声の高低

移民の子孫の中には成長後に「変わった」訛りで会話をする人がいます。その原因はいくつか考えられます。まれにですが、社会的な障害を抱えている可能性があります。自閉症の子どもたちは自らを仲間の一員として見なすことができないため、親の訛りを引き継ぐことがあると思われます。より多く見受けられるのが、単純にその人が同じ地域からの移民が多く住む地域で育ち、在籍する学校に通った場合です。このような環境では子どもたちは二つの言語を同時に操ることになります。すなわち仲間とも二つの言語を共有するのです。仲間も同じ訛りを使っているので自分もそうするのです。

訛りを使いつづけるもう一つの理由が年齢です。移住の際にすでに13歳から19歳だった人たちはおそらく母国の訛りを完全に失うことはないだろうと言います。しかし、その境界線は人により異なり、なぜそうなのかはまだ解明されていないそうです。言語に関しては天性の才能を持っている人もいれば、模倣がうまい人もいて、いくつになっても新しい訛りを習得することができるのかもしれないと言うのです。12歳でアメリカに渡り、昔のアクセントを使い続ける人がいる一方で、大学生になってアメリカに到着し、流暢なアメリカ英語を話す人もいます。肉体の成熟度と関係はあるのでしょうか。もしあるとすればその境界年齢は男性より女性の方が若くなるのでしょうか。

もう一つ疑問に思う興味深い現象があるとハリスは言います。世界の中には男女でわずかだそうですが、異なる訛りが存在する地域があるのそうです。男子の集団は女子と比べて、親が聞くと「下層階級」の訛りだと感じるそれを話すことが多いことを発見したそうです。男子は自分が属する社会経済的階級の大人が操る訛りが、気が抜けていて女っぽいと感じるのではないかと思っているようです。

男子は女っぽいと思われるのを嫌います。子どもの会話を聞いていると、本人の姿が見えなくても話しているのが男子か女子か大抵聞き分けることができます。声変わりする前でも男子のほうは声が低いのです。学童期における男女の声の低さの違いは生理学的に想定される幅よりもはるかに大きいようです。集団社会化説によると、声の高低は学童期において男女別のグループが構成され、その中で社会化を果たすことによって生じると考えられています。

集団社会化論説に基づく声の高低に関する学説の中には検証が可能なものもあるそうです。男子校の生徒および女子集団とほとんど接点がない男子は共学校の男子よりも声が高いそうです。さらに共学校の男子は学校では家庭で使う声よりも低い声を使うのだそうです。この研究の結果は、面白いですね。

第一に、研究を行なう際には、実験結果から遺伝的な影響を除外する、もしくは統制する方法論を導入しなければならないと言うのです。必ずしも双子もしくは養子縁組によるきょうだいの研究でなくてもいいと言います。すでに見てきたとおり、遺伝子の影響を統制する方法は他にもあるのです。しかしながら、課題の中には行動遺伝学的な手法以外の方法では説明がつきにくいものも多いようです。理論的には全被験者のゲノムの配列を分析することで遺伝子の影響を直接統制することができます。ところが今はまだそれが可能になるような次元ではないと言います。

声の高低” への6件のコメント

  1. ちょうど今、夕涼み会の準備で茨城弁について先生方が調べていました。そこで気になったのは「蚊」のことを「かんめ」といったり、足のことを「あしこ」と言ったりすることです。なぜ、実際の言葉よりもわざわざ長い言葉を作って話しているのか不思議に思っています。実に遊び心がある先祖たちだなぉと感じていますが、そんな方言も、私は大学で埼玉に下宿した環境の変化や、東京で就職したこともあってか訛りがほとんど消えていました。しかし、茨城に戻ってくるとまた訛りが増えてきた印象があります。本文にも「移住の際にすでに13歳から19歳だった人たちはおそらく母国の訛りを完全に失うことはない」とあり、それを実感していますが、それらも個人差があるとのこと。個人的には、郷土愛の強さが関連しているようにも感じました。

