最適な手段

なぜ、学校は、人が「社会の中でよりよく生きていけるようにする」という本来の目的を見失い、そこで行われている教育活動と実社会との間に乖離が起きているのかというと、「手段が目的化」してしまっているからだと工藤氏は言います。つまり、子どもたちに必要な力をつけるための「手段」であるはずの学習指導要領や教科書が「目的」となり、消化してこなす対象となってしまっているのだと言うのです。その勘違いは、よく見られる服装指導などにも見られると言います。そもそも、こうした「規則」は教師がそれほど一生懸命になって守らせる必要があるものでしょうか、教育の優先順位から考えて、上位に位置付けられるものなのでしょうか?と疑問を持ちます。

では、最適な「手段」をどう構築していけばいいのでしょうか?彼は、固定概念にとらわれず、上位の「目的」を見据えながら、最適な「手段」を見つけ出すことだと言います。工藤氏がこのようなことを言うと、よく麹町中学校だからできるのだとか、子どもの質、保護者の質がいいからできるのだと言う人がいます。しかし、彼は、全国、どこの学校でも取り組めること、取り組むべきことがたくさんあり、それは、あなたの学校でも必ずできることだと言うのです。

かつての学校は、時代の最先端にあり、教員もまた、社会の変化に最も敏感な人たちでした。また、教員の多くは教えるプロとして人材育成に長けて、子どもたちと共に、「組織」について考え、人を動かすことの難しさもよく知っている存在でした。今でもそうでなければならないと工藤氏は言います。

彼は、まず、目的と手段の観点から見直しを提案しています。そこで、ただ「こなす」だけになっている「宿題」についてです。その目的は、「子どもの学力を高めること」「学習習慣をつけること」と答える人が学校関係者、保護者に多く見られます。しかし、本当にその目的は達成されているのかと彼は問うています。

自ら学習に向かう力をつけて、学力を高めていくには、自分が「分からない」問題を「分かる」ようにするプロセスが必要ですが、多くの宿題においては、そのことが欠けているというのです。すでに分かっている生徒にとっては、宿題は無駄な作業で、わからない生徒にとっては重荷になっていると言います。

彼は、「分からない」ことが「分かる」ようになるためには、二つの作業が必要であると言います。一つは、分からないことを聞いたり、調べたりすることです。二つ目は、繰り返すことで定着させることだと言います。そして、定着させる方法は、自分の特性に合った方法を見つけることだと言うのです。そして、その適した繰り返しの方法こそが、その人の生涯を支えるスキルとなっていくと言うのです。

かねてから宿題の存在意義に疑問を持っていた工藤氏は、赴任2年目に、夏休みの宿題をゼロにし、その後、段階的に宿題をなくしていき、4年目には、全廃に踏み切るのです。そして、疑問や抵抗感を示す教員にはこう説明をします。「批判や誤解を恐れずに言えば、教員が宿題を出すのは子どもたちの『関心・意欲・態度』を測り、評価の資料とするためではないですか。もっと私たちは専門性を発揮しないといけない」と。