学習体験

しかし、遊びが子どもの頭を良くするかもしれないのはなぜなのでしょうか?動物研究者は、遊びは予測していないことに対処する一種のトレーニングとして役立つと考えているそうです。「遊びとは万華鏡のようなものだ」とコロラド大学ボールダー校の進化生物学者べコッフは言っています。遊びは無作為で、創造的なものなのです。遊びは柔軟性と創造性を培い、それが将来の予期せぬ状況や新しい環境において有利に働くのかもしれないと彼は考えているそうです。

タフツ大学の幼児発育の専門家工ルキンドなどの児童心理学者はこれに同意しているそうです。「遊びを通して子どもは学ぶ。だから、遊びがないと、子どもは学習体験を逃すことになる」と彼は言っているのです。

遊びが非常に重要であるなら、十分に遊ばなかった子どもはどうなるのでしょうか?それはだれにもわからないそうですが、多くの心理学者がこのように懸念しています。遊びにはいくらかのリスクが伴うにもかかわらず、遊びが進化していまも残っているのは、生存における利点があるからだろうと考えられます。どんなリスクかというと、たとえば、もし、遊びに熱中して注意深さがなくなり、警戒を怠った動物は、捕食者に襲われる危険があります。「遊びが重要でないなら、このような精巧な形に進化したりはしなかったはずだ」とベコッフは言っています。

実際、遊びは進化的にかなり古いという証拠があるそうです。意識的思考や意思決定などの高次な思考にかかわる大きな脳領域である新皮質を切除されたラットは、それでも普通に遊ぶそうです。このことから、遊びの動機は、哺乳動物が進化する前からあった構造である脳幹に由来すると考えられます。1994年にこの実験を率いたパンクセップは「遊びのための中心的神経回路が脳の非常に古い部分に位置していることを意味している」と説明しているそうです。

もちろん今日の多くの親たちは、子どもたちにとって最良の道だと思うからこそ、子どもたちの自由遊びを削って、親たちが貴重と考える学びの活動をさせているのでしょう。また、母親や父親の中には、大人の監督なしに子どもを外で遊ばせるのをためらう人もいるでしょうし、戦闘ごっこや荒っぽい空想遊びで擦り傷をつくったり骨を折ったりするのを心配する親もいるかもしれないとカナダのレスブリッジ大学の行動神経科学者ペリスは言います。

親が心配するのはあたりまえですが、子どもを保護しすぎるのは「コストを先送りしているだけだ。子どもたちは将来、予測不可能で複雑な世界で、困難に対処しなければならなくなるのだから」とペリスは言います。「社会的な遊びの経験が豊富な子どもは、予測できない社会的な状況に対処できる大人になる可能性が高い」とも言うのです。

親たちは子どもを子どもらしくさせておくべきだと言います。それは単に子ども時代は楽しくあるべきだからというだけでなく、「子どもの束縛のない喜びを否定すると、子どもの好奇心や創造性が伸びないからだ」と、エルキンドは警告しています。

学習体験” への5件のコメント

  1. カナダ・レスブリッジ大学の行動神経科学者ペリス氏の「社会的な遊びの経験が豊富な子どもは、予測できない社会的な状況に対処できる大人になる可能性が高い」という指摘は重要な気がします。なぜなら、これからの社会、未来は、今およそ予測もつかないものになるだろう、と言われているからです。インフォテック、バイオテック、そしてAIの時代は、人類が予測し得ない未来を私たち人類の前に現出させてくれるような気がするのです。多くの教育者はこれからどんな教育が子どもたちにとって必要か模索しているようです。その時に「遊びは無作為で、創造的なものなのです。遊びは柔軟性と創造性を培い、それが将来の予期せぬ状況や新しい環境において有利に働くのかもしれない」というコロラド大学ボールダー校の進化生物学者べコッフ氏。まさに子どもたちの「遊び」が有する可能性を私たちに優しく解き明かしてくれます。遊んでいる子どもたちは自分たちの無限の可能性を自ら育てているのでしょう。

  2. 遊びというものが現代にある理由として「生存における利点があるから」という視点は新鮮でした。「脳領域である新皮質を切除されたラットは、それでも普通に遊ぶ」ということから、水の中から陸地へと上がってきた哺乳動物が好奇心のもと陸地を探索しながら自由に遊ぶ姿を想像できました。「笑顔」「協力」「共有」と同じくらい、「遊び」というものが人類の生存にとって不可欠なものであると理解すれば、この世の中はもっと楽しい教育や学びの機会が増えていくでしょうね。そして、後半には過保護や束縛など、子どもの学ぼうとすることを妨げる大人の行為があげられており、そうすることによって「好奇心や創造性が伸びない」状況が生まれるということを深く理解しておかなくてはいけませんね。

  3. 「コストを先送りしている」過保護を実践する親からすると驚きの内容かもわかりません。子どもたちはいつか困難な状況に遭遇し、しかもそれは親の手の届かないところで展開されます。それよりも、そのいつかの時の為に子ども時代に遊びを通してそのスキルを身につけておくことがどれ程大切なことか、もしかしたらそこに直面して初めてわかることなのかもわかりません。目に見えないものを育てている、ということを親と共有できたなら、保育はもっと寛大な目で見守られることでしょう。こういった情報が多くの親に届くことを願ってやみません。

  4. 子供が成長し大人になり老いそして死ぬまで、生活の面倒を見てくれるのであればいくら過保護になろうと構わないのでしょうが、いずれは親元を巣立ち独り立ちしていかなければならないのですし、親も立派に巣立つ我が子を期待しているのですから、いくら大切とはいってもやはりある程度の線びきをして放任し世界が予測不可能で複雑であるということを教えてあげなければいけないのでしょうね
    。そしてそのためには近年途切れがちな地域との繋がりをもち、安心して放っておける状況を作るべきなのでしょう。

  5. 子どもが自由に遊ぶことを妨害することは〝コストを先送りしている〟という文章が強く印象に残りました。ここからは自分個人の見解になりますが、先送りするならまだ怪我した、相手を泣かせた、くらいで済む時に済ませた方が良いように思います。大きくなって、誰かしらに多大な迷惑をかけてしまうようになってからでは、遅すぎるのかもわかりません。もしかして、近年の若者たちの犯罪の原因もそんなところにあるのでは?と思わせます。
    創造や問題解決能力など子どもの見えない能力を育てている環境だと考えるなら、自由に遊ぶ、遊んでいる状況に介入していくことは、そうした犯罪者を生む環境であるかもわからないと考えると、ゾッとしますね。

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