  2. 訛りのことは誠にその通りです。18歳まで岩手で過ごしました。その後東京神奈川の暮らしが長くなりました。今も東京語で仕事をしています。ところが、妻は私と同郷です。従って、現在、東京都新宿区に住んでいますが、家に戻るとほぼ生まれ育った地の言葉になってしまいます。その意味ではバイリンガル?声の高低、これも面白いですね。私はしごと場にいるときは、家にいる時より声のトーンが高いかもしれません。家に戻ると、平常に戻るからかもしれませんが、あまりしゃべらず、しゃべっても声のトーンは低いですね。おそらく我が子もそうでしょう。学校に行って友達と会話するときはハイテンションになっているから声のトーンも高くなっていると思います。私と息子はそうですが、妻はどこにいても同じトーンで会話します。声の音域がアルトであることも影響しているのかな。子どもたちは仲間同士であるとハイトーンになるような気がします。親子関係になると、安心するのでしょうか、さほどハイにはならず済むようです。

  3. 「男子は女っぽいと思われるのを嫌います。子どもの会話を聞いていると、本人の姿が見えなくても話しているのが男子か女子か大抵聞き分けることができます。」先日聞いた男の子同士の会話は、語尾に「ぜ」を付けることでした。「遊ぼうぜ」「そうしようぜ」何に影響を受け、どこで手に入れたのかわかりませんが、ある男の子集団の中で用いられていたことを思い出します。また、女の子集団の中では「そうだわ」「やっぱりだわ」と語尾に「わ」が用いられ、アニメのお姫様に成り切っているのか、ごっこ遊びの延長のような会話をしていました。日常の子どもたちの姿と照らし合わせてみると研究は実感を伴って頭の中に入ってくるようで、やはりとても面白いです。

  4. 訛りに関しては自分も高校卒業後に神奈川に行っていたことがありますので、母国の訛りは失わずにまた熊本に帰ってきました。そこではいろんなところから集まっていたため、自分の話し方が特に珍しいわけではありませんでしたし、そこの話し方に染まるというわけでもありませんでした。
    声の高低について、共学だと男子は声が低くなるというのは面白いですね。〝男子は女っぽいと思われるのを嫌います〟確かに、長男の息子に女の子が好きそうないわゆる「恋バナ」をしても、あまりいい顔しませんね。お母さんが電話すると声が高くなるのも同じ理屈なのでしょうか?社会化を軸に考えていくと、いろんなことが面白く捉えられそうです。

  5. 訛りというのはとても面白いですよね。同じ国で同じ言語として話しているつもりでも全く違う発音や単語になることは珍しくないでしょう。私は以前日本語は世界一訛りのひどい言語なのではないかと思っていましたが、実はそんなことはないようですね。東北や九州などのひどい方言はあるものの共通語や標準語と呼ばれる、日本人であれば誰しもが理解できる言葉がある分ましだそうで、中国やインドなどは同じ国内でも、地方が違うと全く会話にならないようです。方言の面白さだけでなく、言葉によって生まれる集団内での地位、社会性などがあると思うと更に学んでいきたいと思わせてくれます。

  6. 訛りに関しては面白いですね。私の場合、東京に住んでいた時期もあり、大阪弁と標準語をどちらも聞く機会がありました。東京では大阪の言葉を使おうと思いながらも、標準語の影響を受け、中途半端になり、帰ってくると標準語が混ざり大阪弁も中途半端になるといった感じだと自分では思っていました。私の妻に関してはこちらでも標準語を使っているのを見ると影響を受けにくい人なのでしょう。しかし、妻が言うには子どもに関しては大阪弁で話したほうが通じると言っています。乳児においても訛りでもって言葉を聞き分けているのは面白いなと感じることが多くあります。声の高低さの研究も面白いですね。純粋な疑問なのですが、電話の応対で自然と声が普段よりも高くなるのはなぜなのでしょうか。最近ではそういった人が減ってきたのはそういった集団社会化論説に基づくからなのでしょうか。

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