三つの説

様々な分野で様々の研究がされています。よくエビデンスが大切であると言われます。エビデンスとは、もともとは証拠・根拠、証言、形跡などを意味する英単語に由来する、外来の日本語です。それは、様々な分野でも使われることが多いのですが、主に医学や保健医療に使われることが多いようです。それは、医療行為において治療法を選択する場合、患者の命にかかわる問題であり、治療を施したり、投薬する場合などはできるだけリスクを避けるために、確率的な情報として、少しでも多くの患者にとって安全で効果のある治療方法を選ぶことが必要だかです。また、研究には、より客観性を持ち、数量的にも豊富なデータが必要だとも言われます。しかし、それは、多くは科学的な研究の際であり、人の存在や生き方などに関するものは、哲学に近いものが必要になると思います。ですから、答えは一つとは限らず、また、仮説を立てることが必要になります。

ハリスは、様々な他人からの批判や否定に屈せず、新しい考え方を発表しました。それは、児童発達に関する仮説を検証したものでした。この児童発達において、特に三つの説を述べています。第一の説は子どもの既格形成に親は完全にあるいはほとんど無力ということです。子どもはその性格と行動が親と似ることはありますが、その理由は二つあるとハリスは言います。一つは親から遺伝子を受け継ぐため、もう一つが両者は通常同じ文化あるいはサブカルチャーに属するからだと言うのです。

第二の説は子どもたちが社会化を果たし、性格が形成されるのは、家庭の外での経験、すなわち仲間と共有する環境の中だということです。

第三の説は一般化に関することです。一般化とは、ある刺激に対して条件反射が形成されると類似した刺激に対しても同様の反応をもたらすことをいいます。心理学者たちは長年、人の行動パターンはそれに伴う感情とともに、ある社会的状況から別の社会的状況にいとも簡単に継承されるものだと信じてきたそうです。第三の説によればその思い込みは間違っているとハリスは言うのです。異なる社会的状況においてどこか似た行動をとるのは、その多くの場合、遺伝的要因によるものだと言うのです。遺伝子はどこまでもついてきますが、親きょうだい間で身につけた行動は親きょうだい間でだけ有効だと言うのです。子どもたちは過去の社会的状況で学んだ行動パターンを引きずりながら新しい状況に向かうわけではないと言うのです。現状に即した新しい行動パターンを身につける準備はしっかりできているのです。

ハリスの考えはこれまで何度も要約されてきましたが、この第三の説に言及されたことはほとんどなかったそうです。しかしハリスにとってはこの第三の説こそが、最も重要な仮説だと言うのです。メディアではハリスの考えは次の八文字に集約されているそうです。それは、「親は重要ではない」というものです。もちろん親は重要であることは間違いありません。それは、ハリスも強く主張するところです。しかし、どこで、どのように重要なのか。「どこで」への回答につながるのがこの第三の説だと言うのです。親が重要な場面というのは「家庭」です。そして「どのように」への回答が人との関係だと言うのです。人とのかかわりがあらゆる人間にとって重要なのだということを主張しているのです。

三つの説” への5件のコメント

  1. ひきこもりの子を持つ親は、どこで子育てを間違ったか、と自分を責めます。先日は、引きこもっている子どもを父親が殺してしまうという悲惨な事件もありました。つい最近、知り合いの人が自分の中二になる子が引きこもっている、と打ち明けてくれました。その人に伝えたいですね、今回のハリス女史の仮説を。その方も学者なのでわかってくれると思うのです。「人とのかかわりがあらゆる人間にとって重要なのだ」という見解。子どもが引きこもるには様々な要因が考えられると思います。そして、たいていは人間関係の結果、家庭内に引きこもるという手段に訴え出る。この時に気付かなければならないのは、親の存在の問題ではない、ということです。もし親が問題であれば、家出をするはずですから。私たちは子どもが育っていく段階で「人間関係」ということをあまり気にしていないかもしれません。他者との関わりという側面をあまり意識してこなかったかもしれません。仮に意識したにせよ、自分の子を中心にしてその子の友達関係を云々する。人間関係ということを冷静に考える練習が十分にできなくなってきたのかもしれません。関係性の構築については、二者関係からソーシャルネットワークとしての多者関係まで考慮する必要があると思いました。

  2. 今までの流れが要約されたようなこの度の内容です。改めてハリス氏の主張に納得してしまいます。振り返ると、子どもを考える気持ちや、我が家の子育てについて、気楽に思えるようになりました。それは、「親は重要ではない」という言葉の一面だけをとってテキトーになれたというよりは、子どもという存在への考え方、価値観の変化を身に感じたからです。そうして湧いてくる考えは、今まで以上に建設的なようにも思えてくるから不思議です。闇雲に子どもを育てたり、保育したり、そういう中で生まれる葛藤もまた成長において必要なのかもわかりません。しかし、最近のニュースに挙げられる子どもにまつわるものは、そういった前向きな内容ばかりでないように感じられます。体で覚えるというのはとても過酷なことで、先生のブログや、ハリス氏のような新しい価値観をもった研究に触れて、未然に防げるものを防いでいけたらと思いました。

  3. 私たちは、様々な社会情勢のもと、その場に相応しいと思われる行動様式を自ら選択し、その場に順応しようとする傾向があると思います。もし、自らの状況が変わったという時であっても、その中に共通点があるとすれば、それは遺伝子の影響が大きいということなのですね。また、その遺伝子は「親きょうだい間で身につけた行動は親きょうだい間でだけ有効」ともあり、遺伝子というものが、その人全ての行動をコントロールしているということではないようです。「血」という存在が、その人にどこまで影響を与えているのかということが明確になるということは、子育てへの負担を減らすきっかけにもなりますし、子が自ら社会に適合しようとする存在であることを確認するものにもなると感じました。

  4. ここまでのハリス氏の考えていたことが集約されているような今回の内容になっていますね。「親は重要ではない」という言葉が自分の中では肩の力を抜いていいんだ、親だからと言って肩肘張らなくもいいんだと思える言葉であると思います。ですが、取り方によっては親の存在を軽視する言葉であり、その意図や意味が大切なものであるように感じます。最近は芸能人のニュースなどでも切りとり方が問題となっていることもあるようです。そのようなことにならないように発信していくには何が大切であるのかということを考えなければなりませんね。

  5. 子供の発達に親は重要ではない、なにも知らない人が急に聞いたら腰を抜かすような台詞ですね。まさに、親は集団の代わりを努めることはできないが集団は時に親の代わりをする、ということなのでしょう。しかし今の社会では、子供を園に通わせるかを決めるのも、子供の通う園を決めるのも、園の政策を決める政治家を決めるのもいってしまえば子供の親であるのですから、成長とは別の意味や部分で子供にとって親は最も重要な存在になるのでしょう。

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