再分析

サロウェイの性格への出生順位による影響に関する考え方はあまりにもその論点をエルンストとアングストの大規模調査の再分析に頼っているにもかかわらず、《サイエンス》誌の書評でその再分析を繰り返すことができなかったと指摘されたことは重大な事態であると受けとめられたそうです。そこでハリスがふたたびその再分析を試みることにしたそうです。

「社会的地位およびきょうだい数を統制していない出生順位調査の結果を除外するとなると、196の統制ずみ調査がエルンストとアングストの調査に残ることになり、12万800名もの被験者がかかわっていたことになる」とサロウェイは『反逆者に生まれて』の中で述べています。これら196の研究のうち、72が彼の説である、第一子はそれ以降の子どもたちよりも従順て、因襲にこだわり、達成志向が強く、貴任感があり、人を敵対視しやすく、嫉妬深く、神経質で、独断的であるという説を支持するものです。彼の説に反する結果が見いだされたのは14調査、残る110は出生順位に基づく有意な違いが認められなかったものだそうです。これらの結果は『反逆者に生まれて』の表四にまとめられているそうです。サロウェイの統計計算によると、こうした結果が偶然現われる可能性は10億の二乗分の一だといいます。

ハリスはまずエルンストとアングストの出生順位と性格に関する章をくまなく調べ、サロウェイが見つけた196もの統制ずみ調査を見つけだすことからはじめたそうです。エルンストとアングストの提供した本文や表に二度目を通したそうですが、179しか発見できなかったそうです。サロウェイの説が間違いだとする調査が13、さらには差はないとする調査109はサロウェイとほぼ同数発見することができましたが、彼の説を立証する調査については彼の探し出した数よりも20少なかったのです。またいずれにも分類できないものも五つあったそうです。

エルンストとアングストの論文から抽出したデータをデータベースに入力し、著者名ごとに分類してみると謎はさらに深まったそうです。ハリスの発見できた179の調査のうち、いくつかは何度もエルンストとアングストの大規模調査に登場していたのです。ある調査が性格に関する複数の異なる設問に関連している場合、エルンストとアングストはその都度その調査に言及していますた。重複を避けるために、同じ資料に同じ著者名で掲載された結果、もしくは同じ被験者相手に行なわれた追跡調査による結果をひとまとめにすると、調査数は116と減少したのです。

ハリスがサロウェイの表四の下に記載された文章に気づいたのはそのときだったそうです。「報告されている結果はそれぞれが一つの調査研究から得られたものとする」と。フランク・サロウェイと意見を交換する中で、彼はハリスがもっと早くその文章の存在に気づかなかったこと、その意味をすぐ理解できなかったことを咎めましたが、《サイエンス》誌の批評家も同じようにこの“調査研究”の異例な使われ方に困惑したはずだとハリスは言います。サロウェイは次の版でその点をより明確にすることを約東してくれたそうです。要は、一つの調査から複数の結果を、実際にハリスがエルンストとアングストの章で見いだすことのできた結果数よりも多くの結果を、導き出すことができるということなのです。

再分析” への9件のコメント

  1. ある人から聞いたことがありますが、信頼に足る学説は統計分析による、のだそうです。つまり、出て来た数字をどう読むか、そもそも読めるか、によるのだそうです。今回のブログを読んでいると、統計分析の難しさを実感します。ブログの内容を素で読むと、一体何を言いたいのだ、と思ってしまいます。と同時に、学術世界の厳しさを今回も実感しました。真理に近づこうとすると、こうした研究努力を積み重ねなければならないのでしょうか。そして調査をすればするほど「謎はさらに深まったそうです。」そしてハリス女史は自分自身を「咎める」ことに結びつくことに気づくわけです。「一つの調査から複数の結果を・・・導き出すことができる」、おぉ、それは一体どんなからくりによるのでしょうか。そうすることの意味は?「196の研究のうち、72が彼の説である」で、残りは「彼の説に反する結果が見いだされたのは14調査、残る110は出生順位に基づく有意な違いが認められなかったもの」???「こうした結果が偶然現われる可能性は10億の二乗分の一」????わからないことは、素直に、わかりません、ということにして今後に期す、でいきたいと思います。

  2. 人は見たいものを見る、のように、導きたい方へと導いてしまうものなのかもわかりません。信じたものを信じていたいですし、出来れば疑わずにそのまま進みたいものでもあります。ただ、それとは異なった事実が挙げられた時に適切に処置を施していかなければ、いつのまにか信じたかったものすら信じ切れなくなり、何を信じていいものか、どこからやり直せばいいものか、わからなくなってしまうでしょう。研究も保育も、時にまるで意志をもってこちらに問いかけてくるようなことがあるように思われます。

