間違った見方

なぜ私たちはこんなにも長く赤ちゃんについて間違った見方をしていたのでしょう?4歳以下の幼児(この記事ではこの年齢の子どもについて述べる)をぱっと見ただけなら、たいしたことは何もしていないと思えるでしょう。なにしろ、赤ちゃんはおしゃべりができません。5~6歳の子どもですら自分の考えを言葉で表現するのが上手いとは言い難いです。平均的3歳児に自由に答えさせるような質問を投げかけると、ある意味面白いですが、思いついたことを連ねただけの不可解な独り言が返ってくるでしょう。

この分野の先駆者であるスイスの心理学者ピアジェなどの初期の研究者は、子どもの思考自体が不合理で非論理的、自己中心的で、原因と結果の概念すらない咽果関係がわかる以前”のレベルだと結論づけたのです。

1970年代後半になると、新しい手法として、赤ちゃんや幼児の話の内容ではなく行動に注目するようになりました。赤ちゃんは予測できることに比べ奇抜で予想外の出来事を長く見つめるので、そこから赤ちゃんがどんなことが起こると期待していたのかがわかるのです。そして、積極的な行動を調べれば、より強力な証拠を得ることができます。何に手を伸ばし這って近づこうとするのか、周りの人々の行動をどのように真似るのかを観察するのです。

幼い子どもは自分が思っていることを言葉で人にうまく伝えられませんが、実験者が注意深く工夫すれば、そこから子どもの考えを引き出すことができます。例えば、ミシガン大学アナーバー校のウェルマンは、子どもが自然に口にする会話を録音して分析し、子どもの考えを知る手掛かりとしました。よく的を絞った質問をする方法もあります。例えば、自由回答式ではなく2択の質問をするのです。

1980年代半ばから1990年代にかけてこのような方法を使って研究が進められ、赤ちゃんが周りの世界についてかなりの知識を持っていることがわかりました。赤ちゃんは、“今”や“ここ”の枠にとらわれない考え方ができるのです。

イリノイ大学のベイラージャンやハーバード大学のスペルクらは、幼児が運動の軌跡や重力、中に何が入っているかなどの単純な物理的関係を理解していることを発見しました。子どもは物理的に自然な出来事よりも、固い壁からおもちゃの自動車が現れるといった不思議な現象をより長い時間見つめるのです。

3 ~4歳になるころ、子どもは生物学的な基礎知識を得て、成長や遺伝、病気について理解し始めるということがわかりました。このような理解力があることから、子どもが見た目より深いところから物事について推論しているのがわかると言います。ミシガン大学のゲルマンは、幼児が動植物の“本質”に気付いていることを発見しました。生物には、外見が変わっても変わらない、目に見えない芯のような存在があると、子どもは理解しているのだと言うのです。

赤ちゃんと幼児が知っていることで最も重要なのは、他者に関する知識です。ワシントン大学(シアトル)のメルゾフは、新生児でも人間は特別な存在であることを理解していて、人の表情を真似ることを示しました。

間違った見方” への7件のコメント

  1. 今回のブログでも、ホーッ!と気づかされるところがあります、それは、赤ちゃんの有能さに関して、実証研究がさまざまにあるということです。そして今回のブログで最も衝撃を受けた文は「新生児でも人間は特別な存在であることを理解していて、人の表情を真似ることを示しました。」というところです。そうです、真似は新生児から見られるということです。つまり、真似ることこそが人類の特徴であるということがわかります。Imitateの当り前さ。かつて「猿真似」などと言われたことがあります。しかし、藤森先生からの受け売りですが、猿は真似ない、よって猿真似はない。すると、ホモサピエンスの真似るという行為こそがホモサピエンスをホモサピエンス足らしめている。これは前回のブログで触れた「人間の本質」に関わりますね。どうやら私たちはこのようにして赤ちゃんの真実から人間の本質を知り得るという縁を頂けるようです。これからがますます楽しみですね。

  2. これまで、多くの新しい子ども観を耳にしてきましたが、乳児の「“今”や“ここ”の枠にとらわれない考え方ができる」、幼児が「単純な物理的関係を理解している」といった研究結果など、今この瞬間も子ども観が変わりつつあり、塗り替えられていることが想像できます。子どもは無能な存在としていた時代から、実は多くを理解していながらも、それを表出していることを大人が把握できていなかった、また、そのような環境を用意しようとしてこなかった背景があることを理解しなくてはと思います。そして、乳幼児に「他者に関する知識」の存在がでてきて、人が存在する上でもっと大切な要素であることがわかる視点でもある気がしました。

  3. 先生の本で赤ちゃんは算数ができるということを知った時の驚きを思い出します。その時の頭はきっと白紙論だったのだろうと今になって思います。保育士を続けていながら、赤ちゃんと直接接したのは自分の子が生まれてからで、そしてそのタイミングで0歳児クラスを担当することができたことはとても有り難いことでした。この度の内容を受けても素直に納得してしまいますし、証明されていないだけできっともっと凄い能力を秘めているのだろうと想像してしまいます。宇宙のようなものの探求に似ていて、あまりにも身近で、あまりにも神秘的な存在である赤ちゃん。そして何より可愛いことが一番神秘的です。

  4. このようにしてみてみると、改めて赤ちゃんというのは能力を備えて生まれてきているということが感じられます。多分、もっともっと知らない能力を備えているということがこれからも証明され続けていくのでしょう。
    読んでいて思いましたが、子どもが大人に分かるように表現をしないのはなんででしょう?そこにも深い理由があるのかもしれません。もしかしたら、大人に分かってもらおうと考えていないのかもわかりません。子ども同士で通じ合っていればそれでいいのかも…。そう感じさせる子どもの姿が確かにあるように思います。いろんな想像が頭の中を巡ります。

  5. “今”や”ここ”にとらわれない考え方を乳幼児期には持っていたのに私はいつそれを失ってしまったのでしょうか。子供がおままごとやブロック遊びなど、空想を広げて遊ぶとき、よくもまあそんなことを思い付くな、と思うようなことを発言したり形にしたりしますがそれは今やここに囚われていないだけでシンプルであることが多いような、とらわれなければ当たり前であることが多いような気がします。

  6. 子どもの研究が盛んにおこなわれている中、様々な研究実践が行われていたのですね。はじめは自由回答の形での観察から、二択の質問形式に変わることでより具体的な研究が進められてきたということがわかります。また、子どもに質問するにおいても、自由回答で聞くと、黙り込んで、なかなか聞き出せないことがあるのはよくあることです。その反面、いくつかの選択肢を用いて聞いてみると意外としっかりと考え選んでいる様子を見ることがあります。赤ちゃんや子どもが能動的なものとして捉えられることも、最近であったり、他者との関わりもなかなか理解されない中、こういった研究を踏まえて、子ども観が見直されていくというのは必要なことなのだと思います。そして、こういった研究を受けて、現場がどう利用していくのかをしっかりと見通していかなければいけませんね。

  7. 「新生児でも人間は特別な存在であることを理解していて、人の表情を真似ることを示しました」とありました。このようなことを生まれながらに理解している赤ちゃんの素晴らしさに感動すると共に、このことを研究の結果として示す方法を考える研究者の方の努力や発想にも驚かされます。感覚として分かっている。そうであると思われるではいけない世界だと思うので、それをなんとか結果として表さなければいけないということはとても大変なことですね。乳幼児の研究がもっと盛んになることで、私たちが思ってもみなかった子どもの力がこれからどんどん解明されるような未来がこれからやってくるのでしょうか。どのような展開になっていくのか楽しみです。

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