家庭環境

12年を費やした研究をまとめた本が2000年に出版されました。この研究の調査対象は、みな両親の揃った安定した家庭で育てられたきょうだいですが、中には親が再婚した継きょうだいもいたそうです。さらには一卵性、二卵性双生児も含まれていました。このように研究を構成したことにより、研究者たちは今回測定の対象となった行動や特徴についてその遺伝子による影響を考察することが十分可能となったのでした。対象とした行動や特徴には反社会的活動、社会性、勤勉さ、自尊心、自立心、鬱症状等などが含まれていました。研究者たちはそれらの評価を複数の評価者から収集したのです。母親、父親、被験者自身、そして熟練した観察者たちも皆、評価を下しました。評価の平均値がとられましたが、この研究の場合、それは問題になりません。なぜなら親も子も、評価される行動や特徴はどれも家庭でのものだからです。家庭内の評価と学校での評価を一緒くたにしたわけではないのです。

この研究の目的は、以前ハリスが「いずれでもない」と述べた事象、すなわちきょうだい間の性格上の違いは遺伝子でも共有する家庭環境でも説明がつかないことを検証することだったのです。研究者たちは家庭内のわずかな環境の違い、親の子どもへの姿勢の違いなどからきょうだい間の違いを説明できるのではないかと考えていました。

たしかに親の子どもへの姿勢に違いはありました。だがそれできょうだい間の違いを説明できるわけではないのです。年齢の異なるきょうだいは、置かれている環境や条件が違いますが、そのきょうだい間の関係についても説明はつきません。「この壮大な12年にも及ぶ研究が遺伝子でもない、共有する因子でもないなにかを見つけるために設計されたことを踏まえると、十分な結果を得ることができなかったのは、残念ではあったが、むしろ気持ちが昂ぶった」とレイスは語っているそうです。

レイスにとって残念だったかもしれませんが、ハリスにとっては違っていました。この研究は重大な結果を導き出したと考えたのでした。親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることがわかったのです。きょうだいでも同じようには行動しません。それはある部分は遺伝的な違いによるものですが、親はその遺伝的な違いが表出した状態に反応していたのです。

きょうだい間にみられる遺伝子以外の違いについては「十分な結果を得ることができなかった」のは仕方ありません。研究者たちが測定したいずれの事象も遺伝子以外の違いで説明できるものではありませんでした。研究者の一人、ロバート・プロミンは後にこれらの違いの原因を家族内だけで探したのが間違いだったと後悔したそうです。プロミンは、「ハリスが1998年に痛烈に主張したように、家族の外にも目を向けて、結果なしという事態を避けるべきだった。と述べています。

少なくとも研究に費やした労力と時間のすべてが無駄になったわけではありません。この壮大で、丁寧に実施された研究では子どもから親への影響を示すもっとも明確な証拠を得ることができたのです。子ども二人に対して、親がそれぞれ別の扱い方をするのは、子どもたちがそれぞれ違うからなのです。とはいえ、その違いは一般的に言うところの遺伝子による影響とは限らないのです。親は年少の子を年長の子と同じように扱うわけではありません。病弱な子を健康な子と同じように扱うことはしません。一卵性双生児であっても親は別々に扱うこともあります。二人は同じ遺伝子を持っているはずなのにです。少なくとも2008年まではそう考えられてきました。この年、学術誌アメリカン・ジャーナル・オブ・ヒューマン・ジェネティックス上で、一卵性双生児においてもわすかな遺伝子の相違があるという研究が発表されたのです。

家庭環境” への8件のコメント

  1. 今回のブログをやや興奮気味に読みました。なぜなら今回のタイトル「家庭環境」は私がここ一両日で考えていたことだったからです。家庭における環境っていったい何だろうと。環境には人的物的空間的場的環境があるとされています。だとするなら、家庭環境における人的環境とは、と考え始めたのです。園の人的環境は先生たちではありませんね。先生たちは園の環境のデザイナー兼プロデューサーですから。そして、園における子どもにとっての人的環境は発達が同じ子たちあるいは発達が少し異なる子たちあるいは発達が大いに異なる子たち、あるいは時折訪れる大人たち(私自身も含めて)と考えます。じゃぁ、家庭における人的環境には親も含まれる?「あぁ、あの家は家庭環境に問題があるからね」と言った場合の「家庭環境」とは一体何のこと、と考えていたのです。いやー、今回のブログのタイトルに驚かされました。さて、今回学んだことは「親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることがわかったのです。」このことです。「応答的援助」とはこういうことですね。家庭環境がネガティブであるということは、応答的援助ができていない、あるいは子どもへの反応がネガティブということなのだろうと思いました。勉強になりました。

