適切な刺激

相関関係に関してはもはや言うまでもないとハリスは言います。子どもに読み聞かせをする親がより賢い子どもをもつようになるのは、親自身が賢いからです。子どもが賢くなるのは、知能はある程度遺伝的に受け継がれるものたからです。もし読み聞かせをする親がより賢い子をもつようになる原因が環境的なものであれば、同じ親に育てられた養子縁組によるきょうだい二人のIQの相関関係はゼロにならないはずです。赤ちゃんにしゃれた音楽を聴かせ、しゃれたものを見せれば、赤ちゃんを賢くさせることができるという考え方には、なんら科学的根拠はないのです。

インターネット上のチャットに投稿された発言の中に、「脳の発達を勉強中の大学院生」と名乗る若い母親が自分のひときわ聡明で機敏な1歳8カ月の息子について語ったものがありました。彼女の両親はこの少年の聡明さを母親と父親の聡明さに帰しましたが、彼女はその解釈について「私の親としての子育てを侮辱したものだ」と感じたといっているそうです。その若い母親は言います。「私は必死に頑張って、十分に愛着した愛情あふれる関係を築き、適切な刺激を十分に与えてきた」

彼女は必死に頑張りました。そんな彼女にはハリスは満点をあげたいと言います。しかし、親として子どもを育てることは、セックスがそうであるように、大変に苦労を感じなければならないものではないはずだと言います。進化はムチだけでなくアメも与えてくれました。自然の摂理は私たちが私たちに課せられたことを実行できるよう、それを楽しみとしてくれたのです。もし親として子どもを育てることが骨を折る作業なのであれば、チンパンジーがあえてそんなことをするでしょう。親は親として子どもを育てることを楽しむべきです。もし楽しくないというのなら、それは努力のしすぎかもしれません。このことは、私も講演の中で話したことがあります。育児をすることが母親にとって楽しいものであるか、何か無くわえるものでなければ、人類がここまで遺伝子をつないでこれたはずがないのです。それが、ハリスが感じるように、どうも育児に負担だけを感じ始めているようです。それは、少子化をうむだけでなく、保育者のなり手が減ってきているのです。

進化はアメにもムチにもなります。同じ種の中では、体格的に大きくて強い者が、小さくて弱い者を制します、それが自然の法則なのです。大きい者が小さい者に何をすべきかを指示し、それに小さな者が従わなければ厳罰が下されます。確かに不公平ですが、それはどうしようもないのです。自然にとって公正さなどまったく眼中にないのです。チンパンジーの集団では体格の大きいオスが小さいオスよりも優位に立ち、小さいほうが然るべき敬意を表さなければ彼らは叩きのめされるのです。オスはメスを同じ理由から叩きのめします。若い者は自分よりもさらに若い者に対して同様の措置をとります。

この見苦しい慣行は、そっくりそのまま伝統的な社会で守られています。それには長い歴史があるのです。今日のように公正さややさしさにこだわるようになったのは、ごく最近のことなのだとハリスは言うのです。

 

適切な刺激” への7件のコメント

  1. 一人の息子を育ててきました。これまで子育てが苦痛だと思ったことはありません。こんなことを言うと、まともに子育てをやってこなかったからだ、とか、子育てに真剣でない、などと非難してくる方々もいらっしゃいます。それでも、子どもの育ちは、たとえ学校の成績がよくなくても、時に親に対して反抗的な態度をとっても、とても嬉しいものです。年々歳々発する言葉が豊富になったり、難しい言葉を使ったり、あるいは行動が洗練されてきたり、そうした子の姿をみるのはとても楽しいものです。幸せを感じます。必死に頑張ることでも負担だけを感じることでもありません。しかし、世の中にそうした声の何と多いことでしょう。結果、虐待という悲劇を生んでいきます。「公正さややさしさにこだわるようになったのは、ごく最近のこと」。拘り過ぎるあまり不登校や引きこもり、社会不適応人類を輩出してきたと思います。人類の長い歴史からするとここ200年くらいの歴史はほんのわずかな時間に過ぎないでしょう。「伝統的な社会で守られて」いたことを振り返ることこそ温故知新でしょう。

