現在の学校の状況を工藤氏はこう分析しています。担任が、学習面から生活面に至るまで、手取り足取り手厚く面倒を見ることがよいものとされ、昨今では、「丁寧な指導」「面倒見の良さ」をセールスポイントにする学校や教育委員会も少なくありません。しかし、大人が先回りをして、手をかけすぎて育てられた子どもの多くは、自立できなくなっていると言います。そして、自分では解決できない問題やトラブルに直面すると、うまくいかない原因を自分以外の周りに求め、安易に他人のせいにしてしまう傾向があるように思っていると言います。
固定担任は、自分の学級の生徒の人生すべてを背負っているかのような気負いがあり、「クラスの子どもに好かれたい」という気持ちが強くなります。その結果指導は必要以上に手厚くなると言うのです。彼は、それは中学校だけでなく、小学校においても学校規模と専科教員の配置次第で、「全員担任制」を実施できるのではないかと考えているそうです。
また、固定担任制を廃止すれば、「学級王国」と言われるような問題もなくなるに違いないと言います。一部の勘違いをした教員が強圧的な指導で子どもたちを支配することもなくなり、教育活動の透明性は高まります。不適切な指導や体罰も減るでしょう。加えて学級崩壊が起きるリスクも減ります。学級崩壊は、まとまりのあるクラスとないクラスとの格差が大きいときに起きやすいからだそうです。
この時に、一クラス一人担任における人数が決められています。公立学校の教員は「公立学校義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律」によって、児童生徒40人(小学1年生のみ35人)につき教員一人が割り当てられています。一方、こうして割り当てられた教員を、どのように配置するかは、学校裁量にゆだねられています。麹町中学校では、1,2年生には各6人の教員が配置されており、その全員が、4つあるクラス担任という立場で、クラス運営に携わっています。加えて2人の非常勤講師が、授業を担当するだけでなく、クラス運営にかかわることができるようにしているそうです。
ここで「全員担任制」を進めるうえで大切なのは教員間の連携だと言います。どの学年も週に1回会議を行い、日常においてもコミュニケーションを取り合いながら、情報共有を図っているそうです。
次に起きたのは、運動会の「クラス対抗」を、誰もが楽しむために生徒自身が廃止をしたそうです。生徒たちが自ら考え、判断し、生徒会の中で話し合って廃止を決定したそうです。それも、「目的」を達成する「手段」として、適切ではないと生徒たち自身が判断したからだそうです。この時に、工藤氏は、生徒たちに体育祭について一つのミッションを示したそうです。それは「生徒全員を楽しませること」だったそうです。運動が必ずしも得意ではない生徒もいます。彼らも楽しめる体育祭とは何かを考えてもらったのです。
もし、運動会や体育祭の目的が「競争心を養う」ことや「運動能力の優劣をつける」ことにあるのなら、「クラス対抗」は適切な手段かもしれません。しかし、工藤氏は、そうした目的のもとで行うべきではないと思っています。「生徒全員を楽しませること」を最上位目的としているのです。これまでの学校教育では「規律」や「団結」が尊ばれ、チームが一丸となって何かを達成するといったストーリーに感動してきました。リスクの大きい組体操が、いまだに多くの学校で行われるのも、そうしたことの表れではないかと工藤氏は考えています。彼は、学校における体育の目的については、技能を高めることや競争心を養うことよりも、運動の楽しさを求めることの方が大切だと考え、スポーツは自分の人生を楽しませる、友達のようなものであってほしいと願っているのです。