5. 〝子どもは、大人がきめ細かに手を掛ければ掛けるほど自律できなくなることを、大人たちは今一度、全員で認識する必要がある〟とありました。きめ細やかに手をかけることが良しとされていた時代もあったように思います。ですが、近年研究が進み、昔は良しとされてきていたものがそうではない、ということが次々と明らかになっていますね。大人たちはそのような情報にこそ興味をもち、主体的に取り入れていくべきなんでしょうね。

  6. 藤森先生が以前、小学校の道徳の授業でイチロー選手を題材にした授業の紹介をしていたのを思い出します。そして、「努力をしたから立派な選手になったのではなく、野球がうまくなってすごいプロ野球選手になりたい夢があったから努力したんじゃないのかな」と言っていたのを思い出しました。これも目的と手段を取り違えている結果の話と同じで今の社会「何のために必要なのか」と考えることもなければ、その実感もないような環境なのかもしれません。よく学生時代でも「勉強って本当に必要なのか?」ということを言う友だちはたくさんいました。大人の引いたレールの上を走るばかりではなく、「私たち大人が子どもに手を掛けすぎず、自分で考え、判断、決定、行動させる機会を与えることが大切だと訴えます。」と言っているような環境をつくることが本来は必要なのでしょう。それこそが子どもの主体性なのだろうと思うのですが、その環境作りこそがいま求められているのだと思います。そのために、大人の先入観や子ども観は一度変えていかなければいけないですね。

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