転換点

最後に、ハリスは、研究者たちは次に述べる重大な違いを認識するべきだと言います。

・集団からの受容と、その集団内での地位は違うものです。

・集団からの受容と集団内での地位は、友情とも異なります。かろうじて集団に受けいれられている子どもでも、また集団内での人気度が低い子どもでもしっかりとした友情に結ばれていることがあります。

・集団に属することで分化にも同化にもつながります。社会化は同化がもたらしたものであり、一方、個人の性格は主に分化によって形成されます。

ジュディス・リッチ・ハリスは、「子育ての大誤解」という書物の中で、主に社会化を取り上げています。それは、社会化はたしかに重要だからです。しかし、それでもまだ全体の半分にすぎないと言うのです。

このハリスの考え方は、最初は随分と迫害にあったそうです。Wikipediaによると、ハーバード大学の心理学部長ジョージ・ミラーは、1960年にハリスの「独創性と独立性」がハーバードの基準に合わないとして、ハリスを博士課程から除籍したのです。しかし、1995年にこの理論は、基礎心理学における傑出した著作としてアメリカ心理学会からジョージ・ミラー賞を受賞する論文の基盤となったそうです。この賞は、皮肉にもハリスをハーバードから除籍したジョージ・ミラーの業績をたたえて作られた賞なのです。その後、彼女の理論は、心理学に様々な波紋を広げ、スティーブン・ピンカーはハリスの考え方を記した「子育ての大誤解」が「心理学史において転換点と見なされるようになるだろう」と予測しているそうです。

ハリスは子どもの発達について、家族よりも子ども集団に焦点を当てた新しい理論を提唱しただけでなく、私には様々なことにいろいろと示唆を与えてくれます。たとえば、多くの心理学の研究は、実践室内での子ども観察で行われることが多いのですが、ハリスは、実験室のような非日常な環境は、集団社会化説に基づく予測を検証するには好ましい設定ではないと言っているのです。さらに、実験室内は、非日常的環境というだけでなく、多くの子どもは子ども集団の中での行動に意味があるのです。それは、その研究は、大人になった時に社会の中で生活するためのスキルを研究するものですから。ハリスがスキナー派のハトとの研究の時に指摘したように、人間は、社会の中で、集団で生活する種ですから。

また、仲間集団内での分化による長期的な影響を研究しようとする場合でも、こんなことを指摘しています。「小中高で同級生の中でも年長だった人と年少だった人との間には性格上の違いがみられるはずだと言うのです。多くの州では幼稚園人園の際に生年月日が区切られますが、それにより一番の年長児と年少児の間では一年近い差ができます。」ここでは、生年月日で区切られることに疑問を持っています。

「育児の大誤解」の著作を翻訳した石田理恵は、あとがきでこんな紹介をしています。

2016年に出版された「行ってはいけない―残酷すぎる事実」(新潮新書)の帯封には、「遺伝、見た目、教育に関わる“不愉快な現実”」と書かれてあります。この本の中に、ハリスの主張が2章にもわたって取り上げられているそうです。それは、内容が斬新的というだけでなく、時期も問題だとしています。「子育ての大誤解」が出版されたのは1998年、日本で翻訳出版されたのが2000年という年月から16年余りのちになってセンセーショナル的に取り上げられているからです。

転換点” への6件のコメント

  1. ハリス氏の考えに触れれば触れるほど、藤森先生がずっといい続けてきた「子ども集団の重要性」や「実験方法に対する考察」につながっていることに気づかされました。子どもには、子ども集団にしかない姿や思考があると、わかった上で考察していく過程にこそ、本当の子ども理解につながるようにも思いました。そして、「子育ての大誤算」という、画期的なものが受け入れられるまでに16年の月日を要するのが、日本という国の文化や政策、世論や体制などがどのように位置付けられているかが垣間見れる気がします。良い悪いは抜きにして、保育料の無償化についても、遡ると平成17年から国会で話し合われていたと聞いたことがあります。世界との誤差が生じるのは仕方のないとこと理解して、常識にとらわれない保育観を意識し続けなくてはいけないと感じます。