  2. 子どもの生まれ持った気質や個性は、遺伝子の影響もあると思いますが、ほとんどは地球上で唯一無二な存在であることを示しているかのようなものとしてとらえていました。そのような子どもの様々な行動に対する大人の反応によって、社会というものを理解していくと同時に、自分という存在を理解しながら生まれ持ったものとのつきあい方を学んでいくのだと思います。子ども一人の一人に合った関わり方をしていくことは、親や保育者も同じだと思っていました。そして、「親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることがわかった」とありました。子どもの行動によって親は反応するのであり、親の反応によって子どもが行動するという神話によってこれまでの刷り込みが出来上がってきたのかなと予想されますが、家庭内環境の仕組みが着々と明確になっていくのは楽しいですね。

  3. 「親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることがわかった」「ある部分は遺伝的な違いによるものですが、親はその遺伝的な違いが表出した状態に反応していた」とても納得してしまいます。子どもが白紙でなく能動的で、働きかける力をもっていることがわかります。そして、親は受け身な存在であることや、だから過干渉や過保護が問題であるということも、繋がるように感じられました。質の高い保育、応答的援助、これは親の姿勢にも当てはまり、と言うより従来親とはそういうものだったのかもわかりませんが、その姿勢こそが質の高い子育てと言えるのかもわかりません。

  4. つねづね思っていたことですが、家庭でできる見守りとはどんなものがあるんだろう、と息子が生まれてから考えていました。そして、家庭環境が今回の内容のテーマであることでヒントを得たように感じました。〝親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることがわかった〟とありました。だいたいの親は応答的であるということなんですね。たしかに、長男と次男であるは違う対応をするでしょう。というか、しています。そのようにごく自然な形で応答的に関われているというのが親という存在であるのかな、と感じました。

  5. 親が子供に対してそれぞれ別の扱いをする、と世の中の親にいったら、何をいってるんだ、兄弟皆全員平等に接している。と返ってきそうですが別の扱いをしない方がおかしいでしょうね。最近平等と公平について考える機会がありましたが、全員に平等にしていたら育児や保育だけでなく他の様々な職業が成り立たなくなってしまうでしょう。ただ、その意図が汲まれない場合、やれ贔屓だ特別扱いだとなってしまうのが難しい点ですね。

  6. 「親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることが分かったのです。」とあります。それほど、子どもは自ら能動的に大人に働きかけているのですね。そして、「きょうだいでも同じようには行動しません。それはある部分は遺伝的な違いによるものですが、親はその遺伝的な違いが表出した状態に反応していたのです。」ともあります。確かに、一卵性双生児であろうが、きょうだいであろうが、遺伝子的に同じものを持っていても違う存在です。本来であれば、子ども一人一人に対して違った対応が行われるというのは至極当然に感じますが、過保護であったり過干渉であることで、その距離感はねじ曲がった状態になります。元々子どもたちは社会に順応していく力を持っているとするのであれば、過干渉や過保護な関わりがいかに問題をはらんでいるかということを感じます。このことを見ても白紙論が見え隠れしています。

  7. 「親の姿勢の違いは、子どもの行動への反応であることがわかったのです。きょうだいでも同じようには行動しません。それはある部分は遺伝的な違いによるものですが、親はその遺伝的な違いが表出した状態に反応していたのです」とありました。これはとてもインパクトのある結果でした。そして、同時に人は生まれながらに個性的であるということを考えさせられました。個性、個性と言って、人とは違う自分を探そうとしたり、作ろうとしますが、人はもう生まれた時点で唯一無二にあり、個性的な存在ということですね。私たち自身も、様々な人に同じような関わり方はしていませんね。人が変われば関わり方も変えます。それはその人がどういう人なのかを見極めているからだと思いました。人と関わる力がなせる技ですね。

  8. 子どもの一つ一つの行動から親の反応が違う・・・まさに自分自身で出生順の刷り込みを持ってました。あくまでも子どもが主体であり、その行動に親が姿勢を変えていたのですね。冷静に考えて、兄弟でも全く同じ行動はしないのを出生順で当てはめていた気がします。最後の段落に年少を年長として扱わない、病弱な子を健康な子として扱わないと書いてあるように、子どもが一人一人違うからです。こんな根本的な部分をいつの間にか忘れていた気がします。こうしたブログを読むと、我が子への対応も意識が変わりますね。

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