発達中の脳にとって

指導計画の必要性を論じる中で、児童中心保育への移行において、また、白紙論が否定されたことによって世界的に幼児教育における「生活」と「遊び」において指導という言葉が世界的に援助という言葉に入れ替わったことをきちんと捉えなければなりません。

また、脳の機能を拡大するために保育における質の高さが影響するという研究があります。イギリスの研究では、質が高い施設の共通点として、保育者と子どものかかわりに特徴があることがわかりました。その一つが、「保育者の子どもへのかかわりが温かく、応答的である」ことが示されています。この研究を受けてでしょうが、今回の保育指針の中で乳児保育において「愛情豊かに、応答的に行われることが特に必要である。」と明記されています。また、1歳以上3歳未満の保育の中でも「温かく見守るとともに、愛情豊かに、応答的に関わり、適切な援助を行うようにすること。」と明記されています。このように応答的なかかわりが重視されているうえでの指導計画はどうあるべきなのでしょうか?

もう一つ、指導計画の必要性を論じるうえで重要なことに、「自由遊び」の重要性があります。今年の4月に発行された「別冊日経サイエンス232」の中で、「発達中の脳にとって遊びは欠かせない。それも、決められたルールに従うスポーツやゲームではなく、系統だっていない空想的な“自由遊び”が必要だという。大人にとっても、遊びには幸福感や新たなエネルギーを与える効果ある」という特集として「遊びが必要な理由」という記事をサイエンスライターであるM.ウェンナーが紹介しています。それは、子どもにとって、指導計画のない遊びの重要性を説いたものとも捉えることもできるのではないでしょうか?そして、その中では、同時に人とのかかわりの重要性も説いています。

これらの研究が、ドイツのオープン保育を支えているかもしれません。少し、ドイツから離れて、この自由遊びの記事を紹介してみたいと思います。

1966年8月1日、精神科医のブラウンがヒューストンのテキサスメディカルセンター内にあるベイラー医科大学で助教として働きはじめた第1日目のことだったそうです。25歳のチャールズ・ホイットマンはテキサス大学オースティン校のタワーの屋上にのぼり、 46人を銃で撃ったのです。元米国海軍の一級射手で、当時は工学部の学生だったホイットマンが、まさか乱射事件を起こすなどとは、思いもよらないことでした。

プラウンはその事件を調査するため、テキサス州から顧問精神科医に選任されました。またその後も、小規模な試験的研究のために、テキサスで殺人罪で有罪判決を受けた受刑者26人から聞き取り調査を行いました。その結果、ホイットマンを含む殺人者の大部分には共通する特徴があることがわかったのです。彼らは家族から虐待を受け、子どものころに遊んだ経験がなかったのです。

どちらの要素がより重要なのか、その時にはブラウンにはわかりませんでした。しかし以来42年間にわたり、約6000人に幼年期についての話を聞いて集めたデータからわかったのは、子どもの頃、ルールのない、空想力にまかせた遊びをしたことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいことだったのです。科学者はそうした遊びを「自由遊び」と呼んでいますが、社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決策などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要です。動物行動の研究により、遊びの恩恵が確認され、また、進化的にも重要であることが明らかにされています。根本的に遊びは、人間を含む動物が生き残りと繁殖のためのスキルを身につけるのを助けてくれるのです。

発達中の脳にとって” への11件のコメント

  1. おかげさまで、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という声かけをせずに我が子は大きくなりました。もっとも、積極的に「遊びなさい」という声かけもしませんでしたが。自分で良いように生きてきているな、とわが子を見ていて思います。私が遊びと思おうが、生活と思おうが、わが子においては両者が重なっており、不可分なのだと思っています。さて、今回のブログの最後の「根本的に遊びは、人間を含む動物が生き残りと繁殖のためのスキルを身につけるのを助けてくれるのです。」という「遊び」の効用。仕事においても遊び心は重要ですね。時に、遊びは余裕だったり、バランスだったり、します。ノルマを課せられ強制されている、と思うと遊び感はなくなりますが、余裕やゆとり、バランス、あるいは楽しいうれしいと思えると、いわゆる仕事も遊びになりますね。どうせお給料をもらうなら、そうした感覚を大切にできるはたらきをし続けたいと思うのです。そうすれば、幸せになれますね。

  2. 「応答的なかかわりが重視されているうえでの指導計画はどうあるべき」なのかを考えると、計画はできないように思います。できるとすれば、子どもが言ってきた全てのことに柔軟に対応しようとする心構えと、それに必要な道具を準備しておくことくらいでしょうか。企業や保育団体が参考にと製作した現代の保育書類の雛形を見ると、ほとんどの内容が保育者発信から始まる計画である気がします。温かくて応答的な関わりが質の高い保育であるなら、計画を見直すことは当然なのですね。そして、「空想的な自由遊び」の重要性が説かれていました。ルールのある遊びを提供することが保育者のステータスとしてあったように、今後はそれよりも子どものからの自由な発想や空想を引き出したり、それを発展させるような関わりや環境がステータスになってくることが伝わってきました。

