氏と育ち

「わたし」をかたちづくる要因には「遺伝」と「環境」があります。遺伝率は双生児の研究などによって統計的に推計可能で、それによって説明できない部分が「環境」です。そして、環境のなかで、お互いを近づけるものを「共有環境」、遠ざけるものを「非共有環境」と呼びます。一卵性双生児でこの関係を示すと、「わたし=遺伝○+共有環境○+非共有環境×」ということになります。

ここで○はお互いを近づける力、×は遠ざける力です。人格形成においてこれ以外の要素がないという意味で、「遺伝」「共有環境」「非共有環境」の3つが「わたし」をつくっているということになるのです。これは定義の問題で、「わたし」から「遺伝」を引いたものが「環境」、「環境」から「共有環境」を引いたものが「非共有環境」です。

双生児研究によれば性格の遺伝率は35~50%で、「氏が半分、育ちが半分」という諺の正しさを示しているように思えます。一卵性双生児は遺伝子が同じで、同じ家庭で育てられたのですから、とてもよく似ているのです。遺伝子が同じで、同じ家庭で育てられたというのは、遺伝と環境を共有しているということです。

これはわかりやすい理屈ですが、しかし、双生児の研究が進むと大きな壁に突き当たっ

たのです。それは、生まれてすぐに文化や宗教、しつけの方法がまったく異なる外国に養子に出された一卵性双生児も、同じ家庭で育ったのと同様にとてもよく似ているのです。遺伝率50%とは、残りの半分は環境で決まるということです。しかし、彼らは家庭環境を共有していないのですから、彼らがよく似ているのは「家庭以外の環境」の影響だと考えるほかはないのです。これはいったいどう言うことでしょうか。これがハリスの問いだったと橘氏は言っているのです。そこから橘氏はハリスの「育児の大誤解」の本の中からハリスの主張を引用しています。ですから、私が何日にもわたってこの本の紹介をしている部分と重なりますが、橘氏はその中でどの部分が言ってはいけない真実だと挙げているのでしょうか?

まず、移民の子どもたちが流ちょうに英語を話していることに対してハリスが不思議に思ったことを挙げています。これは実は、行動遺伝学の見地から見ても奇妙なことなのです。子どもは親から母語を学びます。そのため言語性知能の遺伝率は他の知能に比べて際立って低く、14%だそうです。それに対して共有環境の影響は58%と極めて高いのです。それに対して、論理的推論能力などほかの知能には共有環境の影響は見られないそうです。

それにもかかわらず、移民Ⅰ世の子どもたちは、ごく自然に英語を話すようになり、母語での読み書きを忘れ、親との会話にも英語を使うようになるそうです。そして、これはアメリカだけの現象ではないのです。在日韓国・朝鮮人の家庭を何度か訪れたことがあるそうですが、子どもが日本の学校に通っていた場合、親が母語で話しかけても子どもは日本語で対応していたそうです。

学校では英語(日本語)で授業が行なわれるのですから、こんなことは当たり前だと思うかもしれませんが、移民の子どもたちは、就学前から現地の言葉を話すようになるのです。本当に教育の影響だけなのでしょうか。

氏と育ち” への6件のコメント

  1. 藤森先生の著作の英訳者、インドのネルー大学のモトワニ教授は、日本人が英語をマスターできないのは、テレビなどメディアの英語放送のほとんどが日本語に置き換えられるからだ、と仰っていたことを思い出します。言語性知能の遺伝率が14%、共有環境の影響は58%とあります。共有環境の一つにメディアがありますが、本来言語面に多大な影響を及ぼすことを考えるなら、メディアを適切に活かしきれていない結果が我が国の英語習得状態を現今の姿に留めているのでしょう。「氏が半分、育ちが半分」この諺が科学的に証明された。古人は経験則からこうした諺を編み出してきたのだろうと思います。私は環境が大いに影響すること、このことを身をもって体験してきました。違う周囲環境に我が身を置くたびに自分が変化してきていることを実感しました。共有環境と非共有環境。とても重要な概念だなと思います。近づいたり遠ざかったり。どうやら私たちの存在は複数いる他者との距離感によることが言えそうです。

  2. 性格形成において、遺伝率が35~50%という具体的な数字がありました。印象としては、やはり多いですね。環境の中にある共有環境と非共有環境の影響がもっと強いのかなぁと思っていましたが、遺伝が見えないところでその人をそうさせている部分がある当然のようにあることを再確認できました。また、非共有環境という、互いを遠ざける環境の影響は新鮮な見方でした。近づけさせるものもあれば、逆に遠ざけるものもあり、それら両方が性格形成に影響しているのですね。そして、言語知能の遺伝率は14%とあり、分野に応じて遺伝率も変化しているということが知れました。遺伝率で大きな要素となるのは、体格や顔の形成でしょうか。遺伝と環境というものが、より身近になってきました。

  3. 遺伝する確率が具体的にありました。やはり、大きな部分を占めている、たいう印象を持ちました。これまでの話しから、共有環境と非共有環境の2つ、つまりは環境の影響の方が強いのではないかということを感じていました。遺伝子の話しで、設計図とスイッチの話しがテレビであっていましたが、実はいらないものだと思われていた方の遺伝子がスイッチとなっていて、そのonとoffで人となりが決まってくるという話しがありました。そのスイッチは環境によりonになったり、offになったりするともありました。その辺はどんななんだろうと思った今回の内容でした。

  4. 言葉というのは他人に自分の意思や欲求を効率的に伝える最も簡単なツールですからそれは自分が所属する集団の言葉を選びますよね。なにせ親であればある程度言葉を交わさなくてもそれまでの育児経験で表情やしぐさをもとにこどもの意思や意向を汲み取ってしまいますから、優先して覚えるべきものから親の母国語は外れてしまうのかもしれません。関西では標準語を使うだけで最悪の場合いじめの対象にまでなってしまうといいますし、何を話すかというのは大人が思ってる以上に大切なことなのでしょうね。

  5. 345歳児クラスの子どもたちの中にも、家庭では英語や韓国語を話しているだろうと思われる子も園では日本語をとても流暢に話しています。保育者が日本語を教えるようなことはなくてもすらすらと自分のものにしていく姿を見ていると、やはり子ども集団の力を感じてしまいます。ふと、その内の子の一人で、「今日はParkに行けるの?」「○○くんにPushされた」と話す子がいて、そういった部分は子ども集団の影響を受けながら変化していくものなのか、見守っていきたいと思いました。

  6. 共有環境はお互いを近づける力、非共有環境は遠ざける力。移民の子どもの母国語と普段から話す外国語の関係を見ていると親と子どもとの共有環境よりも、外の環境においてのほうが子どもにとってはより強い影響を与えるのでしょうか。以前、園に来ていた子どもが親の仕事の都合で関東に行って、関西に帰ってきたことがありました。こちらにいたときは関西弁で関東から返ってきた当初は標準語。ということは関東にいた間は標準語で話していたのだと思います。そして、しばらくするともう一度関西弁に変わっていました。一方、その子のお母さんは関東の方で標準語で話していました。訛りだけを見ていても子どもにはその土地土地で変わっていくのを見ていると家庭での訛りよりも、住む場所による影響が大きいことを感じます。このことが言語に言えることと同じなのかはわかりませんが、子どもたちはどこかから影響を受け、学習しているのでしょうね。

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