心が育つ環境

ベビースキーマをもつ対象は、見る人に「かわいい」と思えると同時に「近づきたい」などの接近動機を高めるようです。たしかに、かわいい動物を見ると、「なでたい」「だっこしたい」などと思って、対象に近づいてしまうものです。かわいいと感じることで、対象にポジティブな価値を見出し、社会的関与が同期付けられると言われています。このため、赤ちゃんを見ると養育の動機が生じると考えられているのです。

ところが、赤ちゃんはいつもかわいいわけではないようです。ある研究では、無表情の赤ちゃんよりも、笑顔の大人の方がよりかわいいと評定されたそうです。つまり、笑顔であることがかわいい感情に影響するようです。たしかに、大人は赤ちゃんが笑顔だと嬉しくなりますが、泣いているときには不安を覚えます。大人が赤ちゃんをかわいいと感じ、養育したいと思うには、赤ちゃんの笑顔が重要であるのかもしれません。ということは、泣いてばかりいる赤ちゃんに対してイライラするのは特別なことではないのですね。誰でも、いつでも、赤ちゃんはかわいいと思わないといけないと自分を責めるのは、思い込みかもしれません。

次に、今福氏はヒトの心が育つ環境について考えています。生物学者のアドルフ・ポルトマンが自立して生活できない未熟な状態で生まれることを表す概念として「生理的早産」と呼んだように、ヒトの赤ちゃんは非常に脆弱な状態で出生します。

動物は就巣性と離巣性に分けられます。就巣性は、リスやウサギなどのように、妊娠期間が短く多産で生まれる種のことを指し、離巣性は、ウマやゾウなどのように、妊娠期間が長く原則一個体で生まれる種のことを指すそうです。ポルトマンは、ヒトが未熟な状態で生まれる就巣性と、出産児の数が少なくなる離巣性の双方の特徴を併せもつことから、ヒトを二次的離巣性であるとしたそうです。その理由として、1つには、ヒトの脳が巨大化したこと、そして、二足歩行のために骨盤か狭くなったという二つの条件から、赤ちゃんを未熟な状態で出産する必要があったと言われています。また、体毛の希薄化により、ヒトの赤ちゃんはチンパンジーのように自力で大人のお腹や背中にしがみつくのが困難になりました。ヒトの大人は、赤ちゃんを抱っこするか、どこかに寝かせなければなりません。これにより、親子で顔を合わせて子育てをするようになり、コミュニケーションの形態がより複雑に変化してきたと考えられます。

では、そんな未熟で生まれた赤ちゃんを、誰が育てるのでしょうか。このことは、私がよく話をすることですが、ヒトの子育ては、「共同養育」という形態をとったと言われています。共同養育とは、お母さんだけが子育てをするのではなく、お父さん、祖父母、血縁関係のない人も含めて、一人の子どもを育てることです。このように子育てを分担することで、お母さんに負担が集中することがなくなります。

お母さん以外も子育てをする共同養育のことを、専門用語ではアロマザリングと呼びます。アロマザリングの考えでは、赤ちゃんはお母さん以外の人にも愛着(アタッチメント)を形成すると考えられます。愛着とは、特定の人に対して形成する特別な情緒的結びつきとしてBowlbyが提唱しました。また、愛着行動は赤ちゃんから愛着対象へ接近を求める行動のことを指し、後追いや笑顔、発声、人見知りという愛着対象以外の人に対する回避的な行動などがあります。赤ちゃんは、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、保育者などにも愛着を示す可能性があるのです。ここで、私が注目するのは、「赤ちゃんから愛着対象へ接近を求める行動」であるということです。

心が育つ環境” への5件のコメント

  1. 確かに、赤ちゃんに泣かれると困ります。親だって泣き続けられるとほとほと困ります。親でもイライラしてくるでしょう。ましてや他人様にとっては、もうどうしてよいかわからなくなってしまいます。ベビーシッターや乳児保育者による虐待は世界のあちこちで問題視されています。子どもがいつも笑顔でいれば虐待は起こらないでしょうが、ギャアギャア泣かれたら正気を失ってしまうことがあるのかもしれません。仕事とはいえ、私の勤める園の先生たちは泣きを客観的に捉え適切に対処し、子どもたちを笑顔にもっていきます。なかなか時間もかかるのでしょうが、そこは忍耐強く、その子を丸ごと信じて保育にあたります。素晴らしい。「愛着行動は赤ちゃんから愛着対象へ接近を求める行動のこと」とあります。愛着形成の主体は赤ちゃん。ということは、育児担当制が赤ちゃんの愛着形成とは何の関係もないことを意味します。赤ちゃんたちと一緒にいる保育者はいつでも彼らの愛着の対象でいることを意識すべきでしょう。そして、赤ちゃんの愛着対象は自分たち保育者だけではなく、おもちゃであったり、他の子どもたちであったりすることを認識しておく必要がありますね。

  2. 赤ちゃんにとって、かわいくないと思われることは言葉はきついですが死活問題なわけです。そんな中、泣いたりイライラさせてしまうというリスクを背負いながら、いったい何をさせたいのでしょうか。それを乗り越えた先にこそ、本当のかわいさがあるのでしょうか。それとも、そのリスクと隣り合わせで毎日生きているということでしょうか。そう考えると、赤ちゃんが実にチャレンジャーであることが想像できます。脳の巨大化や二足歩行を選択したことで生理的早産を余儀なくされた人類ですが、歩けることによって自分からより多くの人との関わりを持てるようになりましたと思います。まだ歩行できない乳児にとっても、後追いはその前段階ということでしょうか。愛着は、受ける側ではなく、当事者が感じるものであることを理解しました。

  3. 「誰でも、いつでも、赤ちゃんはかわいいと思わないといけないと自分を責めるのは、思い込みかもしれません。」笑顔の重要性を改めて感じると同時に、赤ちゃんに対する思いへの刷り込みもまた解けていくような内容です。可愛い時もあれば可愛くない時もあって、人間と対応するというのはそういうことなのかもわかりません。共通するのは、自分のキゲンの良い時は赤ちゃんがどう喜怒哀楽を表現していても可愛いと思えるわけで、自分で自分のキゲンをとる、自分の好きなことや楽しみを知っている、というような、コロコロと変わりやすく思える心のコントロール術を身につけることもこの仕事の専門性の一つと言えるかもわかりません。

  4. 〝赤ちゃんはいつもかわいいわけではないようです〟とあります。赤ちゃんはいつもかわいいというのも子育てをするようになると、そうでもないことが分かりました。赤ちゃんがいつもかわいいというのは幻想でした。意外とどうしていいか分からない、泣き止むか分からなくなってしまうこともしばしばでした。大人から赤ちゃんがかわいいと思われなくなり、お世話しようと思ってくれなくなるくらいに泣くと、赤ちゃんにとっては命も危険な状況に陥るかもしれないのに、何をそんなに訴えているのでしょうか。赤ちゃんにとって、それほどにまで大切な何かなのかもしれませんね。

  5. 赤ちゃんはかわいいと思われなければ生存が難しいので本能的にかわいいと思われるようなことをし、大人は赤ちゃんをかわいいと思わなければ子孫を残していけないので本能的にかわいいと思う、ということですね。好意の返報性などもそれににた類いのものなのでしょうか。ただまれにかわいいと思えずネグレクトを起こしてしまう家庭があるようですがそれは何が欠如したことによるものなのでしょうか。

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