  2. 賢さが遺伝するという事実は考えないようにしていました。賢い人の思考と言動によってその子どもが賢くなるものだと思っていましたが、そうではないようですね。ある程度知能が遺伝されるということをもっと世の中に打ち出すことで、どのような反応ができるでしょうか。それを励みに学ぼうとするのか、それとも、あきらめのような感覚に陥ってしまうのか、それとも別な感情になるのか…。事実をそのまま伝えるという危険性も考えなくてはならない一方で、しっかりと遺伝ではない部分の重要性というのも伝えなくてはならないのだと感じました。また、大学院生の母親の事例でも育児が「必死に頑張って、十分に愛着した愛情あふれる関係を築き、適切な刺激を十分に与えてきた」というように、必死に頑張ってきた育児というものよりも、自然にある状態の育児で大丈夫、充分であるということも認識していくべきなのでしょうね。

  3. 「公正さややさしさにこだわるようになったのは、ごく最近のこと」風潮というものはヒトが元来もっているような本能的な思考も止めてしまうのだと、改めてその影響力の強さに気付かされる思いです。それが現代社会の基準になっているようですが、気付いている人は気付いているように、自身の変えられるものは変え、変えられないものは受け止めるというような、無理をしない時代の訪れを感じます。憧れるのは構いませんが、憧れのその人になることは出来ず、自分は自分であり、与えられたもので楽しく生きていくということなのでしょう。

  4. 「育児は楽しいもの」ということを自分たち子どもがいる家庭は、世の中に発信していかなければならないという使命があるように感じています。そして、今日の既婚率の低さをみてみても、育児と同じように既婚している自分たちは「結婚は楽しいもの」ということを発信していく必要があると思っています。やはり、育児や結婚をしている人が愚痴ばかりであると、結婚していない人たちは魅力を感じることがなく、嫌なものと認識してしまうものです。「経験者は語る」をいい方向でしていくことが今からは求められてきているのでしょうね。

  5. 年功序列という言葉は人に道徳心が残っている限り消えることはないのでしょうか。今日本にあるほとんどの職場では、今こなせる仕事量よりも、今までこなしてきた仕事量で上下関係が決まります。もちろん年長者の積み上げてきたものや意見、コネクションなどはその会社にとってとても有益であるしなくてはならないものなのでしょうが、それを逆手にとって傲慢な態度をとる年長者がいるのも事実です。今までの時代はそれでよかったかもしれませんが、これからの新しい時代では見直さなければ淘汰されてしまうのでしょうね。

  6. 「親は親として子どもを育てることを楽しむべきです。もし楽しくないというのなら、それは努力のしすぎかもしれません。」この言葉はとても大切なことですね。しかし、それをこころから感じれるような時代なのかと言われると現在はそうではないのかもしれません。育てる養育費が高額で産んだところで育てれるか心配といったことで赤ちゃんを産むのをあきらめることもあります。親が生まれてきた赤ちゃんを殺したりするニュースもあるくらいです。子どもを育てることを「努力しなければいけない、そうでなければいけない」とそれが当たり前だと言われる世の中になっているようにも思います。確かにそれほど子どもを育てることが親にとってつらく大変なものであるとするならば、これほどヒトは長く生き永らえなかったでしょうね。「進化はアメにもムチにもなります」その通りですね。受けとめ方一つで大きく変わってきます。ないものねだりではなく、あるもの探しをして生きることこそ「豊かに生きる」ことにつながっていくのだと感じます。

  7. 子どもの将来のことを想って色々と考え、理想の成長を遂げさせる為の環境を整えようと努力することは素晴らしいことだと思います。ただそれをすることで本来感じるはずの子育ての楽しさを忘れ、それが苦痛、負担となってしまうのであれば本末転倒です。子どもの何気ない成長、それを見て感じ、子どもと共に喜ぶことが育児の楽しさであり、醍醐味ではないでしょうか。自然の摂理は遺伝的要因も含め不公平であり、誰もが親が望むような成長を遂げられるような保証はありません。それに抗うようにして子育てをし、その結果に絶望するよりも、ありのままの子どもの成長を受け止めつつ、無理なく余裕のある子育てをする方が明らかに楽しく、負担を感じないはずです。親にしても保育者にしても子育てを楽しめないのは、少々子どもの成長に対して高望みをしすぎている部分があるからのように感じました。

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