  3. 自由遊びは、自由に遊んでいるように思えますが、子ども達の脳の発達のためには重要なのですね。
    しかし、現実的には保育士は子どもと遊んでいるだけと思っている保護者の方もいるので、保育士の専門性を社会に認めてもらえるように発信していかなくてはいけませんし、保育士自身も遊びの教育的価値を理解しなくてはいけないと思いました。「子どもの頃、ルールのない、空想力にまかせた遊びをしたことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいことだったのです」とありましたが、おままごと遊びにしろ、積み木にしろ、教え込まれた遊びではなく、遊ぶためには想像力が不可欠で、その想像力が他者と関わる上で必要ですよね。子どもは白紙で生まれてくる何もできない存在と思われていることがまだまだあるため、一方的に教え込むことや一斉指導が残っていますが、しかし、子ども達の遊びを見ていますと、子ども達の想像力や思考力は大人以上のものを持っているのではなかと驚かされる時があります。

  4. 子供は遊ぶことが仕事だ、なんて言葉を幼い頃はよく聞かされてきましたがまさにその通りといったところですね。遊びの中で将来必要な力を培っていくわけですから遊びの質を高めることが将来の子供達の仕事に直結しているともいえるのでしょう。その遊びの質の高低を我々保育士がいかようにもしてしまえると考えると子供たちの人生の質がどうなるかを握っているわけですから軽率なことは出来ませんね。

  5. 保育士が子どもと一生懸命遊んでいる姿や、一斉保育のもと、部屋の正面に立って指導しているような姿が思い出され、もしかしたらその姿は保育士の社会的地位を向上させようと奮闘した結果なのではないかと思えてきました。しかしながら最新の研究は保育士の専門性としてきたものを一変させてしまったように思います。それは子ども観の変化であり、それに伴う保育方法の変化でした。それはもしかしたら海外の保育に学ぶことかもわかりませんし、人類進化の過程を省みることかもわかりませんが、日本が近代戦争から続けてきた保育や教育ではないことは確かなようです。
    昨今の課題は自由遊びの時間を奪うような保育の形態や、子育てからの脱却を図ることのようです。勇気をもって、新しい研究に触れてみる必要があるということなのかもわかりません。

  6. 〝社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決策などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要〟であるということで、自由遊びの必要性が分かりやすく書かれてあるように感じました。子どもたちが集団の中で遊んでいると、はたから見るとただ遊んでいるように見えたりするものですが、その実は深いものがあるということになります。そのようなことはそこに働くものとしての専門性であり、発信していかなければならないことであるように思います。
    そして、大人にも「遊び」があると日々の仕事や生活が楽しいものになるのではないかと思います。「あーしろ、こーしろ」と言われてやることも大事ですが、自らが主体的に関わることがその「遊び」につながるものだと思いました。

  7. “子どもの頃、ルールのない、空想力にまかせた遊びをしたことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいことだった”とあることを考えると、大人主体であるとどうしてもトップダウンのように指示的な環境のなかで、生活するようになり、幸せな大人に育ちにくいとあることに繋がりを持ってしまいます。自由遊びにこういったしっかりとした理由があると、ただ遊ばせているだけのような偏見は出てこないような気がしますが、この遊びに対する考え方は、日本では少しズレがあるように思います。
    自由遊びが社会性の学びとなることを理解し、自由遊びのなかには様々な重要性があることを広げていく必要性を感じます。

  8. 「別冊日経サイエンス232」の記事はとても興味深いです。「自由遊び」の重要性を科学する。「遊びには幸福感や新たなエネルギーを与える効果がある」よくストレス解消法で好きな趣味をすることというのが出てきますが、こういった趣味もある種の遊びでしょうし、それがストレス解消になるというのは結局は幸福感にもつながるからなのでしょうね。まさかその自由遊びが殺人などの犯罪にまで影響しているというのには驚きです。改めて子ども同士の環境やそれを主体的に関わりを持たせることや、自分たちでルールを作ることの経験の重要さを感じます。保育者の指導がまだまだ根強く残っていて、自由遊びがまだまだ軽くみられているようにも思います。こういった学びを受けて、より保育環境のあり方を考えさせられます。

  9. 子どもは生まれながらに有能であること、様々な能力を持って生まれてくるということを理解することで、大人が計画する遊びが重要ではないということが分かります。応答的な関わりが質の高い保育であるということですから、大人がリードし、計画する遊びにおいては応答的という姿はなかなか見られないように思います。「社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決策などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要です」とありました。このようなスキルを身につける上で自由遊びが重要で、そのような子ども同士の関係性をうむためにも見守るという姿勢が大切になってきますね。改めて見守るという考え方の深さに驚かされます。

  10. 子どもにとって遊びはとても重要な存在です。この事はほとんどの誰もが思っている事だと思います。しかし遊びが重要といっても肝心要の遊びの内容次第で子どもにとって良い影響を与えれば、悪い影響を与えかねます。ブロブに書いてあるように質の高い保育として「暖かく、応答的であり、見守るとともに、適切な援助」と書かれてあるように、あくまで子ども主体の保育であり、さらに、そういった環境の中での「自由遊び」が大切だと伺えます。そういう質の高い保育を展開していく必要がありますし、提案していく必要がこれからの日本では重要だと思いました。

  11. 「温かく見守るとともに、愛情豊かに、応答的に関わり、適切な援助を行うようにすること。」「系統だっていない空想的な“自由遊び”が必要だという。」というところが今回非常に重要になってくる部分でありますね。殺人を犯してしまった人の調べである幼少期に遊びをしていなかった結果というのは納得がいきますな。自由な遊びの中から人と触れ合い、ジレンマを経験し、思い通りにいかない経験、楽しさ、達成感、立ち直る力など自由遊びからさまざまな経験ができることが伺えます。ときには保育者発信の遊びもいいと思いますが、しっかりとバランスの計画はしていくべきだと感じますね。

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