  3. 196の研究のうち、72が第一子の性格傾向を示し、それとは異なる結果が14調査、残りの110は「出生順位に基づく有意な違いが認められなかった」という調査結果から、大まかな第一子の傾向が決して決められたものではないということがわかりますが、そう単純ではないのでしょうか。また、ハリスの調査による、「同じ被験者相手に行なわれた追跡調査による結果をひとまとめにすると、調査数は116と減少した」という結果から、研究が導きだす結果のための方法が誤っていたということになるのでしょうか。それにしても、「12万800名もの被験者がかかわっていた」という数字を見て驚きました。12万という数字を調べてみると、小金井市民と同じくらいということで、時間とお金、そして根気のいる調査であることを再認識しました。

  4. 自分が「こうだ」と思った方向に向かって研究していくことで、ある種の刷り込みのようなことが起こりうるということは以前のブログから学んだことです。今回の場合も同様のことが起こってしまったのでしょう。ですが、自分が思った方向とは違う結果が得られたときにどのように対応していくのかでその人の「柔らかさ」みたいなものがわかるのではないかと思います。不測の事態は誰しもがどうしていいのか分からなくなるものだと思います。ですが、そこでの対応をしやすくするのはやはり、心の余裕があるかないかであると思います。不測の事態、あまり起こってほしくはないものです。

  5. 一つの調査から複数の結果を見いだすことができる、これでは研究結果は研究者のいいようにねじ曲げられて当たり前ですね。自分の都合のいいようにとれる結果の出し方をし、論文として出す。恐ろしいのは子育て神話という思い込みがあることで相当数の研究者が間違った同一方向を揃って向いてしまっていたことでしょうか。朱に交われば赤くなるというわけではないですが、別の考え方を元々持っていたとしても、これだけ世間一般で浸透している子育て神話を唱え続けられればその方向を向きなおしてしまう研究者がいても不思議ではないのでしょう。そう考えるとそれでも自分の道をまっすぐと進み続けたハリスやその他の研究者達のすごさが伝わりますね。

  6. 以前ニュースになったスタップ細胞の小保方氏のことをふと思い出しました。研究結果や論文などの説が覆ることは多分にあることなのでしょう。再分析というものはそれだけしっかりとした理論としてあるのかを検証することでより有用なものであると証明することになるのでしょうが、実際出てきた結果と違ってくると大きな問題になります。しかし、その反面、見いだされた結果が14調査があっただけでもよしとしなければいけないのだろうと思います。こうした、仮説検証から再分析がなされることでより具体的でしっかりした理論が出来上がっていくのだと思います。そして、その情報をしっかりと現場に活かしていかなければいけないのでしょうな。

  7. 本人にその気がないにしても、自らにとって都合のいいように解釈し、結論づけてしまうことは少なくないことだと思います。ただし、それが研究者の研究の結果として世に出てしまうことは意味合いや影響力に大きな違いがあります。そして、そのような積み重ねが今の世に蔓延している子育て神話を作り上げることに繋がってきたのではないでしょうか。研究者に限らず、己の信じる道を信じて進むことも大切なことだとは思いますが、それが必ずしも正しいこととは限りませんし、その間違いに気づいた際にはそれを認め受け入れられる素直さと柔軟性が必要だと感じています。

  8. 気がつかないうちに、ついついデータを改ざんとまではいきませんが、誤った使い方をしてしまうような結果になってしまったということなのでしょうか。たまたま先日、テレビを見ていたら、出生順位が性格に影響するという内容の番組が放送されていました。ハリスのこの話をこの場で紹介してもらっていたので、その内容については怪しいなという思いで見ていましたが、言っていることはそれなりに当てはまりそうな内容なので、そのまま信じてしまっている人は多いのかもしれません。私たちはこのようにして知らず知らずのうちに刷り込みを抱いてしまっているのかもしれませんね。

  9. 藤森先生の講演で、人類の起源から保育を見直すという点において、先生の話は教育という分野の再分析をしているという意味で個人的に捉えることができます。一人一人というのはどういう意味なのか?集団の重要性と、そして乳幼児期の保育という部分が、語れているようで、ちゃんとした理論に基づいたもので立証されてきていない分、先生は現場目線から理論を構築し、新しい乳幼児教育を発信されています。現場の役割というのは、目の前の子ども達の「今」も大切ですが、未来に向けてどう子ども達に必要な力を身につけてあげるのか?しっかりと見据えた保育を展開していく必要があると思います。

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