生活に遊びを

最後に、別冊日経サイエンス」に「遊びが必要な理由」という記事を書いたサイエンスライターであるM・ウェンナーが最後に「勉強ばかりで遊ばないと…」というコラムでまとめています。

「発達中の脳に遊びがよい効果をもたらすことばかりが強調されがちですが、遊びが大人にとっても重要であることがわかりました。遊ばずにいると、大人もやがて「めちゃくちゃな忙しさのせいで燃え尽きてしまうかもしれない」とコロラド大学ボールダー校の進化生物学者ペコッフは言っています。遊ばない大人たちは、どうしてそうなってしまうのかわからないまま、みじめに疲れ果ててしまうこともあります。では、どうやったら大人は、生活にもっと遊びを取リ入れることができるのでしょうか?カリフォルニア州カーメルバレーの全米遊び研究所の創設者て精神科医のブラウンは3つの方法を勧めています。

・体を使う遊び

記録や成績のない運動に参加する。脂肪を燃焼させるためだけに運動しているなら、それは遊びとは言わない!

・物を使う遊び

楽しむために手を使って物を作る。どんな物でもかまわない。この場合も、特別な目標を定める必要なない!

・人と交わる遊び

とくに目的のないことをしている人々の輪に入る。「世間話でも討論でもいい。」とブラウンは勧める。

「自分の子どものころの遊びの”真の目標”は何だったのかを見つけ、そしてそうした思い出を、現在の状況にフィットする活動に移すといい」とブラウンは言うのです。子どもといっしょに少しばかリ時間を過ごすとうまく思い出がよみがえってくるかもしれないと、テネシー大学の進化生物学者、バーガードは言います。

結局のところ、大事なのは、どんな遊びをするかではなく、遊ぶかどうかだというのです。「必ず遊ぶようにするには、 1日のスケジュールに遊びの時間を組み込むのがよいだろう」と、ベコッフは提案しています。「仕事というのは.やリ終えられるものなのだ」と彼は言います。

「実際、遊ばなかったからといって、その分たくさん仕事ができるとは思えない」。遊ぶことによって得られる幸福感や新たなエネルギーは「“失った”時間を埋め合わせて余りあるものを与えてくれる。」とバーガードも付け加えています。」

遊びの大切さは、他の動物でもいえることのようですが、ここで挙げられた要素のうち、「物を使う遊び」には、「手を使って」が必要になります。それは、私たちホモ・サピエンスの他の動物と区別する要素を感じます。同時に「人と交わる遊び」からは、子ども集団の存在が必要であることから、少子時代での園の役割を感じます。自由遊びが最近減ってきた理由が、こんなところにも原因がありそうです。もう一度、園の保育の在り方を考えることが必要のようです。

 

生活に遊びを” への5件のコメント

  1. そのことを遊びとして行うか、仕事として行うか。そのことの持つ意味が全然違って来ます。あるいは、そのことによって自分を高めようとするのか、あるいはそのことを他者の指示によって行うのか。これによってもそのことは違ったこととして自分自身に迫ってきます。さらに、そのことを好きでやっているのか、そうじゃなくやっているのか。これが最も大きな影響、作用を人に及ぼすような気がします。遊びの効能についてはブログで紹介されている通りです。体を動かし、モノを創り上げ、そして人と交わる。私たちが日常的に行うことができることですね。ところが必ずしもそうではない現実が特に子どもたちには存在するようです。ベッコフの言う通り「仕事というのは.やリ終えられるものなのだ」ということでしょう。反対に、遊びには「やり終えられる」ことはないでしょう。仕事が有限であるとするなら遊びは無限であるということになりますね。「あそびをせんとやうまれけむ」とは、生きているということは遊びをしているということですね。PLAYとWORKを分けず、生きることは遊ぶこと、と定義している古来からの考え方に深く共感します。

  2. 「遊びが大人にとっても重要」。もしかすると、子どもが遊ばなくなった理由の根本のは、大人が遊ばなくなったことがあるかもしれませんね。「体」を使う仕事が減り、「人」と関わる仕事がへり、「物」を作る仕事が減る。もちろん、仕事と遊びは別かもしれませんが、以前はその両者が混在しているものが多かった印象があります。また、「実際、遊ばなかったからといって、その分たくさん仕事ができるとは思えない」「仕事というのは.やリ終えられるものなのだ」というように、仕事と遊びを区別するという考え方が主流である今は、大人もしっかりと「遊び」の時間を確保することが必要なようです。遊びには、「“失った”時間を埋め合わせて余りあるものを与えてくれる。」要素があることを認識するのは大事ですが、まず本来備わっている「遊びたい欲求」に素直になることが重要ですね。

  3. 挙げられた遊びの内、休日に家族単位でのお誘いがなければどの遊びにも参加していないことがわかりました。一日の中にこのような遊びを組み込むという考え方はとても新鮮で、どのようなことが組み込めるだろうと想像して、思いつかないところから出発してみようと思います。電車の中でコメントを書いたり、朝少し早く起きて本を読んだり、報告を書いたり、やらなきゃいけないことリストに手をつけたり、そうして得られる充実感とは別の充実感が得られるのだろうと思うとワクワクします。それは趣味ということなのかもわかりませんが、靴磨きがもしかしたら一番近いのかもと思い、明後日の梅雨明けに合わせて磨いてみようかなと思いました。

  4. 私は最近趣味でボルダリングを始めましたが、これは案外今回の内容の3つをおおかたクリアしているような気がします。体を使い、突起物を使い、そして全く面識のなかった人とも同じ課題を取り組んでいるというだけで、年齢も性別も違かろうが攻略法から世間話まで様々なことに話が膨らみます。体力を消費しヘトヘトになって帰路についても翌日からの仕事になんだか少しやる気がわくのはちゃんと遊んでいるからなんですかね。

  5. 大人にも遊びが必要であるということから、大人はそんな余裕がないと思っている人が多いのではないかと思いました。ですが、書かれてある通り〝“失った”時間を埋め合わせて余りあるものを与えてくれる〟とあり、自分も同じことを思います。
    そして、子どもが遊ばなくなったのは遊ばない大人に原因の1つがあるのかもしれませんね。大人といえども、遊ぶということを忘れてはいけないのだということを感じました。

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