  2. ハリス女史の子ども観から多くのことを学ぶことができました。そして、女史の「子育ての大誤解」を当ブログにて紹介して頂いた藤森先生に感謝申し上げます。藤森先生が以前から講演や著書で明確にしていた、子ども集団、子ども同士の関係性、あるいは子どもたちの社会、ということの意味を説明してくれる書に出会えたのは、子どもの集団が存在する施設に従事する者としてこの上ない幸運です。同書が出版されて20年以上が経過しています。国際機関であるOECDでさえ「プロセスの質」として大人と子どもの関わりに留まっているように見受けられます。ハリス女史も藤森先生もその先を見据えている。ハリス女史が昨年暮れに他界されたことは誠に残念なことです。もし御存命でお元気なら藤森先生と興味深いダイアログを繰り広げられたことでしょう。ハリス女史に共鳴してその道を行く研究者が日本にもいて藤森先生とコラボされ、後進の私たちに共にご教示くださることを今後とも期待します。

  3. 「集団からの受容と集団内での地位は、友情とも異なります。かろうじて集団に受けいれられている子どもでも、また集団内での人気度が低い子どもでもしっかりとした友情に結ばれていることがあります。」多様に入り組み合う子ども社会に目をやれずに、子ども同士で何かトラブルがあると親は担任の先生のせいに、担任の先生は親のせいに、そんな風にしてきたことは実はとても可笑しなことで、本当は子ども集団という集団の中で育つ子どもを中心にして、手を取り合うべき存在であることがよくわかります。「しっかりと友情に結ばれていることがある」こういった子どもたちの心の中でしかわからないようなことを日々のエピソードの中から取り上げて、それを保護者と共有し合えるような登降園の風景を想像しました。専門性に磨きがかかることで話せる話があるということ、伝えられるエピソードがあるということを思い、学ぶことの大切さを改めて実感しました。
    長きに渡る連載の一区切りを文節から感じ、ただの一読者であるのに深い感動に包まれています。次なる展開に胸踊る思いです。

  4. これまでのハリス氏の考えを読んできて、藤森先生がずっと言われていることである「子ども集団が重要だ」ということ「現場の子どもの姿を大切にする」ということなど、裏付けられていくようなそんな風に感じました。驚いたのは「育児の大誤算」というものが出版されてからあまりにも長い年月が経っていることです。それだけ浸透していくのに時間がかかるのだということなんでしょう。それがいいか悪いかは別として、発信するということと浸透するということはまた別問題だということを知りました。

  5. 今こうしてハリス氏のやり方や考え方を学べるのはもちろん彼女の功績が第一ですが、一度は迫害しておきながらもそれを受け入れた学者や実践家達の素直さもある程度あるのかもしれません。集団に注目し、子供を有能な一人の人間として発達を保証していく。ただかりにもしこれが間違いかもしれないという学説が新たに浮かび上がったとき私は果たして素直に新しいものを受け入れることができるでしょうか。学んできたものを置いて新たなものに手を出せるでしょうか。もちろん受け入れる努力は最大限するでしょうが、完全に”できる”と言えないのが悲しいところです。

  6. 藤森先生の言う「子ども集団の重要性」「年齢別の月齢差と発達」どのことに関してもハリス氏は触れており、いかにその環境の重要性があるのかということがよくわかります。しかし、こういった理論が理解されるまでにはとても長い時間がかかるのですね。子育ての大誤解においても16年。今の教育が追いついてきたからこそ注目されてきたのかもしれません。こういった研究の内容を見ていると、教育や保育を行うことについても「ヒト」を知ることの重要性はとても強く感じます。「ヒト」を知ることで「教育・保育」も本質が見えてくるというのを最近とても感じます。

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