立場に身を置く

1996年に、現在ワシントン大学にいるレバチョリとゴプニックはある発見をしたそうです。18カ月児は他者が自分とは違うものを欲している場合があることを理解できるということです。

実験で、 14カ月児と18カ月児に生のブロッコリーが入った器と金魚形のクラッカーの入った器を見せ、それぞれをいくつか食べてまずそうな顔か、おいしそうな顔をして見せたそうです。手を出して「少し私にくれる?」と尋ねると、18カ月児は自分用にクラッカーを選んでも、実験者がプロッコリーをおいしそうに食べたときはプロッコリーを渡してくれたそうです。ただし、14カ月児は常に実験者にクラッカーを渡したそうです。

このように、これほど幼い子どもでも完全に自分本位ではなく、立場に身を置くことができるようです。4歳ごろまでに、人々の心理についての理解をさらに深めるようです。例えば、ある人が変な行動をしているのは何か間違った思い込みをしているからだと解釈できるようになります。

この研究結果からみると、ピアジェの自己中心性とは何だったかと思ってしまいますね。この自己中心性は、J.ピアジェが幼児の精神構造の特徴を表わすために用いた概念です。もっぱら自己を中心に据えた視点から外界に働きかけ、視点を変えたり、視点と視点の関係をとらえたりすることのできない時期の特徴としました。その特徴が幼児まで見られるとしたのですが、こうした性質は、空間知覚、言語、知的作業など、さまざまな側面について論じられるため、多くの場面で誤解を生じたような気がします。白紙論同様、もう一度乳児を考えるうえで得見直さなければいけない特徴です。

20世紀の終わりには、赤ちゃんはかなり論理的で洗練された知識を持ち、成長するにつれて驚異的な速さでその知識を増やしていくことが明らかになってきました。赤ちゃんが物体や人間のふるまいについて大人なみの知識を持って生まれてくると主張する研究者もいるそうです。新生児が白紙とはほど遠いことは明らかですが、子どもの知識が変化していくことを考えると、子どもは自分の経験を通じて世界について学んでいるのでしょう。

人間は様々な種類の大量の情報を常に知覚していますが、その雑多な情報の山の中からどうやって世界について学ぶのかは、心理学と哲学における最大の謎の一つとなっています。ここ10年間で、赤ちゃんや幼児がどうやってこれほどたくさんのことを素早く正確に学んでいるのかがわかり始めたそうです。子どもは特に統計パターンに基づいて学習する優れた能力があることをゴプニックたちは見出したそうです。

1996年、ロチェスター大学のサフランとアスリン、ニューポートは、言語の音のパターンを使ってこの能力を最初に証明したそうです。彼らはある統計的な規則性を持った一連の音節を数人の8カ月児に聞かせたそうです。例えば、「ロ」という音のあとに「ピ」という音が続くのは全体の1/3ですが、「ピ」のあとには必ず「ダ」という音がきます。その後、同じパターンの音とこの規則に合わない流れの音を聞かせました。すると、赤ちゃんは統計的に珍しい音に長く耳を傾けたそうです。より最近の研究で、赤ちゃんは楽音や視覚的な場面についての統計パターンや、さらに抽象的な文法パターンも見つけられることがわかったそうです。

立場に身を置く” への6件のコメント

  1. ブロッコリーとクラッカーの実験、面白いですね。園でもやっていたいですね。一歳半の子どもが、相手の表情から気持ちを理解して、相手にとってどうすることが相手のためになるのかを瞬時に判断するという、高度な技術なのか思考回路なのかわかりませんが、そういった能力を持っているとすれば、相手の気持ちを教えるといった保育者のねらいは的外れであることがわかります。子どものそういった能力を引き出すために、物事に対して感情豊かに表現するといった保育者側のねらいにかわってきますね。

  2. 私は私、そしてみんなの中の私、というフレーズを保育界に入ってから耳するようになりました。常々疑問に思っていたのは、「私は私」はまぁ、そうだろうな、しかし「みんなの中の私」ってどういうこと。つまり、みんなの中にあってなお「私」を確認しなければならない、とは一体どういうこと?という疑問です。この部分を藤森先生はかつて「その私がみんなをつくる」という表現をされていたことを覚えています。もちろん、この「つくる」とは貢献するという意味です。そして今回のブログを読んで「私は私、そしてみんなの中の私」というフレーズは、どうやら「ピアジェの自己中心性」をその背景に持つのだろうと気づいたところです。乳児や幼児の有能さに関して今回のブログからまたまた教えていただきました。ありがとうございます。

  3. 「子どもは特に統計パターンに基づいて学習する優れた能力がある」とても興味深い研究だと思います。ん?というような赤ちゃんの変化に気付いたような表情が浮かぶのですが、このような赤ちゃんの表情や気付きを得たのであろう雰囲気を研究して言葉にするとこういう言葉になるのだ、という新鮮な感動があります。保育者にとってはいわゆる「あるある」なことが掘り下げると実はとても意味のあることであったりして、その辺りの発見や追求を研究者の専売特許にしなくてもいいのかもわからないと思えてきます。身近にあることの真理を得られるような、そういう感性を磨く為に学びはあるのかもわかりません。

  4. ブロッコリーとクラッカーの実験の結果は赤ちゃんの驚くほどの能力が証明されていますね。赤ちゃんが相手の表情や仕草などから相手の気持ちを読みとっているのだとするなら、大人から「こういう時はこんな気持ち」と決めつけて教えてしまうのは良くないことであるように感じます。さらに、相手の望むであろうと思う方を選択もできるのが人間であることが理解できます。
    人間の生まれもった能力を引き出すことが重要な大人の仕事であることが改めて理解できました。

  5. パターン化されたほうが学習しやすいというのは、やはり人間が遥か昔、自然の中で生きてきた本能が残っているからなのでしょうか。冬が近づけば寒くなり寒くなれば雪が降り雪が降れば食べ物が取りづらくなるなどといったような繋がりを覚えるということは、この例以外にも狩りなどで大きく役に立つはずでしょうから、その名残とも言えるのでしょうかね。さらにいえば、パターンが外れるというのは自然界でいえば、なにかよくないことが起きる前兆でもあるでしょうから違和感を覚えるのも当然とも言えるのでしょう。

  6. 見学者に案内をしているときに、乳児では「並行遊び」と言われているが、赤ちゃんでも「模倣」や「視線」や「手で触ること」で関りを持っているということを話します。また、そういった活動や模倣を通して遊ぶことはそのあとの社会性にも大きくつながっているという話をするのですが、子どもたちが模倣を行うというのは相手の立場を通すことができるからなのでしょうね。相手の行っていることを自分で実現することは非常に高度なことなのだと思います。「子どもは自分の経験を通じて世界について学んでいる」とありますが、取り入れる知識よりも、取り入れようとする意欲やプロセスというものにただ事ではないような処理が頭の中で行われているのでしょう。「子どもは特に統計パターンに基づいて学習する優れた能力がある」といったように世界を広げ最適化する頭脳の処理のすごさに改めて驚きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です