子ども時代

実は女の子は、以前にも男の子にシャベルとバケツを貸してあげたことがありました。男の子はそれを使って遊ぶのに夢中で、とうとう公園を出るまで、シャベルとバケツを返してくれなかったのです。先ほどの場面で女の子が「嫌だ」と拒否したのは、なかなか返してくれなかったことを覚えていたからでした。

改めて、この場面に親が介入しなかったらどうなっていたかを想像してみましょう。男の子が女の子に「シャベルとバケツを貸して」と言います。すると女の子は「嫌だ」と拒否します。「どうして?」と尋ねる男の子に、女の子は「だって、貸したら返してくれないから」と答えます。

男の子は、それを聞いて葛藤するでしょう。そして、遊ぶのに夢中でシャベルとバケツをなかなか返さなかった自分の行動が、相手にとって「嫌な行為」だったと知るのです。その上で男の子は「今度はちゃんと返すから、貸してよ」と、再び交渉するかもしれません。こどもたちはこうして、社会というものを学んでいくのです。

子どもたちの間に生じた小さなトラブルの種を見て、親はついよかれと思って介入してしまいます。しかしそれは、子どもの学びの機会を奪っている可能性があります。「トラブルから考える」という機会を奪い、自律の術を失わせてしまうのです。そんなことが日常あふれていると工藤氏は語っているのです。

さらに、工藤氏はこう語っています。自分も子育ての当事者としては同じようなことをしてきたと振り返ります。「親はどうしても『~すべきだ!』という子育てのフレームを作ってしまうものだと思います。人には優しくすべきだ、人には貸してあげなきゃいけない…。それはもちろん大切なことなのですが、より重要なのは『子どもが自律的にそれに気づけるか』と言うことなんです。」

この話から、ライターの多田氏は、こう書いています。

「誰もが子ども時代を経て大人になる。その過程では、さまざまなことに葛藤を覚え、傷つき、ときには深く沈み込みながらも次のステップへ進んでいく。自分の頭で考え、行動して得た結果は、良くも悪くも『学び』『経験』として自分の財産になっていくものだ。しかし私たちは、大人になると同時にそうした自らのプロセスを忘れてしまうものかもしれない。子どもが歩いていく先に何が待っているのか。何となく予測できるから、何となく制止してしまうこともある。それが『かすり傷』程度の危険であっても。」

多田氏は、「『目的思考』で学びが変わる」(ウェッジ)の本の最後に、工藤校長のこんな言葉で結んでいます。

「うちの息子がまだ1つか2つの、歩き始めたばかりの頃。道で思いきり転んでも、私はできるだけ慌てず、駆け寄ることもしないようにしていました。そして、自力で立ち上がった息子に満面の笑顔を見せてやるんです。親が慌てると、子どもは泣きます。トラブルがあったときに親が慌てると、子どもは『一大事だ』と感じてしまうから。面白いもので、転んでも親がどっしりと構えていれば、子どもは泣きません」

現在、中国、シンガポールで「見守る」という子どもと大人との関係が広がっています。シンガポールでは、それを「Watching & Wait」と説明しています。

子ども時代” への5件のコメント

  1. 男の子と女の子の事例は、少子時代を象徴する親子の関わりのように感じました。一昔前は、きっと親よりも地域の子どもたちの中で何気なく行われてきた、特に誰も干渉しない例でもあるかもしれません。親が、その子の意見を聞かずに、世間体のみを優先させる子育ては、子どものことを思っているようで反対のことをしているのですね。このへんのギャップというものを修正させるためにも、乳幼児施設の持つ役割が重要になっていることを感じます。また、「トラブルがあったときに親が慌てると、子どもは『一大事だ』と感じてしまう」というのも、大人の場合でも飛行機内のCAさんの動向を気にするように、子どもは親や大人の動向からことの重大さを理解しているということがわかります。そして、問題に対して冷静に対処している大人の姿を見せることを意識する必要があるのですね。

  2. 子どもたちのそのような場面に多く立ち会う毎日の中で、今まさに丁度その瞬間が訪れた、というタイミングでお迎えの保護者が来られる、ということも稀にあります。その時に見てほしい、見守ってそれまでの過程を、そしてその後の経過を話したい、と思いながらそれが出来るのはやはり日頃のコミニュケーション量で、それが難しい保護者程やはり介入していきます。介入しながら、なぜ園の先生はうちの子が困っているのに助けてくれないのだろう、と考えているのだろうと感じます。日本においての保育士という仕事の社会的な位置付けをこのような時に痛烈に感じてしまうのですが、この専門性を、伝わる保護者だけに伝えることだけでいいのだろうか、というジレンマとの葛藤は、それもこの仕事の仕事たる部分なのだろうと解釈しては慰めたりしています。

  3. 親ならこうしなければならない、ハウツーが巷に氾濫しています。あるいは、親ならこれをやってはいけない、ハウツーも。少子化になった今、生まれてからのスタートダッシュこそ子の成功を保証すると思っている親が多いような気がします。子が失敗したり不幸になったりすればいいと思う親はほとんどいないと思いますが、子の成功や幸せを思う余りあれやこれや介入しすぎる親も多いような。わが子のことを信じて出しゃばらない、まさにWatch & Wait。紹介された男の子と女の子のやりとり。親が介入しなかったら。園のピーステーブルでの子どもたちのやりとり。子どもたちなりに緊張と葛藤の中、互いに折り合いをつけながらその時を過ごしているのでしょう。そして自分の力としているのでしょうね。子どもに「勉強しなさい」と言う前に親が勉強しているべきです。子どもに「早く」と言わなくてもよい時間管理を親がすべきでしょう。親の方からあれこれ言わなくても言いたくなったら子どもの方から言ってくる。それでいいと思っています。

  4. 男の子と女の子の事例で親が子どもにいう「貸してあげなさい」や「『ありがとう』と言いなさい」というのはほとんどが相手の子どもの親に向けて言っているのではないかと思います。世間体を気にして。一昔前は兄弟間や近所の子ども間で行われていたやりとりの数々ができないから、親がみていて、子ども同士遊ばせようとすると、世間体が気になり、つい介入してしまう。やはり、子どもだけの集団の必要性がありますね。それがあることで一気に解決してしまうことがたくさんあるように感じます。親もみなきゃいけないから介入してしまいたくなる。今の世の中、お互い大変ですね。

  5. リンカーンの言葉にも、転んだことに関心があるのではなくそこから立ち上がることに関心があるのだ、とあるように転んだあとの行動を自分で選び決めるということが大事なのですね。失敗にめげず再び立ち向かうのか、失敗から教訓を得て別の道を歩くのか、失敗をいつまでも嘆き続けるのか、どの道を選ぶにしても自分で決め行動することがその後の選択にも、さらには人生にも影響を与えていくのでしょう。

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