仲間との遊び

社会的スキルは、仲間と交流して、何が許容され、何が許容されないかを学ぶことで習得するのです。子どもたちは公平さや、交代することを学びます。ペレグリーニはこんな例を出しています。「いつも自分が妖精の女王にならないと気が済まない子には遊び仲間はいなくなってしまいます。子どもたちは遊びをずっと続けたいので、喜んでちょっと我慢して、他の子の願望を満たしてやるのだ」と説明しています。子どもたちはその活動を楽しんでいるため、欲求不満に直面しても、算数の問題が解けないときと違って、簡単にあきらめたりはしません。こうして粘り強さと、交渉能力が育っていくというのです。

まわりと円満にやっていくには、うまくコミュニケーションをとることが必要です。コミュニケーションは、社会的スキルの中でも、ほぼ間違いなく最も価値の高いものです。仲間との遊びは、この点で最も重要です。いくつかの研究で、子ども同士で遊ぶときのほうが、より洗練された言語を使うことがわかっているそうです。例えば、ごっこ遊びでは「実際には存在していないものについて話し合わなければならないので、仲間に自分が言おうとしていることをうまく伝えられるように、込み入った言葉を使わなければならない」とペレグリーニは説明しています。

例えば子どもが仲間に空想上のアイスクリームコーンを手渡しながら、ただ「パニラがいい?それともチョコレート?」と聞いてもだめです。何か手がかりになる言葉を加える必要があるのです。「パニラアイスとチョコアイス、どっちが食べたい?」といった具合にです。ところが相手が大人だと、大人のほうが足りない部分を補ってしまうので、子どもは楽をします。

遊びが子どもの社会化を助けるなら、遊びの不足は社会的発達を妨げるはずです。それを示唆する研究があるそうです。ミシガン州イプシランティの教育研究財団ハイ・スコープ・エデュケーショナル・リサーチ・ファンデーションが1997年に発表した論文によれば、落ちこぼれになる可能性が非常に高い貧しい家庭の子どものうち、遊びを重視する保育園に通った子どもは、絶えず教師によって命令される幼稚園に通った子どもよりも、大きくなってから、より社会的に適応していることが示されました。教師から絶えず指示される幼稚園に通った子どもの1/3以上は、 23歳までに重罪で逮捕されていました。一方、遊びを重視する保育園にいた子どもたちの場合は、逮捕者は1/10に満たなかったのです。

この文章を読んで、これを書いた人のイメージを知って、少し驚きました。もしかしたら訳した人の感覚かもしれませんが。ここで、保育園と幼稚園という施設の使い分けを、教師が絶えず指示する施設として幼稚園、遊びを重視する施設を保育園と言っています。ドイツでは、3歳以上の子がいる施設を幼稚園、3歳以下の子どもたちがいる施設を保育園と訳します。言葉は難しいですね。

しかし、そのイメージは大方のもので、同じ幼稚園でも、遊び重視の幼稚園に通った人のうち大人になってから停職処分を受けたのは7%未満なのに対し、直接教師から命令を受けていた人たちの1/4以上が停職処分を受けていたというデータがあるそうです。

仲間との遊び” への6件のコメント

  1. 実に面白い研究成果です。教師、保育者主導の教育実践を是としている教師や保護者に是非読んでもらいたい今回のブログです。子どもたちの遊びの可能性と意味内容に関してこれほどまでにわかりやすく記述している文に出くわすことがあまりないかなと思います。子どもの主体性が大事といいながら、同様に保育者の主体性が大事とか、保育者の子どもの見立てが大切だとか主張して止まない先生たちの何と多いことか。子どもや子どもたちの世界をもっと信じればいいのに。この子どもの行為は一体何を意味するのだろうか、と即時的に回答を求める先生たちの何と多いことか。子どもたちが喜々として活動に取り組んだり、様々な葛藤や緊張関係に折り合いをつけたりしながら関わっている姿を見届けたら、それで良しとしようと思うのですが、学者さんたちはそこに意味を汲み取り、保育者の子どもへの関わり方を、記録を通して、見える化しようとします。やっかいですね。子どもの今を丸ごと信じてあげればいいのに、と思うのですが、信仰や信心を持ち出して来たらいけないようです。

  2. 「子どもたちは遊びをずっと続けたいので、喜んでちょっと我慢して、他の子の願望を満たしてやるのだ」というように、自分がしたいことを実現させるために感情をコントロールしたり、自分が楽しく遊びたいから他者の気持ちを知りたいと思ったりと、子どもたちの中で、「遊び」は他児とのコミュニケーションの場になっていることはもちろん、社会性を自然と育むことができる効率的で持続性があり、さらなる自発的活動に繋がる場であるはずです。その活動をなくしてまで、いまだ大人主導の活動をさせてしまう背景には根深い問題が孕んでいることが想像できます。このような的確で重要なエビデンスを、もっと園側も保護者や社会に発信する役割を担っていることが伝わってきます。

  3. 一日の中で家で過ごす時間よりも園で過ごす時間の方が長い子もいるでしょう。仲間との遊びがそこであればいいのですが、園によってはその時間が極僅かなことがあるようです。子どもの頃はお迎えが早いとよく公園で遊んだりしたこともありましたが、今はどうなのでしょうか。そして家に帰ればやらなければならないことが待っていたりして、子どもの自由が脅かされているというのは、こういうことを指すのかもわからないと思えてきます。
    その原因は学歴社会なのだとすれば、学歴社会は健全な社会とは言いにくいかもわかりません。

  4. 〝子どもたちは遊びをずっと続けたいので、喜んでちょっと我慢して、他の子の願望を満たしてやるのだ〟子どもたちは集団の中で「楽しんで待つ」というのをしているという藤森先生の言葉を思い出しました。「楽しんで待つ」と同義の意味ではないかと思いますが、子どもたちは自分自身の感情をコントロールしながら、そこでの折り合いをつけていき、それが後につながっていくのですね。そして、それの役割を交代してお互いが「楽しんで待つ」経験が自然とできるようにしている、子どもはすばらしいですね。

  5. 他の子の願望を満たそうとしない子には遊び仲間がいなくなってしまうとありますがそのような姿は2歳児のクラスでも見ることができます。私のクラスにはおもちゃを貸してと友達にいわれたときに、素直に貸してあげたり半分にわけっこして貸してあげる子と、何がなんでも貸さない子がいますがおもちゃをすぐに貸してあげたり半分に分けっこしたりする子はいつも子供同士群れて過ごしていますが、貸さない子は常に単独で遊んでいます。二歳だとまだ友達と一緒が楽しいという気持ちは生まれずらいのでしょうか。

  6. 粘り強さと、交渉能力が育っていくことが、遊びのなかでこそだと私たちはしっかりと認識しておかなければならないと感じます。集団での遊びには、子どもたちの欲求が集まって始まるもので、そこには、はじめのルール決めのようなものが見られています。役割や順番だったり、そのなかで納得できなかったら、◯◯の次ね。という提案が投げ掛けられ、それに対しても、納得できなかったら、場合によって、その遊びに入れないこともあります。とよくある子どもの姿ですが、こういったなかで社会的スキルが育つと思うと、遊びをどうにかやりくりして、続けようとする子どもの姿をしりながら、仲介にはいらないようにしないと子どもの学びを阻害していますね。

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