同化と分化

発達心理学者の中から、仲間集団はメンバー同士がもともと似ていることを理由にハリスの学説が間違っていると指摘されたこともあったそうです。その根拠はこうだったそうです。子どもたちは仲間集団の一員であることを自覚することで社会化を果たし、その集団にふさわしい行動と態度を身に着けることになり、その結果、子どもたちは仲間とより似るようになるというのがハリスの学説です。ところがもし子どもたちがもともと似ているのであれば、ハリスの学説の根拠がなりたたない、というものでした。

ハリスは、それはその通りであると言います。だからこそ、ハリスはありがちな集団内類似性の研究に根拠を求めないのです。因果関係を切り離すには、たとえばキンダーマンの研究のような巧妙な方法論が必要だと言うのです。キンダーマンは子どもたちがある集団から別の集団に変わるたびにその子どもの態度の変化を図表化しました。彼の研究結果によると、たしかに同じ仲間集団の子どもたちは最初から似ていますが、集団への同化を経て類似性はいっそう高まると言うのです。もう一つのよい例としてロバーズ・ケイヴでの研究を挙げています。同質になるよう選抜された男の子の集団をランダムに二つの集団に分けることで、ロバーズ・ケイヴ実験の研究者たちは本来持ち合わせている類似性の統制を図ったのです。

もっとも集団のメンバーはすべての側面で似ているわけではありません。彼らが似ているのはお互いを引き寄せている特徴、たとえばキンダーマンの研究では勉強への前向き、もしくは後ろ向きな態度だったり、非行グループであれば危険な行為への傾倒だったりするのです。集団への同化を経て、これらの共通項は一層類似性を高めますが、それ以外の側面においては集団内のメンバー間で類似性が高まることはなかったのです。分化により集団内の違いは広がります。社会化は主に同化によって果たされますが、性格の違いはそのほとんどが分化によるものなのだというのです。

同化・分化についてハリスが初版本で述べていた説明が少々曖昧たったため、性格の違い、たとえばきょうだい間の違いは、異なる仲間集団に属していることに由来すると彼女が考えていると読者の多くを勘違いさせてしまったため、同じ仲間集団に属しているきょうだいは別の集団に属しているきょうだいよりも性格が似ているかどうかを調べることで彼女の学説を検証できると思わせてしまったと振り返っています。たしかに類似度は高いかもしれないのですが、似ているから同じ集団に属しているのであって、類似性はその結果ではないのかもしれないと考えているのです。ハリスの学説では同じ仲間集団にいることで、双子やきょうだいの性格の類似性が高まるとは予測できないのです。しかし勉強への態度など、いくつかの側面では類似性が高く出現することはあるでしょう。

ハリスの説明で、もう一つ誤解を招いたのが、集団への加人と友情の違いが明確でなかったことだそうです。たしかに人は所属している集団の中から友人を選びます。しかしその後、彼女が述べているように、子どもは自分をある集団の一員として見なすようになり、その集団により社会化を果たすのですが、その集団のメンバーが好きかどうか、メンバーに好かれているかどうかは関係ないと言います。社会化を果たす集団が実在するか否か、すなわち実際に一緒に行動する仲間がいるかどうかも関係ないと言います。社会化に必要な「集団」は一つの社会的カテゴリーだと言うのです。

同化と分化” への6件のコメント

  1. 今回のテーマ、同化と分化は、私のテーマでもあります。Assimilationとdifferentiation。ハリス女史曰く「社会化は主に同化によって果たされますが、性格の違いはそのほとんどが分化によるもの」と。郷に入っては郷に従え、などと言います。同化のすすめ?分化は個人主義に繋がります。しかし、総じて、健全なる社会とは、同化と分化との折り合いがついている人々の集団のこと、を指すような気がします。同化の究極を私たちは歴史で学びました。そして分化の歴史は社会事象としてこれまで存在してきたでしょう。いずれにせよ、いい塩梅の同化と分化、これが理想ですね。これを中庸と言い、あるいは覚りと言います。中庸、覚りを目指して、振り子をスイングさせます。常に揺れ動きながら不動の位置を探求する旅、これが人に課せられた道行きなのでしょう。親兄弟姉妹を超えて、袖すり合うも他生の縁、で結びつけられた人々との関わり、繋がり、結びつきにより私たちの生がある、子どもたちには彼らの世界がある、のですね。ピュアにそのことを認識し、信じる。このことが大切なのだと思いました。

  2. チームを一致団結させようと同化を図る場合は、そのチーム単位で物事を進めていくと思います。それは、チーム内の集団に対する類似性を求める動きだったのですね。逆に、個性や人との違い等を明確にするときには分化という、様々な空間に分けるという行為がその動きを促進させるというのであれば、それを子ども集団に応用することもできると感じました。そして、ハリス氏の研究課題としてあがった「似ているから同じ集団に属しているのであって、類似性はその結果ではないのかもしれない」という見方もあるのですね。両見方の相互作用である気もしますが、それらを研究で検証するとなると一筋縄ではいかない難しさがあることが感じられました。

  3. 非行グループによる危険行為、例えばグループで万引きをしようとする場合、性格上、万引きをすることについて強気であったり、逆にとても臆病であったりする人も中にはいるかもわかりません。そんなことも考慮されながら見張り役、実行役、囮役、などの分担がされるでしょう。非行グループという同化された集団、その集団圧の中で人の性格は同化していくのかと思うと、本来持ち合わせている部分でもって分化されていくようです。非行グループ、というくくりでは同化されながら、性格上は分化されていくという点、とても興味深く思います。

  4. 今回の内容を見て自分は幼少期果たしてどのような集団に属していただろうと思い返してみました。すると、部活動を一生懸命やっていた時期は、部活は違えど一生懸命に取り組んでるもの、そうでなくなるとそうでないものと集団を組んでいたと気がつきました。その他の類似点は多くないにも関わらず、ほとんどの友人が部活動への意欲という点で一致していたというのはなかなか面白いですね。これが似ているものがお互いに引き寄せられたのか、他からあぶれて自然と組合わさったのかはわかりませんが。

  5. 〝社会化は主に同化によって果たされますが、性格の違いはそのほとんどが分化によるものなのだ〟という説明がありました。とても分かりやすいですね。そのように考えると、現代はオンリーワンな時代であり、少し昔はナンバーワンな時代であったことなどから同化が基本にあったもの世の中で、現代はそうではないんだという分化も認められている時代になったと言えるのではないかも思います。どちらがいいということもなく、言えるなら個々でバランスを保つことが必要な気がします。現代の子どもたちはどのようにそのことを捉えて生きていくのでしょうか。楽しみですね。

  6. 仲間集団は属するから、その集団における類似性が高まるのではなく、そもそも類似性が高い結果仲間集団になるのですね。また、集団の加入と友情の違いについても含まれますが、なるほど、集団は一つの社会的カテゴリーなのですね。様々な集団のある中で同化と分化は繰り返されていきますし、今の社会では年代によってその集団カテゴリーは渡り歩くことになります。そのため、その時々により集団は変わりますし、友だち関係も流動的です。そして、集団は確かに好きか嫌いかはあまり関係なくできます。しかし、友だち関係は自分の類似性によって仲間ができてくると感じると「類は友を呼ぶ」というように自分の興味や関心など近い興味のある存在と仲良くなるでしょうね。こういった集団としての同化と個人の性格といった文化を経験を繰り返すことで、社会性につながるのはわかります。なおのこと多様性のある幅の広い社会的カテゴリーは必要なのかもしれませんね。

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