どのような益

遊びは大切と言われながら、なぜ必要かをはっきりと分かっていない人が多いような気がします。また、遊びには、子どもにとってどんな力が育つのか、子どもの将来にどのように役に立つのかも知っておく必要があります。それは、子ども自身ではなく、その場、時間を保障しなければならない大人がする必要があります。そして、子どもにとっての遊びは、大人のそれとは違う役割があるとも言われます。しかし、どうも、大人にとっても遊びは大切なようです。特に、ルールに縛られない自由遊びが大切なのです。そんな特集が別冊日経サイエンスに取り上げられています。

遊びには、あらかじめ決められ、従わなければならない、優先されるべきルールはないので、より創造的な反応ができると言われています。このような創造的な側面は、発達中の脳にとって、あらかじめ決められたルールに従うよりもよい刺激となるため、きわめて重要であることがわかっています。子どもたちは想像力を使って新しい活動や役割を考え出すのです。

子どもは、自由遊びを自発的に始め、創造します。お医者さんや王女様のふりをしたり、ままごとをしたりといった、ごっこ遊びもあるでしょう。また戦闘ごっこをすることもあります。子どもたち(とくに男の子)は、取っ組み合いをしたり、投げっこをして遊びます。ときどき役割を交代するので、だれかがいつも勝つというわけではないのです。

これを聞いて、戦闘ごっこがいいのだろうかという疑問を持ちます。私たちは、子どもたちの遊びの中で、テレビからの影響された戦いごっこをする子どもたちに手を焼いています。しかし、どうもここで言う戦闘ごっことは、私たちが最近目にする子ども達の戦いごっことは少し違うようです。それは、そこにある要素が含まれているかです。それは、ここに書かれてあるように、ごっこ遊び同様、「ときどき役割を交代するので、だれかがいつも勝つというわけではないのです。」が必要です。特に、「ときどき役割を交代する」ということで、勧善懲悪の戦いでなければならないようです。

さらに、自由遊びは、動物に見られる遊びに非常によく似ていることから、重要な進化的ルーツがあることが示唆されているそうです。「動物の遊びの起源」の著者、パーガードは、 18年をかけて動物を観察し、遊びをどう定義したらよいかを学んだそうです。そこで、こんな条件を示しています。反復的であること(動物が新しい物体を一度軽くつついただけでは、その物体で遊んでいるとは言わない) 、自発的であること、そしてゆったりした状態で始められることが条件です。動物も子どもも、栄養を十分与えられないときや、強いストレスにさらされているときには遊びません。これは、とても大切な条件ですね。そして、最も大事なことは、観察されている状況において、その活動に明白な機能があってはならないことだそうです。つまり明らかな目的がないことが条件だと言うのです。

このような一見無意味な活動が子にどのような益もたらすでしょうか?おそらく最も重要なのは、遊びは強力な社会的スキルの発達を助けるのではないかという点です。「先生の言うとおりに行動しているだけでは、社会的竸争力を身につけることはできない」とペレグリーニは言っています。

どのような益” への11件のコメント

  1. 「強いストレスがあるときは遊ばない」
    これは大人にも言えることですよね。心が豊かで丈夫でないと、気力が湧かないというか。
    子どもが遊べる環境を保障するとよく聞きますが物的環境の中でももちろんですが、精神的な支えとなるような働きが大人にも必要となる気がします。それが今保育の質で言われている「温かく応答的な関わり」なのかなと思いました。

  2. 「反復的であること、自発的であること、そしてゆったりした状態であること」という、動物的の遊びという視点からみるというのも面白いですね。まさに、子どもの姿と重なります。また、「勧善懲悪の戦い」という善悪の役割を交代しながら互いの感情を経験してみるという遊びは、確かに現代ではあまり見られませんね。乳幼児施設以外では、子ども同士の繋がりを生みやすい公園がありますが、そこでもそのような遊びは見たことがありません。見るのは、東屋の中で、複数でゲーム機を囲んでいる姿です。バーチャルな世界でも、その役割交代はできるものなのでしょうか。そして、その交代に期待されることは、バーチャルでも獲得できるのもなのでしょうか。人と人が触れ合うことによる、脳への刺激みたいなものはあるのでしょうが、現代で「遊び」の役割や意味を認識し、それを環境として用意する難しいさを感じます。まずは、乳幼児施設からということですね。

  3. 時代によって遊びの形、内容、は変わってくると思います。私が子どもの頃の遊びは、当時の大人たちにとっては決して褒められるものではありませんでしたし、仕事が主で遊びが従である大人たちにとって私たち子どもが興じている遊びはその従たるものだったと思います。私は幸い「遊んでばかりいて」と子どもの頃に言われた経験がありません。存分に遊んでいてそれを咎める大人が親をはじめ周囲にいなかったことはとても幸せなことだったと思っています。確かに、遊びは、反復的であり、自発的であり、そしてゆったりした状態ですね。大人の私も趣味という遊びを楽しんでいます。ところが、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。やり過ぎるとまずゆったり感がなくなり、自発性が喪われ、自ら強制感を創り上げ、反復の挙句、疲労困憊してしまうことがあります。遊びが労働になってしまいます。遊びはとにかくゆったり。このゆったり感にこそ遊びの醍醐味がありますね。

  4. 子どもの頃、絵を描くと褒められました。その代わりとても体力と気力を使うのでしょっちゅうやりたいことではなかったのですが、描き上がった時の達成感や脱力感というのは、自由遊びで得られる感覚にそう遠くないのかなと想像しました。音楽を作ったりする時もそうで、芸術的な活動というのは自由遊びに近いような気がします。それを子どもたちは一人の世界で完結させずに、他者と共有し、意見を交わし合い、改善したりしながら作り上げていくのですから、遊びとは本当に凄い活動だと思います。

  5. 動物の遊びから自由遊びをみていくという新しい見方からの見解がありました。「反復的で主体的、ゆったりとしている、そして、明らかな目的がないこと」と大きく4つありました。自分たちはこのような遊びを普段の子どもたちの姿からみてとれることができます。ですが、乳幼児施設以外ではどうなんでしょうか。そんな遊びの展開できる環境というのは、やはり減ってきているのではないかと思います。乳幼児施設というのはやはり貴重な場所なんですね。
    さらに「明らかな目的がない」というのに面白さを感じましたが、子どもたちはその目的すらも自分たちで主体的に構築していくものであるように感じました。「目的がないというよりも目的も作り上げていく」そんな力を子ども集団から感じます。

  6. 「子ども自身ではなく、その場、時間を保障しなければならない大人がする必要があります」とありましたが、私には趣味もありますが、趣味をしていない方がやはりストレスがあり、仕事にも影響が出ているように思えます。その趣味も本来の遊びなのかはわかりませんが。
    遊びは自発的、反復的、そして、明らかな目的がないことが条件とありましたが、やはり子どもが自ら環境に関わることが発達に影響を与えるのでしょうね。そして、目的のないことを楽しみ、それを見守っている大人も楽しい環境が居心地の良い場所につながるのかなと思いました。

  7. どきどき役割を交代するからこそ意味がある、とありますがなぜ役割を交代しようと思うのでしょうね。きっとはじめはその集団のリーダー格の子がヒーローをやり、他の子をやっつけるでしょう。ただこのとき圧倒的に楽しいのはヒーロー役なわけですからわざわざ交代する必要はないとも言えます。もしかしたらずっとヒーローをやりつづける子もいるかもしれませんがその点では異年齢保育をとっているうちの園では役割の交代が起きやすくなるのでいいですね。

  8. 戦いごっこは、どこそこで行われているような遊びではありますが、確かに、子どもたちの姿には、相手に当たらないような気遣いだったり、役割を決めあって、順番をきめるなどの姿があります。それが、当たって泣いてしまうこともありますが、子どもたちの話を聞くと、わざとじゃない。という言葉を耳にします。と考えてみるだけでも、子どもがごっこ遊びのなかで、勧善懲悪の戦いを考えながらやっているんだなと思います。

  9. 「役割を交代する」そこまでのルールを持ってごっこ遊びが繰り広げられているかというとちょっと違うような気がします。好きなものを好きなように演じているようにも思いますし、敵味方というよりもじゃれあっていること自体を楽しんでいるようにも思います。そう考えるとまだまだ遊び方は今の子どもたちは幼いのかもしれません。子どもの自律を育てるためには大人が関わりすぎてはいけないということは最近とてもよく言われるようになってきました。「先生の言うとおりに行動しているだけでは、社会的竸争力を身につけることはできない」とペレグリーニ氏が言っていますが、今の時代大人は子どもたちに社会的競争意識が芽生えることを極端に嫌うようになっているように思います。だからこそ、逆に子どもたちは自分と他者を同等と勘違い、かえって比較するのかもしれません。大人が近すぎてもいかなく、しかし、遠すぎるのも違う。その距離感の取り方は難しく感じます。だからこそ、メリハリの必要性や子どもを見て、見守る距離感を考えていかなければいけないのですね。

  10. 自由遊びの重要性を「子ども自身ではなく、その場、時間を保障しなければならない大人がする必要があります」とありました。ハリスの研究結果からのつながりを感じます。やはり大人はしっかりと環境を用意する存在ですね。そして、確かに遊びは大切であると多くの人がなんとなくは理解していることかもしれませんが、具体的にどうして必要なのかということは私たちがきちんと理解しておかなければいけませんね。しっかりと理解していきたいと思いました。改めて環境としてのきっかけを作るのが大人で、その中で遊び込むのが子どもたちで、その子どもたちの持っている育つ力を信じることが大切になりますね。「動物も子どもも、栄養を十分与えられないときや、強いストレスにさらされているときには遊びません」という言葉、とても納得させられました。余裕がないと遊びは生まれませんね。

  11. 話が逸れるかもしれませんが、ライオンの子どもが子ども同士でじゃれあって遊んでいる微笑ましい姿をテレビで見ます。おそらく何の意図もなく純粋に自由に遊んでいるのでしょう。しかし、大人になってから獲物を狩れるようになる練習がその遊びに含まれている気がします。また親戚の家に子猫がいて、猫じゃらしを使って遊んでいると、物陰に隠れてタイミングを伺って猫じゃらしに飛びかかる遊びを何度も何度も反復して遊んでいるのも、獲物を狩ると言う本能がそうさせているのでしょう。子どもの自由遊びも同様で大人から見ると何の意味があるのだろう?と首をかしげるような事も彼らにとってはとても貴重な時間なのかもしれません。結局、遊びに目的を大人がつけてしまうと、自由ではないですし、それこそ社会的スキルは身につかないのかもしれません。だからと言って何もない空間の中では自由な発想も生まれません。子どもが自由な発想で遊べるような環境を用意してあげることが大切ですね。

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